前回と同様、部屋中、そこここと書類を引っくり返したりしているのが観察される。
「まだ来ていません」
まだ来ていないのか!
一体何をしているのか、オーストリアの役所は!
そんな風に大声で口に出さず、わたしは内心、呆れ返っていた。
何度も何度も足を運んでいるということが分かっているのか。全然誠意がないみたいだ! 外国人に対する意地悪でもしているのかと変に勘ぐってしまいそうだ。まったく、全くどうなっているのやら、無駄足を踏むこと何度もだ。さっぱり分からん、とわたしが内なる大いなる声なき声を出して思案しているのを不憫に見て取って呉れたのか、女性役人は言葉を継ぐ。
「隣の部屋へ行って、局長に 会って状況を聞いて見て下さい」
私たち女性事務員は言われたまま、規則に則って仕事をしているだけですよ、と言いたげそうな表情。責任は他人にあり。その他人とは 、はい、局長その人です、と。
隣の局長室へとご自分で行って下さい、ということに相成った。局長室にて
外からドアをノックしても何の返事も反応も聞こえて来ないので、ドアノッブを握ったまま中へ押すようにして ドアを開けて部屋の中を覗いてみると、局長さん、ちょうど電話中。
「外で待っているように、」といった無言の、目での合図。外の廊下、ドア近く壁に沿って置いてある椅子に腰掛けて待つことにした。
長いこと長いこと。
待っている間にも色々な人が入っては出て来る。この俺様は先にやって来ているのに、こうしてずっと待っているのに、割り込みではないのか。内心叫んでいたのだが、通じる訳がない。この俺様が先に来て待っているということが分からないらしい。そのようには捉えられないらしい。
外で待っていなさい、との合図をしたから待っていたのだが、何時まで経っても全然音沙汰がない。そんな風に時が過ぎて行く。外で人が、この俺様が待っているという事実を忘れてしまっているみたいだ。
おーい、俺は待っているんだぞ。こんなに長く待たせるなって、失礼だ。
相変わらず外でじっと忍耐強く待っているというのに、同じ部屋に用事があるらしい人たち、後から来たというのに わたしの存在など無視、順番にわたしの後ろに付いて待つということもなく、いや、わたしには目も呉れず自分の目の前のドアを勝手に開けて入室しているではないか。
何だ、これは。全然秩序がないじゃないか!
順番ではないのか?!
もう十分に待ったと思った。でも入室オーケーのお呼びが掛からない。イライラする質ではないが、それでも待ち時間が惜しい。ドアを少し開けてまた局長の方にこの顔を見せたら、またも外で待っていろと無言の不愉快そうな合図。
こちらこそ不愉快千万! 待たされっ放しだよ。今日に限ってのことではない。とにもかくにもわたしが外で欠伸が何度も出るほどに待ちくたびれているということを知らせることが出来た、と思った。一応成功だ、と思う。
待っていても何も始まらない。何も起こらない。日本人的感覚からすると少々図々しい奴だと思われるかも知れないが、そんな行動を自分から率先して起こし、自分の求めるもの、相手に向かって要求してゆかないと所期の目的は達成されがたい。“権利への執拗な闘争“とでも言えようか、われ知らずにそんな姿勢を取るように仕向けられていたのかも、とも結論できる。郷に入っては郷に従え、とか。順番も余り関係ないみたいだ。押しの一歩で行くしかない、ようだ。
漸く、漸くだ、局長さんと机を挟んで向かい合う。早速、我が“窮状”を伝えよう、訴えよう、説明しよう、と意気込んで机の上に身を乗り出すようしにて口を開こうとする わたしを制するかのような先制攻撃か。
「ちょっと、待った待った。これ(書き物)を先に済ませてからだ」
その対応振りに、何だ、隣の部屋の女性役人と変らんなあ、とわたしの心の内には反射的に結論が出てしまった。我が顔にもそう書いてあった筈。局長さんに読めていたかどうかは不明。
局長さん、長電話が終わったあと、早速その長電話の内容を忘れないようにと記録を取っておこうということらしい。ドイツ語の綴りの間違いを見つけてやろうかとわたしは筆跡に目を凝らしていた、というのは全くの嘘っぱち。局長さんが書き物をしている間中、向かい合った椅子に腰掛けたまま、沈黙したまま、「早く終われ! 早く終われ!」と呪文を唱え続けていた。待たされてばっかりいるのだ。
漸く、漸く書き物が終わったらしい。終わってしまうのが惜しいといった風情が無きにしも非ず。
それでは、これで話し始められると思いきや、さっきわたしが入ってきたドアがノックも無しに開き、ブリーフケースを手提げた男が入って来た。
何と言うタイミングの良さか! いや、悪さか!
