愛しのアウグスティン3

<さて、ここで唐突だが、別バージョン、アウグスティンが助かった時の状況描写>



丁度そのとき、死体を積んだ荷車と死体運搬人が現れた。死体の上と言うのか、死体の間とでも言うのか、穴の中で行ったり来たり、うごめいている一人の男を発見した運搬人たちは吃驚仰天。

アウグスティンは運搬人たちに向って、罵るように大声で叫んだ。

『おーい、助けてくれ! この穴の縁には手が届かないし、このいまいましい穴からよじ登って出られないでいるが分からないのか!?』

運搬人の一人が口を開いた。

『あいつは昨晩、死んだものとして路上に横たわっていたし、だから穴に放り込んだ筈。奴さん、運が良かったな。昨日、まだ穴は死体で一杯になっていなかったから埋められずに済んだというわけだ。泥酔したまま埋められてしまって目覚めることもなかっただろうに』

アウグスティンはしかし、じりじりしていた。助けが遅すぎるのだ。ゆっくりし過ぎるのだ。

『ペスト穴には一晩だけでも充分だ!』怒りながら叫んだ。『ここにこれ以上留まってはいたくないだ。早く、引っ張り出してくれよ!』

 

アウグスティンは穴から引っ張り出された。ぷりぷりしながらその場を去った。ペストに罹った死体と一緒に一晩を過ごしたアウグスティンではあったが、何ら感染することもなかった。不死身のアウグスティン。以前からそうであったように、健康であることに変わりはなく、酒場「赤い屋根」にやってくる客はアウグスティンに新たな魅力を感じるのであった。ぞっとするような、そう、身の毛もよだつ経験、いや冒険については歌にして優美に、時に気取った風に人々に聞かせるアウグスティンであった。

     


ペストがなんだ、そんなものオレには関係ないよ。ペストに罹ることもなく、長生きして、1702年に死亡した。自然死であった、と。

本名は Marx Augustin というらしい。

どうしてペストに罹ることがなかったのか? 回りの人たちは罹り、死んで行ったのに、この人は最初から免疫が付いていたらしい.その免疫とは?色々と憶測することはできるでしょうが、実際の話、罹らなかったというのだから、驚き、モモの木、山椒の木。この人、どこか普通のウィーン人ではなかったのかもしれません。

楽天的で、ユーモアがある。いつも回りの人を喜ばしている、そんな人には陰気な病気は近寄ってこないのだ。病気の方が逃げて行く。

人生を愉快に、楽しく過ごしたく思う人、古今東西、どこの地にあったとしても、同じ気持ちを持っている。

今世紀に生きるオーストリア人の血の中には、こうした「愛しのアウグスティン」の心意気、大らかさ、大胆さ、笑い飛ばしが受け継がれているのだろう。今日のオーストリア人にも引き継がれているわけなのだろう。

愛しのアウグスティン、人生モットー
”Lustig gelebt und lustig gestorben ist dem Teufel die Rechnung verdorben."                    
「楽しく生き楽しく死んでは死神様も近寄らんのだ」Danke.