オーストリアの超満杯の列車の中での指定席探し


ずっと前のことになるが、オーストリアの国鉄ÖBB の列車、リンツからウィーンまでの列車の座席をオンラインで予約した。

リンツからウィーンまでは2時間ほど掛かる。突っ立ったまま旅行時間を過ごすのもしんどいと思ったから、座席に腰かけてラクチンな旅行時間を過ごせるように自分のために手筈を取った。

当該の列車はザルツブルクが始発だったのだろうか、それとも国際列車ということで例えばドイツはミュンヘンが始発だったのだろうか、終点のウィーンまでの、そしてわたしにとってはリンツからウィーンまでの行程であったが、予定時間通りに乗車した。

超満員だった。真ん中の通路を挟んで両側の座席はもちろん全部乗客によって占められていただけでなく、この左右の座席を
いわば分けている通路も立客で埋まっていた。

予約した指定席はどこだろうと満杯の列車の中でちょっと不安な気持ちに襲われそうになった。

まずはこの通路を埋めてしまっている、通せん坊をしている立乗客を何とかしないといけない。身動きができない状態であったが、そんな乗客たちの間へと自分の身を押し通すかのようにして、人々の隙間を狙っては少しずつ予約済みの指定席を目指す。厄介な思いをしながらも一人除け、二人除けながら通路に立ち止まっったままの乗客の集合体へと自分の道を切り開こうとしていた。

予想はしていた。この満杯状態の列車の中、空席は一つも見出せない。全座席は乗客たちに占拠されていることが見て取れる。座席に座れない人たちは立ちんぼにならざるを得ない。列車と列車の連結部も溢れた乗客に乗っ取られていた。

やっと自分の指定席の所まで辿りついた。私の指定席は私が腰かけることになっているのだから空席になっている筈だ、と思っていたが、そんなことはない。塞がっていた。これはどういうことなのか。誰も腰かけていないから、じゃあ自分が腰かけようということでその乗客は何の断りもなくその座席に腰を下ろしたに違いない。超満員列車の中、空いている席が一つでもあれば腰かけてしまう、当然と言えば当然だろう。

私はその乗客に伝えた。その席は私が予約した座席だ、と。乗客は黙って立ち上がり席を離れた。

私はようやくにして満杯の列車の中、予約していた自分の席に腰かけた。



電話では名乗らないの(その1)?



名乗らないのですか!? 

姿が見えないから?

電話が掛かってきたのだった。

 


別の電話が良く掛かって来た。

「○○君、いる?」

○○というのは我が息子の名前ではある。
 
我が家共有共用のハンディーを手に取ったと同時に、そうした問い合わせが耳元に飛び込んでくる。

我が家に電話をする人たち、つまりオーストリア国のオトナであったりコドモであったりするのだが、
電話をするオーストリアの人たちは、その電話で話したい本人がいわば自動的に直接電話口に出てくるものとでも思っている節があるようだ。

「ちょっと待った。君、誰? 名前は何と言うの?」

「××。○○君、いる?」

×× というのは電話を掛けて来た少年の名前だ。

どうして最初に名乗らないのか!? 
わたしはいつも不思議に思う。

名も言わずに、言えずに? 突然用件だけを言うとは失礼でないのか!? 
そんな電話を受け取って、わたしはいつもちょっと不快に感じる。
もっともその少年に向かって説教をするようなわたしではないが。


「○○はまだ学校から帰ってきていないよ」

「あっそう。ガチャン」

あっそう、ガチャン、と続けて言わなかったが、そのように続けて耳に達した。
一方的に切ってしまう。
いや、切ってしまった。
取り付く島もない。あっそう、ガチャン。
こちらとしてはガチョーンであった。

で、電話に出たわたしは一体何者なのでしょうか? 
関係ないよ、ということなのかもしれない。本人じゃないのだから。

君はわたしの貴重な時間を奪っていたんだよ、分かっているの!?
とその子に向かって言いたくもなったが、早々と逃げてしまった。


オーストリアの子供たち(または我が息子の友達、と言い変えて置こう)は礼儀がない、
とわたしはそんなガチャンを耳に残しながら、つい思ってしまう。
学校では電話の掛け方を習わないのだろうか。または家で電話の掛け方を親に教えて貰わないのだろうか。
それとも親の真似をしているのだろうか。正におやおやだ。