その男の人、入ってくるや否や、立ったまま、わたしは椅子に座ったまま、その男の人、わたしの直ぐ隣に立ったまま、わたしがそこに居るということも目に入らないらしい、わたしに断りもなく局長さんに話し掛け始め、わたしはまたも本題に入ることが出来なくなってしまった。
少々頭に来た。
「ちょっとすいません、、、」とわたしは割り込んだ。
「ちょっと待ってくれ、、」と局長の方がわたしを制する。ちょっと? ちょっとどころではないよ。無言の抵抗。
男はブリーフケースから数枚のフロッピディスクを取り出し、また何らかの使用説明書らしきものを手にしながら、説明開始。早口なのと地元の方言っぼいドイツ語なので何を話しているのか詳細は理解出来ない。理解できていたこと、それは話が一向に終わらない、終わりそうもない、ということだった。
時々意味の分かる単語がこの耳に飛び込んで来て、それらの単語同士をつなぎ合わせてみると、どうも運転試験結果の整理、統計について男は局長に色々と説明しているようだ。
実はオーストリア全国一斉に、運転免許証取得についての法改正が実施されたばかりであったのだが、――― この件については新聞でつい先日読んだばかりで、運転免許証書き換え申請中ということもあって関心がなかったわけではないが―――それはコンピュータを使用してこれからは筆記試験をするというものであった。リンツ市内の自動車運転試験場から集まった試験結果を記憶させたフロッピーディスクが局長の所にこの割り込み男が届けに来たらしいの だ。局長もこれからはコンピュータを使って仕事をしなければならなくなったのかもしれない。ご苦労様だ。
わたしも別の意味でご苦労様なのだ。待たされること頻り。本日は本当に長居をしてしまっている。しかもまだ話が付いていないと来ている。
わたしは二人の男のやり取りを椅子に腰掛けたまま、じっと聞いている。早く終われ! 早く終われ! と念力を総動員していた。待つことに徹しているわたし。何時までも待たせるつもりなのか、この二人。
男は退室した。
やっとわたしの番が回ってきた。
「どうしたのか?」と局長さん。
全然知らないのか?
オーストリア製の運転免許証が早く欲しいのだよ!
心の中では叫んでいたのだが、口からは別のことが出てきてしまった。
「運転免許証書き換えの申請をしてから、相当の日数が経っているのにまだ入手出来ないでいるのです」
「名前は?」
わたしは自分のパスポートを局長さんの目の前に差し出す。
局長さん、自分の机の上に積んである書類を引っくり返したり、 壁伝いのキャビネットの中などを覗いたりして確認している。
「まだ戻って来ていないようだ。ウィーンに送ってはあるのだが」
「いつ戻ってくるのですか?」
「それは分からんよ。ウィーンに催促することも出来ないし、、、、」
待つしかない、と言いたいのだろう。
「あとどのくらい待ったら戻って来るのですか?」
わたしの質問には直接答えず、別のことを言う。
「書き換えなくとも、オーストリア国内の運転免許証は取れるようになっているよ」
担当の局長だから免許制度については良く知っているようだ。そんなことはわたしだって知っている。国内に住むオーストリア人と同じように試験を受けて免許証を取ったらどうか、とわたしに勧めているようにも聞こえた。
「2、3日したらここに電話を入れて到着したか確認してみてくれ」
“2、3週間後に“とは言わなかった。局長さん個人直通の電話番号を紙片にメモってわたしに手渡してくれた。