オーストリア人の家主との架空会話


本当にそんなドイツ語お断りプレートが張り出されていたのだろうか、
とそんな質問をすること自体バカげているかのような、
その通りは暑い夏の日差しを受けながらも涼しそうな門構えになっていました。

プレートはあったのだろうか!?

今はわたしだけが証人として承認できるのです。
今、そのお宅の門前に立ったとしても、
そのちょっと変なドイツ語にお目に掛かることはないでしょう。

それとも新たな別のバージョンを準備中なのでしょうか。
ちょっと変なドイツ語を世間に、近所に晒していたことに良心が咎めたのでしょうか。
恥の垂れ流しをしていたことに気が付いたのでしょうか。
これ以上恥は掻きたくはない、と引っ込めてしまったのでしょうか。


このお宅では気が変わったのでしょうね。
それともこう応じるのでしょうか。

「何? ドイツ語のお断り書きだって? それは何のことだ?」

「ここに掛かっていましたよ」

「何のことだ?」

「お宅の門にしっかりと張り付くように掲示されていましたよ」

「何かの誤解だろう」

「本当ですよ。わたしはこの目で見ましたよ」

「もしかしたら目の錯覚だろう?」

「そんなことはないですよ」

「この門のどこにそんなものが張り出ていたいうのか。
 実際何も張り付いてはないじゃないか」

「ええ、今はもう張り付いてはいませんよ」

「今も昔も張り付いてはいなかった」

「そんなことはないですよ。わたしはこの目でちゃんと見たんですから。
 ついでにそのドイツ語に付いて一端の薀蓄を垂れていたんですから」

「どこで?」

「どこでじゃなくてドイツ語で云々したのではなく、
 日本語で書いていたんですよ」

「だからどこでそんなことをやっているのか、と聞いているんだ」

「ブログですよ」

「日本語のブログ? わしには日本語は読めんよ。
 お宅日本人なの? この近所で何をしているの?」

「住んでるんですよ」

「この近所に住んでるの? 近所周りの趣味でもあるのかい?」

「近所周りの趣味は持っていませんが、たまたまお宅の前を通ったら
 面白いというのか変なというのか、そんなドイツ語文の羅列を見たのですよ。」

「あんた、ドイツ語が読めるの、そんな顔して?」

「ええ、読めないことはもないです。話せないこともないと考えていますよ。
 今こうしてお宅とドイツ語でコミュニケーションしているのですから。
 尤もオーストリア語ばっかりで喋られたお手上げですが」

「もう何年ここに住んでいるの?」

「お宅さんよりも長いと思いますよ」

「あんたわしよりも長いのかい?」

「ええ、そうですよ。
 お宅の家がここに建つ前からわたしはここに立っていたこともありますよ」

「相当いろんな情報を掴んでいるんだな。
 日本から派遣されてきたのかい?」

「いいえ、個人的にやってきたんですよ」

「何の目的で? 避難民かい?」

「違いますよ。日本国民ですよ」

「だから何でここにきているの?」

「変なドイツ語を探し求めているのですよ」

「変なドイツ語って、そんなドイツ語をあんたは知っているの?」

「いいえ、たくさんは知りませんよ。でもお宅の門前には変なドイツが
 表示されていたんですよ。最初は何なのかわかりませんでしたよ。
 近づいてよく見るとちょっと変なドイツ語でした。
 わたしは嬉しくて関心を持ちながら読めたと思ったら感心していまいました」

「まあ、とにかく我が家の門前にはそんな変なドイツ語とやらを掲げる
 スペースはないから、あんたの言っていることは正しくはない」

「わたしはこの目で見たんですよ。信じられないですか?」

「信じられないね。実際、今ここには何もないしね」

「今はもうないですよ、でも今の前にはあったのですよ」

「ほう、それは初耳んだ。誰かがいたずらしていたのかもしれん」

「そうかもしれませんね。
 じゃあ、お宅はお断り書きを門前に掛けたことはないとおっしゃるのですね?
 賭けますか?」

「何を?」

「掛けたことがないということに対して、ですよ」

「賭けようとも賭けまいとも、掛けなかったものは掛けなかったということになる。
 わしは良く駆けるがね」

「本当に掛けなかったのですか。不思議ですね
 欠けてしまっているのですから」

「こっちこそ不思議だ。
 目医者に行ってちょっと見てもらった良いね。
 目の方は大丈夫なの。ついでに頭の方も?」

「ええ、まだ大丈夫だと思いますよ。
 それにしても不思議ですね。本当に不思議です!」

「不思議な事はこの世には一杯あるよ。
 オーストリアにだって一杯あるよ。いちいち不思議がっていたら
 ますます一杯になってしまってアップアップだよ」

「水泳の話をしているのですか? アップアップ」

「一杯あって泳いで行くのも大変だ」