オーストリアの人たち、子供たちは、とわたしは敢えて一般化したような書き方をしているが、
もちろん、オーストリア国の人たちは皆んながそうなのだ、などと断定している訳ではない。
が、ついつい、そんな風に一般化してしまいたくなる現象が日常茶飯事的に、いわば電話番しているわたしに限って起こる。

一般化する、しない、それはわたしの問題かもしれないが。
それで以って問題が解決されるというわけでもないのだが。





 「もしもし」と電話を掛けて来た人。

 「もしもし?」とわたしも応じる。

 「わたし!」

 「”わたし”さんですか?」とわたしは応じる、とぼけて。

 「何言っているのよ。わたしよ!」

 「だから、”わたし”さん、ですか?」

 「ねえ、好い加減にしなさいよ! わたしだってば!」

 「”わたしだってば”さんですか?」

 ”わたし”さん、”わたしだってば”さん とはわたしの奥さんのことだった。
でも、電話で聞く声はどこかいつもの声とは違って、
まさに”わたし”さん という知らない人が電話して来たかのように聞こえるのだった。

昼食を取りながら、口に何かを含みながら、
ちょうど今、時間が取れるからと、
わたしの声でも聞きたいのか、
それともわたしはもう寝床から起き上がっているのかと確認したくて、
電話して来たのかもしれない。

電話をするにも食べながらモゴモゴと電話をするとは、
とわたしはちょっと、そう、ちょっとだけ、
ネガティブに思い傾き掛けたのだが、
まあ、相手にも事情があることだろうから、
そうした電話の仕方も有り得るのだろう、
とちょっとだけ寛大な心で自分のことは諦めて、受け入れる。


こちらの人はどうして名乗らないのだろうか。
名乗らない人ばっかりにぶつかってしまっているのかもしれないが。

電話を掛けた先の人が、先に名乗ることをまずは期待している、といった風だ。
わたしはそのように理解し始めた。そのように教えられたこともある。
そうすれば掛けて来た人は間違い電話をしたのかしなかったのか直ぐ分かるから、と。
まあ、それはそれでよい。

誰もがハンディーを持っている御時世で、
特にオーストリアでは殆ど一人に一台という統計が出ていたのを
どこかで読んだ覚えがあるが、
だからハンディーからハンディーへ、
つまり特定個人から特定個人へと特定的な電話をすることが多くなっているのだろう。
直接本人につながると思っているらしい。

続きを読む

電話では名乗らないの(その3)?




電話がまた掛かって来た。

わたしはハンディーを直ぐ手に取って、受信用のボタンを押した。
一階玄関先にある固定電話とわたしのPC近くに置いてあるハンディーとは直結している。

「○○○○です」とわたしは直ぐにこちらから名乗った。
 相手の便宜を図った次第だ。

「ガチャン」

何だ!? 何なのだ、今のは!?

実はよく起こることなのだ。
こちらが名乗ったと同時にガチャン。
もちろん、ガチャンという名の人が名乗ったのではない。

こんな例は何度あったかもう数え切れないほど。
いわば勝手に電話してきて、こちらが受話器を手に取って名乗ったと思いきや、
一方的に切ってしまう。相手の声はまだ一度も聞いていない。

