家庭医の待合室でべらぼうに待たされて

あるジョークを読んでいたら、世の中を渡り歩いて行く上での
ちょっとした知恵が実に上手く表現されていました。
私も次回、医者に行ったときには言って試してみようかと思った次第。

実はお医者さんの所に行くと結構待たされるのですよね。
私一人だけがやって来る訳でもないので、他の患者さんも同じように待たされている。
でも皆同じ時間、平等に待たされている訳ではない。


医者との診察のための会見は、いわば先着順。
既に何日も前から予約してある人は、その予約日、予約時間に来れば、
予約通りの診断等が受けられるというシステムになっているようですが、
予約なしでやって来る人たちもいます。

そういう人たちは朝の開院時間前には一番乗りといった風にドアーの前に
早々とやってきてしまいます。
患者さんがもう数人既に立っていることが多い。
早く来れば待たされることもないだろうと目論んでやって来ているのでしょう。
わたしも試してみたことがあります。



 もちろん、前以て予約なしに、その日、急に思い立って、”緊急”だ、
ということで直接医院まで自転車を駆って訪れる。歩いて行くという余裕はない。

でも自転車で来ようと、歩いて来ようと、現場の受付では一つの流れが作られていて、
その流れを横から止めるようなことは避けているようです。普通、割り込めない。



予約なしだと、経験上、少なくとも2時間は待たされる。
だらか毎回、待合室での時間つぶし用のツールを持参することにしています。

以前だったら目の前の低いテーブルの上に置いてあるその日の新聞を読んだり、
手垢で汚れた古い雑誌のページを繰ったり、そんなことにも飽きると、
無言のまま自分の名前が呼ばれるのを辛抱強く待っている患者さんたちは
同じように腰掛けている患者さんたちの一挙手一投足に意識が集中しているのか、
例えばわたしがポケットから何かを取り出そうとする所作を始めると、
こちらの方に一斉に注目するかのように視線を投げかけて、ポケットから
何を取り出そうとするのだろうかと関心を持っているような、それでも
無関心風に装いながらも神経はピーンと張っている。

 ポケットからピストルでも取り出して、
なんていういことも起こりえないこともないかも知れませんが、
だからそんなことを警戒して見ないようにしていながらもちゃんと
見ているのでしょう。

わたしとしては待ち時間を退屈したまま過ごしたくはないので、
ポケットからはピストルではなくイヤフォン取り出し、
両耳に差して、お目当てのオーディオブックを聞こうとします。

もう自分としては待合室で待っているということは忘れてしまいます。
目を閉じて、オーディオブックの世界に自分を誘い込みます。

患者としてやってきたのですが、それよりもドイツ語の話を静かに
耳を澄ませて聞くためにこの場を利用させて頂いているといった塩梅。




           *  *

カフカの Das Schloß を 初めて聞き始めていますが、
長すぎるというのか、けったいな、なんだか脈略がはっきりしない話というのか、
まだ一度も最後の最後まで聞き終わった試しがありません。

いつ終わるのか予定がつきません。結構長い話のような。
何度も聞き直したりして、同じ所を何度も聞いていることを思い出したり、
まあ、ヒヤリングの練習も兼ねていると割り切っているので、
繰り返し聞くことも別に苦痛ではありませんが。
繰り返してまた聞き直しているということも忘れてしまっている。


カフカの Das Schloß を読まれた方はいらっしゃるでしょう。
日本語翻訳で、ではなく、ドイツ語の原語のままでは如何でしょう。
最初の書き出し、聞き始め、こんな感じで始まります。

Es war spät abends, als K. ankam. Das Dorf lag in tiefem Schnee. 
Vom Schloßberg war nichts zu sehen, Nebel und Finsternis umgaben
ihn. Auch nicht das schwächste Licht deutetete das große Schloß an.
Lange stand K. auf der Holzbrücke, die von der Landstraße zum Dorf
führte, und blickete in die scheinbare Leere empor.

主人公の名前が、K. というらしい。それだけ。
フルネームにはなっていない。Kで始まる名前の略なのか。

もしかして作者自身カフカの K. のことを言っているのかもしれませんが、
詳しいことは全然分かりません。

雪深い、ある村にやって来た次第ですね。

わたしもやって来る。地元は街中の家庭医はとても繁盛しているので、
待合室はいつも患者さんたちで殆ど一杯。

壁際四方に用意された椅子は全部埋まってしまっている。
溢れた人たちはもちろん腰掛けられない。
通路に立ったまま自分の番が来るのを待っているのか、
行き場がないのか、その辺をぶらぶらしているのか、
そうしているのが気に合っているのか、
こういう公共の場、待合室では大きな声での会話は厭わられるかのようで、
大きな声で話している人も殆どいません。
待合室内に収まった子供連れのおかあさんは子供が勝手に喋ったり、
そこにあるオモチャで遊ばせておくといった次第。



      *    *

いつものように受付にやってきて、久しぶりに顔を出した。
何ヶ月ぶりだろうか。
いつもの受付の金髪の中年女性は、やって来る人たち、常連客(患者)たちの名前は全部知っている、
覚えているという特技をお持ちなのだろうか、この顔を見て、わたしの名前を即座に当てる。

「ドクターと話したい」と言ったら、何をかを感じたのか、
気を利かしてくれたのか、
「緊急ですか?」と受付の女性は聞いてくれた。

「そうです!」と言えば良かった、失敗した、と思った。

「いいえ」と否定的に言ってしまった後では遅すぎると猛反省。
覆水盆に返らず。

遅れ馳せながらも、気を取り直して、
「あのう、実は、、緊急なのですが」と取って付け足したようでは緊急性も感じられず、
再度、受付に足を運んで訂正を入れたとしても信じては貰えないだろう。



じつは Das Schloss の続きを聞き続けよう、
またそんな時間を持つことができるだろうと思っていたので、
医者との対面はいつもの通り長いこと待つことになるだろうと
意識が先取りしてしまっていた。もう慣れっこ。

毎度のこと、医院にやって来る目的を我ながら忘れてしまったかのような
世界に入ってしまう。

オーディオの時間が持てるということを意味するのか、
それとも医者に会うことを意味するのか。




           *    *

どうやらわたしの番がやってきたらしい。
何かを感じ取って目を開けて見るとドクターが待合室に現れて
お宅の番だよと、合図しているように聞こえる、いや、見える。

周りを見ると、椅子に腰掛けている人の数が減って、空いた席が目立つ。
もうそんなに時間が経ったのだろうか。
イヤフォンを取り外し、ゆっくりと長居してしまった椅子から立ち上がり、
診察室へと歩いてゆく。


目を瞑り、耳の中に入っている話に意識を集中していたのであった。
実は、意味の不明な単語やら、意味が不明な文も流れてきて、
その意味を確実に捉えることが出来ずに、だから話の流れがいつの間にか
あやふやになってしまい、なんだかけったいな話だなあ、
という印象を持ってしまったというのが何度も何度も同じ所を
繰り返して聞いていながらもヒヤリング力不足の所為か、理解出来ていない。

いつになったら読み終わるのか、いや、聞き終わるのか。
今年中か、何度も医者に掛かる身にはなりたくない。
医者必要なし、薬必要なし、といったそんな生活が続いて行くことを願う次第だ。

そのジョークとは、こちら→一般医にやって来た男