ある年の夏のお隣さんたち

今年2017年の夏も暑い。が何年か前のヨーロッパ、そしてオーストリアの夏。
とても蒸し暑かった。

夜になっても蒸し暑さは引かずに続いた。蒸し風呂に入っているかのようであった。
サウナに行かなくても、サウナに入っている気分は服を纏ったっままで体験出来てしまっている。
だから上半身裸の人もたくさん見られる。

じっとしているだけでも汗がじわっと滲み出てくる。
自宅にクーラーといった豪華な電気製品はない。

涼しく感じるためには日本に一時帰国した時、
渋谷の街中を久しぶりに歩いていたら若いお兄さんが団扇を配っていた。
無料で呉れるらしいので貰ってきた。どこかの携帯電会社の広告が塗り込められていた。
が私には関係ない。目的は一つ、自分の力で風を作って涼しくなれるだろうということ。
その持ち帰ってきた団扇を使う。
または炭酸ガス入りの、冷えたミネラルウォーターを飲む。
頭脳の後、小脳というのだったか、キーンと痛むほどに効いているかのように感じる。
脳を冷やしたいのではないのだが。

夜になった。


いつもの就寝時間がやってきていたから、毎日の習慣としてベッの上、寝転がった。
寝入るのをただ待っていた。

目を瞑ったまま息を凝らしてじいっと待っていた。
蒸し暑さはベッドの上も中も同じであった。
寝転がっていようが起き上がっていようが、蒸し暑さは平等であった。

寝入るのを辛抱強く待っている。と蒸し暑いから開け放ししてある寝室の窓、
そしてお隣さんのお庭から断続的に、そして突発的に談笑声が飛び込んで来る。

聞こえてくる。
寝入るまで耳を澄ましているわけではないが、
耳の感度がとってもよくなっているのが分かる。
聞きたくはないと思っても聞こえて来てしまう。

寝入れないのはこの夜になっても蒸し暑さが続いていることだけが理由ではない、
自分自身肉体的に疲れていないからもしれない。
と同時にお隣さんからこの枕元の耳にまで聞こえてくる話し声、笑い、
そんな騒音が邪魔してくれている、災いになっている。そう思った。

蒸し暑いのはお互い様。
お隣さんたちとしては蒸し暑いからベッドへと行く時間を遅らせているのだろう。
どうも知り合いやら親戚の人たちが今晩は泊まりに来ているようだ。
明日は週末ということか、仕事に出掛けることもない、ゆっくりとしていられる。
彼らたちの深夜での会話が考えてみると延々と続いている。



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オーストリア人の家主との架空会話


本当にそんなドイツ語お断りプレートが張り出されていたのだろうか、
とそんな質問をすること自体バカげているかのような、
その通りは暑い夏の日差しを受けながらも涼しそうな門構えになっていました。

プレートはあったのだろうか!?

今はわたしだけが証人として承認できるのです。
今、そのお宅の門前に立ったとしても、
そのちょっと変なドイツ語にお目に掛かることはないでしょう。

それとも新たな別のバージョンを準備中なのでしょうか。
ちょっと変なドイツ語を世間に、近所に晒していたことに良心が咎めたのでしょうか。
恥の垂れ流しをしていたことに気が付いたのでしょうか。
これ以上恥は掻きたくはない、と引っ込めてしまったのでしょうか。


このお宅では気が変わったのでしょうね。
それともこう応じるのでしょうか。

「何? ドイツ語のお断り書きだって? それは何のことだ?」

「ここに掛かっていましたよ」

「何のことだ?」

「お宅の門にしっかりと張り付くように掲示されていましたよ」

「何かの誤解だろう」

「本当ですよ。わたしはこの目で見ましたよ」

「もしかしたら目の錯覚だろう?」

「そんなことはないですよ」

「この門のどこにそんなものが張り出ていたいうのか。
 実際何も張り付いてはないじゃないか」

「ええ、今はもう張り付いてはいませんよ」

「今も昔も張り付いてはいなかった」

「そんなことはないですよ。わたしはこの目でちゃんと見たんですから。
 ついでにそのドイツ語に付いて一端の薀蓄を垂れていたんですから」

「どこで?」

「どこでじゃなくてドイツ語で云々したのではなく、
 日本語で書いていたんですよ」

「だからどこでそんなことをやっているのか、と聞いているんだ」

「ブログですよ」

「日本語のブログ? わしには日本語は読めんよ。
 お宅日本人なの? この近所で何をしているの?」

「住んでるんですよ」

「この近所に住んでるの? 近所周りの趣味でもあるのかい?」

「近所周りの趣味は持っていませんが、たまたまお宅の前を通ったら
 面白いというのか変なというのか、そんなドイツ語文の羅列を見たのですよ。」

「あんた、ドイツ語が読めるの、そんな顔して?」

「ええ、読めないことはもないです。話せないこともないと考えていますよ。
 今こうしてお宅とドイツ語でコミュニケーションしているのですから。
 尤もオーストリア語ばっかりで喋られたお手上げですが」

「もう何年ここに住んでいるの?」

「お宅さんよりも長いと思いますよ」

「あんたわしよりも長いのかい?」

「ええ、そうですよ。
 お宅の家がここに建つ前からわたしはここに立っていたこともありますよ」

「相当いろんな情報を掴んでいるんだな。
 日本から派遣されてきたのかい?」

「いいえ、個人的にやってきたんですよ」

「何の目的で? 避難民かい?」

「違いますよ。日本国民ですよ」

「だから何でここにきているの?」

「変なドイツ語を探し求めているのですよ」

「変なドイツ語って、そんなドイツ語をあんたは知っているの?」

「いいえ、たくさんは知りませんよ。でもお宅の門前には変なドイツが
 表示されていたんですよ。最初は何なのかわかりませんでしたよ。
 近づいてよく見るとちょっと変なドイツ語でした。
 わたしは嬉しくて関心を持ちながら読めたと思ったら感心していまいました」

「まあ、とにかく我が家の門前にはそんな変なドイツ語とやらを掲げる
 スペースはないから、あんたの言っていることは正しくはない」

「わたしはこの目で見たんですよ。信じられないですか?」

「信じられないね。実際、今ここには何もないしね」

「今はもうないですよ、でも今の前にはあったのですよ」

「ほう、それは初耳んだ。誰かがいたずらしていたのかもしれん」

「そうかもしれませんね。
 じゃあ、お宅はお断り書きを門前に掛けたことはないとおっしゃるのですね?
 賭けますか?」

「何を?」

「掛けたことがないということに対して、ですよ」

「賭けようとも賭けまいとも、掛けなかったものは掛けなかったということになる。
 わしは良く駆けるがね」

「本当に掛けなかったのですか。不思議ですね
 欠けてしまっているのですから」

「こっちこそ不思議だ。
 目医者に行ってちょっと見てもらった良いね。
 目の方は大丈夫なの。ついでに頭の方も?」

「ええ、まだ大丈夫だと思いますよ。
 それにしても不思議ですね。本当に不思議です!」

「不思議な事はこの世には一杯あるよ。
 オーストリアにだって一杯あるよ。いちいち不思議がっていたら
 ますます一杯になってしまってアップアップだよ」

「水泳の話をしているのですか? アップアップ」

「一杯あって泳いで行くのも大変だ」