名も分からない、名も名乗らない人、名も名乗れないのかも、
電話が掛かるかどうか、たまたま我が家の電話番号で実験したのかも。
そんな節にとれないこともあるない。


そう、間違い電話をしたらしい。
それともいつもの聞き慣れた声ではなかったので、
電話を間違えたのかもしれないということで即座に切ってしまったのかも。

自分のことしか考えていないかのような電話主、お主良くやるよ、と感心してしまう。

が、それを自分にはこそこそと逃れて認めていたとしても、
わたしには「間違い電話をしてしまいました、すいません」の”間”も ”す”も 出てこない。

失礼千万! 無礼者! とわたしは良く感じたものだが、
何度もそんなことが続くと、そんなものなのかなあ、
とそんな状況を前にして自分に妥協してしまう。




          *  *

そこで電話が掛かってきたら、こちらからは名乗らずに、
そのまま無言で待つことにしたことがあった。

そーら、電話が掛かってきた。

受話器を取った。でも、何も言わない。

向こうの様子がときに聞こえて来る。

酒場から電話して来ていると分かるような雰囲気が伝わってくる。

電話を掛けて来た人、少々不安そうに聞いてきた。

「○○○○さんのお宅ですか?」

「はい、そうですが」

「奥様はいらっしゃいますか?」

「残念ながら、今席を外しておりますが」

「いつお帰りですか?」

いつお帰りですか、って、そんなこと、お宅には関係ないでしょう!? 
と反論したくもなったが、素直に当たり障りなく礼儀正しく応じた。

「分かりません」

「そうですか、じゃあ、また後で掛けなおします」

「そうですか、じゃあ、また後で掛けなおしてください。はい、さようなら」とわたし。


会話が終了した後、遅ればせながら、わたしは不思議がっているのだった。
今電話してきた人は誰だっただろう? 

名乗らなければ、名乗るようにさせる、つまり名前を聞くというだけではないか。
またも名前を聞くの忘れてしまった、と。電話修行がまだ足りないわたしを嘆く。


電話が掛ってきていたよ、と後でわが奥様に伝えたら、

「誰から?」

「知らない。名乗らなかったよ」

「だったら聞いたら良かったのに」

全くその通りだと納得、同意せざるを得ない。
関係ない人には名乗りたくないという人もいるようだが、とも思ったが、そう言われてみれば、そうだ。

わたしもドイツ語での電話の受け方(そして掛け方?)のセミナーに出る必要があるかのようだ。

オーストリア風電話応対の仕方、そんな外国人用成人コースはあるのだろうか。




  *   *

一度、わたしの方から悪戯っぽいことを仕掛けた。

ハンディーのディスプレイを見ると電話を掛けて来た人の電話番号が見えるようになっている。
知っている人の電話番号、日本人女性だ。

それと知っているので、いつもとは違った風に応対した。

「ヨボセヨ!」

「・・・・ 」と相手側は何の反応もない。

「ヨボセヨ! ヨボセヨ?」とわたしはもう一度言い放った。

「・・・・・」と相手側は別の人、ご主人に電話を渡したらしい。

「ヨボセヨ! 何々何々ダ 云々云々ダ」と相手も負けずに外国語で応じてきた。

そんなに長く応じてきても、わたしはこの外国語の初心者で、全然聞き取れない。
電話では 「ヨボセヨ! といったヨボなことぐらいしかまだ応用が利かない。

相手もとぼけて、喋っている相手が誰であるかを察知したかのようで、飽くまでも知らん振り、
乗ってきて、どんどんと喋り捲くり出した。

この御主人、オーストリア人だが、実は韓国に住んだこともあって、
韓国語会話は母国語のドイツ語のように喋る人だ。

逆に一本取られてしまった。26022011

電話では名乗らないの(その2)?


 「もしもし」と電話を掛けて来た人。

 「もしもし?」とわたしも応じる。

 「わたし!」

 「”わたし”さんですか?」とわたしは応じる、とぼけて。

 「何言っているのよ。わたしよ!」

 「だから、”わたし”さん、ですか?」

 「ねえ、好い加減にしなさいよ! わたしだってば!」

 「”わたしだってば”さん ですか?」

 ”わたし”さん、”わたしだってば”さん とはわたしの奥さんのことだった。

でも、電話で聞く声はどこかいつもの声とは違って、まさに”わたし”さん という知らない人が
電話して来たかのように聞こえたのだった。



昼食を取りながら、口に何かを含みながら、
ちょうど今、時間が取れるからと、わたしの声でも聞きたいのか、
それともわたしはもう寝床から起き上がっているのかと確認したくて、
電話して来たのかもしれない。

電話をするにも食べながらモゴモゴと電話をするとは、
とわたしはちょっと、そう、ちょっとだけ、ネガティブに思いに傾き掛けたのだが、
まあ、相手にも事情があることだろうから、そうした電話の仕方も有り得るのだろう、
とちょっとだけ寛大な心で自分のことは諦めて、受け入れる。


         ☆  ☆

こちらの人はどうして名乗らないのだろうか。
名乗らない人ばっかりにぶつかってしまっているのかもしれないが。

電話を掛けた先の人が、先に名乗ることをまずは期待している、といった風だ。
わたしはそのように理解し始めた。そのように教えられたこともある。
そうすれば掛けて来た人は間違い電話をしたのかしなかったのか直ぐ分かるから、と。
まあ、それはそれでよい。

誰もがハンディー(携帯電話)を持っている御時世で、
特にオーストリアでは殆ど一人に一台という統計が出ていたのをどこかで読んだ覚えがある。
だからハンディーからハンディーへ、つまり特定個人から特定個人へと特定的な電話をすることが多くなっているのだろう。
直接本人につながると思っているらしい。

自分が出来ないこと、人に頼むとお高く付く!


