中古車が手に入った(3/9)

 本日、偶々、そう偶々と言えよう、「車」が手に入った。

 これはやっぱり、わたしが早くオーストリアの運転免許証を獲て車を運転出来るようにと
 目には見えない周囲の力が色々とその方向へとお膳立てをしてくれたものなのかな、
 と余りの符合振りに内心微笑んだ。


 実は、日本での過去の日々、ヨーロッパでの過去の日々、
 「車」を購入するとか所有するとか、また自分で運転するとか、
 そんなことは考えることもなかった。
 わたしの頭の中を車が占めることはなかった。

 日本一周ヒッチハイクの旅をしていた時も色々な車に乗せて貰ったが、
 自分で運転するなどという考えはこれっぽっちも浮かんで来なかった。
 旅の性質上、そういうものではあったが・・・・。

 車は怖い! そういう先入観というのか、
 固定観念が我が無意識の下には常にあったようだ。

 運転して人を轢いてしまったどうなるのか。
 怪我をさせたり、最悪の場合、死亡させてしまったりしたらどうなるのか。
 被害者は惨めだ。加害者も惨めな思いからは解放されないだろう。

 幼児期の体験が深く根強く潜在意識として生きていたのかもしれない。
 近所の小さな女の子が米軍キャンプのトラックに轢かれて路上、動かなくなってしまった。
 死んでしまったのだ。
 子供ながらも何が起こったのか直感したわたしだった。
 残された家族は大層悲しんだ。
 子供ながらよく覚えてい た。

 日本の空の下、何処かで交通事故のために毎日死んでいる。
 年間一万人を超えたとか超えなかったとか、そんな話題が記憶にある。
 交通事故のニュースを聞く度に、また交通事故現場の映像を見ながら、
 車など運転するものではない。
 いつ命をおとすか分かったものではない。
 車に近寄ることもなかった。縁もなかった。


         *   *

 その「車」とは中古車、知り合いのアメリカ人が奥さんがいる韓国へ行くことになり、
 その留守中だけでも預かるということになった。
 今、その車は我が家の前に駐車している。

 郊外にある自宅(といっても一軒家ではない、アパートの一区画を
 家族全員で借りているに過ぎないのだが)からリンツ市内へと、
  リンツ警察本部が入っている建物の中にある交通局まで、
 わたしの運転にこりごりの我奥さんの運転で送って貰った。
 わたしは助手席に座りながら一人ほくそえんでいた。    

 「本日はオーストリアの運転免許証が入手できるぞ」。


 窓口に顔を出す。
 自分のパスポートを見せながら、本人がやって来ていることを証明しながら、
 たどたどしくもドドイツ語で用件を告げる。

 ドイツ語しか通じないようだし、
 窓口の女性役人も申請者は外国人であろうともドイツ語は当然話せる、理解できるもの
 と捉えているようだ。

 そう想ってくれているのは有り難いのだが、実体が伴わない我ドイツ語。
 その覚束なさ、自意識過剰で額に汗し、脇の下に汗し、ドドドどもりがち。
 舌が乾いてしまっているかのように上手く回らない。
 何で俺様はこんな苦労をしてまでドイツ語を無理に喋らなければならない羽目になってしまったのか。

 女性事務員は自分の縄張り、机の上、棚の中、隣の部屋へと何をかを探しているようであった。
 が、目的ものが何も出てこなかったらしく、事務的に、何の感情もないかのように、
 元の窓口に戻って来て事実をわたしに告げる。

 「まだ出来上がっていません。2週間後にまた来てください」

 先回来た時、もう今週には出来ていると言ったじゃないか! 
 忘れたのですか?! 
 声高く広言を吐いたわけではなかった。

 「2週間後ですか?」

 その返事が信じられないといった口吻で、質問とも確認とも取れるような、
 同じ言葉を、いやそんな言葉は要らないよ、
 そのままお返しますよと言いたげに繰り返して、その場を去った。

 「2週間後でですね!?」

 全く、オオースットリアの役所は、ははハッキリししないなああ。