それを人件費と称しているのか。

 *   *

自分が出来ないことも誰か他の人だったら出来るという場合が結構ありますね。

わたしは電気屋でもないですから、家の中の電気関係の故障は専門家の電気屋に来て貰って修理してもらうしかないのですが、
その人件費というのか修理手数料というのか、それがバカになりません。

いつもこのことに関してはわたしは不満一杯です。
でも自分ではできませんから、自分で出来ないことは出来る人に任せるしかありません。
自分で出来ないものかと思っていても出来ない。悔しい。人件費がバカにならない。

先日もガラージの電気が点かなくなってしまった。
漏電したのか? と電気配電盤の中を見たけれでもなんでもないようだ。

結局、地元の修理屋というのか電気の故障についてもやっている業者に来てもらった。
電気が点かない原因はどこにあるのか? 

結局、原因を突き止めるのに一時間強も掛かってしまった。

作業時間合計2時間! 
最初から原因の在り処が直ぐにでも突き止められいれば、一時間も掛からない作業だったと思う。
そうやって時間を稼いで儲けよう賭しているとしか思えないでもなかった。

ヴィクトール・フランクルとロゴテラピー



フランクル『夜と霧』 2013年3月 (100分 de 名著)


1997年9月3日、AP電として以下の訃報が全世界に向けて流された。

ウィーン(オーストリア)発(AP)―― その金字塔的な著作「Man's Search for Meaning」の著者、また今世紀最大の精神医学者の一人でもある Viktor E. Frankl ヴィクトール E.フランクルは心臓麻痺のために死亡、享年92歳。

フランクルは火曜日に亡くなり、葬儀はすでに執り行われていた、とオーストリア・プレス社はウィーンヴィクトール・フランクル協会からの情報として、本日報道した。詳細は伝えられていない。

ウイーンのミヒャエル・ホイプル市長は 以下のように述べた。「ヴィクトールE.フランクルの死によって、ウィーン市、そして世界は今世紀、最も重要な科学者の一人を失っただけでなく、人間精神および心へのモニュメントを失った」と。

フランクルは1942年から1945年までの4年間、アウシュヴィッツの強制収容所を含むナチの4つの収容所にいたが、ホロコーストを生き延びた一人であった。両親そして自分の他の家族たちは強制収容所で皆死亡した。

強制収容所で苦しみを受けていた期間に、またそこでの苦しみの体験を通して、フランクルは logotherapy ロゴテラピーと知られるようになった、精神療法の革命的なアプロー チを生み出した。

その理論の中心にあるものは、信念――人間を動議付けられる力とは意味を探し求めるという信念が人間にある、そしてロゴセラピストの仕事とは患者が自分の人生に於ける意味を個人的に見出せるように援助の手を差し伸べることを主とするものである、患者の状況が如何に酷いものであったとしても、である。

フランクルの教えはジグモント・フロイト、アルフレート・アドラーに継ぐ、「第3ウィーン精神療法学派」と呼ばれている。

その著書「Man's Search for Meaning」は世界中でほぼ900万部売れている。また23ヶ国語に翻訳されている。米国議会図書館はこの本について20世紀の世界で最も影響力のあった10冊の本の中の一つであると評している。フランクル自身がこう述べている。

「自分の人生に意味があるということを知っていれば、最悪の状態にあったとしてもその人にとって生き延びて行く上でこれ以上に有効な助けとなるものはこの世界にはない、とわたしは敢えて言おう」

「ロゴテラピー」に拠ると、「意味」というものは3つの方法で発見出来る。

(1)仕事を作り出すこと、または行動をなすことを通して 

(2)何かを経験すること、または誰かに邂逅することを通して

(3)避け得ない苦しみに対して取るわたし達の態度を通して。

「希望がない状況に直面したときでさえも人生に意味を見出すことは可能だということ、このことを我々は決して忘れてはならない」フランクルはこう強調する。この理論は強制収容所で生き延びてきたフランクル自身がその間に徐々に形成していったものである。

「そういうことで、想像し得る最悪の状況さえも耐え突き進んで行くことの出来る人間の予想も出来ない尺度をも証するものである」と書き記している。

ヴィクトール・エミール・フランクルは1905年3月26日、ウィーンで誕生。父親は議会での速記者から社会問題省の局長に登りつめた。高校生のときには社会主義青年組織に加わりならがらも、心理学に興味を抱き始めた。

1930年、医学の学位を取り、その後、女性自殺志願者の治療をする病棟の責任者となる。1938年ナチスが政権を取ると、ロートシルト病院の神経部局の責任者に任命される。この病院はナチ時代初期の、唯一のユダヤ人経営の病院であった。

1942年、しかしながら、フランクルと両親はプラハ近くのテレジアンシュタット強制収容所に追放された。

1945年、フランクルはウィーンに戻り、ウィーン・ポリクリニック病院の神経科の主任になり、25年間その任を勤めた。神経学と精神理学の教授であった。

フランクルが著した32冊の書物、実存的分析とロゴセラピーに関するものであるが、26ヶ国語に翻訳されている。世界中の大学から29の名誉医学博士の称号を得ている。

1961年からは、アメリカのハーバード大学、スタフォード大学、またダラス、ピッツバーグ、サンディエゴの大学と、5つの教授職を得ている。

アメリカ精神医学学会の Oskar Pfisterオスカー・プフィスター賞を授与されている。またヨーロッパの数カ国からもいくつかの褒賞を得ている。

5歳になるまでウィーン大学では規則正しく教えていた。また登山に熱心であった。67歳の時には飛行機の操縦免許証も取得している。

遺族には妻のエレオノーレさんと娘のガブリエレ・フランクル・ヴェセリ博士がいる。


ブーバーに学ぶ―「他者」と本当にわかり合うための30章





あなたはこの方 Viktor Frankl の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
多分、ご存知でしょう!?

わたしの個人的な思い出をちょっと披瀝しますと、
一昔前の、大学生の時、大学図書館でこの本を手に取ったことのあるように記憶しています。
当時の語学力で は理解出来るわたしでありませんでした。
語学上の理解だけでなく、
人生経験も浅い者がどうしてその語る内容を身に沁みるように理解できるものでしょうか。

わたしには難しすぎるということで投げ出してしまったことを覚えています。
しかし、Frankl さんはわたしのことを忘れていなかった、
と言えるかもしれません。

わたし自身が同じ国、つまりこうしてオーストリア国に住むようになり、
つい数年前でしたが、
オーストリアテレビ局ORFで30分ほどのインタビュー番組が放映されることを知り、録画しました。

やはり お互いに(?)気になっていた存在だったのでしょうか。
オーストリアにやって来たことで、
この方がオーストリア人であることを知った次第でもありましたが、
ようやくここに至ってこの方のその衝撃的な実情を知る時が与えられたとも
わたしは捉えています。          

著名なスティーブン・コヴィーが著した「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」の中でもヴィクトール E.フランクルについて熱っぽく言及していますね。




*   *

なぜ人は苦しみに立ち向かうことが出来るのか? その意味は?
なぜ私たちは生きるのか。

フランクルに学ぶ―生きる意味を発見する30章
フランクルを学ぶ人のために
Man's Search for Meaning Viktor E. Frankl (著)
Man's Search for Meaning: An Introduction to Logotherapy Victor E. Frankl (著)
Man's Search for Meaning Viktor E. Frankl (著), Simon Vance (ナレーション)
Man's Search for Meaning Viktor E. Frankl (著)
夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)
夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル (著), 霜山 徳爾
死と愛―実存分析入門 V.E.フランクル (著), 霜山徳爾
宿命を超えて、自己を超えて V.E. フランクル (著), Viktor E. Frankl (原著), Franz Kreuzer (原著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳), F. クロイツァー
意味への意志 ヴィクトール・E. フランクル (著), Viktor E. Frankl (原著), 山田 邦男 (翻訳)
制約されざる人間 フランクル・コレクション
ヴィクトール・E. フランクル (著), Viktor E. Frankl (原著), 山田 邦男 (翻訳)

それでも人生にイエスと言う V.E. フランクル (著), Viktor Emil Frankl (原著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
意味による癒し ロゴセラピー V.E.フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳)

                          
開高健へ つづく→ 
-17112007-
どうぞお帰り前にワンクリック。
いつも応援ありがとうございます。
Danke! ↓↓

人気ブログランキングへ

家庭医の待合室でべらぼうに待たされて

あるジョークを読んでいたら、世の中を渡り歩いて行く上での
ちょっとした知恵が実に上手く表現されていました。
私も次回、医者に行ったときには言って試してみようかと思った次第。

実はお医者さんの所に行くと結構待たされるのですよね。
私一人だけがやって来る訳でもないので、他の患者さんも同じように待たされている。
でも皆同じ時間、平等に待たされている訳ではない。


医者との診察のための会見は、いわば先着順。
既に何日も前から予約してある人は、その予約日、予約時間に来れば、
予約通りの診断等が受けられるというシステムになっているようですが、
予約なしでやって来る人たちもいます。

そういう人たちは朝の開院時間前には一番乗りといった風にドアーの前に
早々とやってきてしまいます。
患者さんがもう数人既に立っていることが多い。
早く来れば待たされることもないだろうと目論んでやって来ているのでしょう。
わたしも試してみたことがあります。



 もちろん、前以て予約なしに、その日、急に思い立って、”緊急”だ、
ということで直接医院まで自転車を駆って訪れる。歩いて行くという余裕はない。

でも自転車で来ようと、歩いて来ようと、現場の受付では一つの流れが作られていて、
その流れを横から止めるようなことは避けているようです。普通、割り込めない。



予約なしだと、経験上、少なくとも2時間は待たされる。
だらか毎回、待合室での時間つぶし用のツールを持参することにしています。

以前だったら目の前の低いテーブルの上に置いてあるその日の新聞を読んだり、
手垢で汚れた古い雑誌のページを繰ったり、そんなことにも飽きると、
無言のまま自分の名前が呼ばれるのを辛抱強く待っている患者さんたちは
同じように腰掛けている患者さんたちの一挙手一投足に意識が集中しているのか、
例えばわたしがポケットから何かを取り出そうとする所作を始めると、
こちらの方に一斉に注目するかのように視線を投げかけて、ポケットから
何を取り出そうとするのだろうかと関心を持っているような、それでも
無関心風に装いながらも神経はピーンと張っている。

 ポケットからピストルでも取り出して、
なんていういことも起こりえないこともないかも知れませんが、
だからそんなことを警戒して見ないようにしていながらもちゃんと
見ているのでしょう。

わたしとしては待ち時間を退屈したまま過ごしたくはないので、
ポケットからはピストルではなくイヤフォン取り出し、
両耳に差して、お目当てのオーディオブックを聞こうとします。

もう自分としては待合室で待っているということは忘れてしまいます。
目を閉じて、オーディオブックの世界に自分を誘い込みます。

患者としてやってきたのですが、それよりもドイツ語の話を静かに
耳を澄ませて聞くためにこの場を利用させて頂いているといった塩梅。




           *  *

カフカの Das Schloß を 初めて聞き始めていますが、
長すぎるというのか、けったいな、なんだか脈略がはっきりしない話というのか、
まだ一度も最後の最後まで聞き終わった試しがありません。

いつ終わるのか予定がつきません。結構長い話のような。
何度も聞き直したりして、同じ所を何度も聞いていることを思い出したり、
まあ、ヒヤリングの練習も兼ねていると割り切っているので、
繰り返し聞くことも別に苦痛ではありませんが。
繰り返してまた聞き直しているということも忘れてしまっている。


カフカの Das Schloß を読まれた方はいらっしゃるでしょう。
日本語翻訳で、ではなく、ドイツ語の原語のままでは如何でしょう。
最初の書き出し、聞き始め、こんな感じで始まります。

Es war spät abends, als K. ankam. Das Dorf lag in tiefem Schnee. 
Vom Schloßberg war nichts zu sehen, Nebel und Finsternis umgaben
ihn. Auch nicht das schwächste Licht deutetete das große Schloß an.
Lange stand K. auf der Holzbrücke, die von der Landstraße zum Dorf
führte, und blickete in die scheinbare Leere empor.

主人公の名前が、K. というらしい。それだけ。
フルネームにはなっていない。Kで始まる名前の略なのか。

もしかして作者自身カフカの K. のことを言っているのかもしれませんが、
詳しいことは全然分かりません。

雪深い、ある村にやって来た次第ですね。

わたしもやって来る。地元は街中の家庭医はとても繁盛しているので、
待合室はいつも患者さんたちで殆ど一杯。

壁際四方に用意された椅子は全部埋まってしまっている。
溢れた人たちはもちろん腰掛けられない。
通路に立ったまま自分の番が来るのを待っているのか、
行き場がないのか、その辺をぶらぶらしているのか、
そうしているのが気に合っているのか、
こういう公共の場、待合室では大きな声での会話は厭わられるかのようで、
大きな声で話している人も殆どいません。
待合室内に収まった子供連れのおかあさんは子供が勝手に喋ったり、
そこにあるオモチャで遊ばせておくといった次第。



      *    *

いつものように受付にやってきて、久しぶりに顔を出した。
何ヶ月ぶりだろうか。
いつもの受付の金髪の中年女性は、やって来る人たち、常連客(患者)たちの名前は全部知っている、
覚えているという特技をお持ちなのだろうか、この顔を見て、わたしの名前を即座に当てる。

「ドクターと話したい」と言ったら、何をかを感じたのか、
気を利かしてくれたのか、
「緊急ですか?」と受付の女性は聞いてくれた。

「そうです!」と言えば良かった、失敗した、と思った。

「いいえ」と否定的に言ってしまった後では遅すぎると猛反省。
覆水盆に返らず。

遅れ馳せながらも、気を取り直して、
「あのう、実は、、緊急なのですが」と取って付け足したようでは緊急性も感じられず、
再度、受付に足を運んで訂正を入れたとしても信じては貰えないだろう。



じつは Das Schloss の続きを聞き続けよう、
またそんな時間を持つことができるだろうと思っていたので、
医者との対面はいつもの通り長いこと待つことになるだろうと
意識が先取りしてしまっていた。もう慣れっこ。

毎度のこと、医院にやって来る目的を我ながら忘れてしまったかのような
世界に入ってしまう。

オーディオの時間が持てるということを意味するのか、
それとも医者に会うことを意味するのか。




           *    *

どうやらわたしの番がやってきたらしい。
何かを感じ取って目を開けて見るとドクターが待合室に現れて
お宅の番だよと、合図しているように聞こえる、いや、見える。

周りを見ると、椅子に腰掛けている人の数が減って、空いた席が目立つ。
もうそんなに時間が経ったのだろうか。
イヤフォンを取り外し、ゆっくりと長居してしまった椅子から立ち上がり、
診察室へと歩いてゆく。


目を瞑り、耳の中に入っている話に意識を集中していたのであった。
実は、意味の不明な単語やら、意味が不明な文も流れてきて、
その意味を確実に捉えることが出来ずに、だから話の流れがいつの間にか
あやふやになってしまい、なんだかけったいな話だなあ、
という印象を持ってしまったというのが何度も何度も同じ所を
繰り返して聞いていながらもヒヤリング力不足の所為か、理解出来ていない。

いつになったら読み終わるのか、いや、聞き終わるのか。
今年中か、何度も医者に掛かる身にはなりたくない。
医者必要なし、薬必要なし、といったそんな生活が続いて行くことを願う次第だ。

そのジョークとは、こちら→一般医にやって来た男

ドイツ語クイズで25名の有名オーストリア人を当てることが出来るだろうか!?




25名だけに今回は、限定しているようです。
イラストを見ると殆どの人は誰なのか、私は分かりますが、
ただ一人、赤毛の、赤口紅をした女性は誰なのか、今の所、分かりません。

この女性の名前を当てるクイズも出てくることなのでしょう。
それぞれのクイズは4択になっています。



有名なオーストリア人を思い出せますか。
過去の人もいれば、現存する人もいることでしょう。


時間があったら、わたしも一つ一つとクイズを解いて見ようかと思っています。

オーストリア在住20年以上、オーストリア通とは言いませんが、
このブログ管理人は全問正解すると始める前から確信しています。

こちらからアクセスできます。↓
https://deutschlernerblog.de/25-grosse-bekannte-prominente-beruehmte-oesterreicher-quiz/


いつも応援ありがとうございます。
↓ どうぞお帰り前にワンクリック
 

「人気blogランキング」へも 毎度ありがとう!(#^ー゚)v 
Danke schön!♪
 

ある年の夏のお隣さんたち

今年2017年の夏も暑い。が何年か前のヨーロッパ、そしてオーストリアの夏。
とても蒸し暑かった。

夜になっても蒸し暑さは引かずに続いた。蒸し風呂に入っているかのようであった。
サウナに行かなくても、サウナに入っている気分は服を纏ったっままで体験出来てしまっている。
だから上半身裸の人もたくさん見られる。

じっとしているだけでも汗がじわっと滲み出てくる。
自宅にクーラーといった豪華な電気製品はない。

涼しく感じるためには日本に一時帰国した時、
渋谷の街中を久しぶりに歩いていたら若いお兄さんが団扇を配っていた。
無料で呉れるらしいので貰ってきた。どこかの携帯電会社の広告が塗り込められていた。
が私には関係ない。目的は一つ、自分の力で風を作って涼しくなれるだろうということ。
その持ち帰ってきた団扇を使う。
または炭酸ガス入りの、冷えたミネラルウォーターを飲む。
頭脳の後、小脳というのだったか、キーンと痛むほどに効いているかのように感じる。
脳を冷やしたいのではないのだが。

夜になった。


いつもの就寝時間がやってきていたから、毎日の習慣としてベッの上、寝転がった。
寝入るのをただ待っていた。

目を瞑ったまま息を凝らしてじいっと待っていた。
蒸し暑さはベッドの上も中も同じであった。
寝転がっていようが起き上がっていようが、蒸し暑さは平等であった。

寝入るのを辛抱強く待っている。と蒸し暑いから開け放ししてある寝室の窓、
そしてお隣さんのお庭から断続的に、そして突発的に談笑声が飛び込んで来る。

聞こえてくる。
寝入るまで耳を澄ましているわけではないが、
耳の感度がとってもよくなっているのが分かる。
聞きたくはないと思っても聞こえて来てしまう。

寝入れないのはこの夜になっても蒸し暑さが続いていることだけが理由ではない、
自分自身肉体的に疲れていないからもしれない。
と同時にお隣さんからこの枕元の耳にまで聞こえてくる話し声、笑い、
そんな騒音が邪魔してくれている、災いになっている。そう思った。

蒸し暑いのはお互い様。
お隣さんたちとしては蒸し暑いからベッドへと行く時間を遅らせているのだろう。
どうも知り合いやら親戚の人たちが今晩は泊まりに来ているようだ。
明日は週末ということか、仕事に出掛けることもない、ゆっくりとしていられる。
彼らたちの深夜での会話が考えてみると延々と続いている。



続きを読む

オーストリア人の家主との架空会話


本当にそんなドイツ語お断りプレートが張り出されていたのだろうか、
とそんな質問をすること自体バカげているかのような、
その通りは暑い夏の日差しを受けながらも涼しそうな門構えになっていました。

プレートはあったのだろうか!?

今はわたしだけが証人として承認できるのです。
今、そのお宅の門前に立ったとしても、
そのちょっと変なドイツ語にお目に掛かることはないでしょう。

それとも新たな別のバージョンを準備中なのでしょうか。
ちょっと変なドイツ語を世間に、近所に晒していたことに良心が咎めたのでしょうか。
恥の垂れ流しをしていたことに気が付いたのでしょうか。
これ以上恥は掻きたくはない、と引っ込めてしまったのでしょうか。


このお宅では気が変わったのでしょうね。
それともこう応じるのでしょうか。

「何? ドイツ語のお断り書きだって? それは何のことだ?」

「ここに掛かっていましたよ」

「何のことだ?」

「お宅の門にしっかりと張り付くように掲示されていましたよ」

「何かの誤解だろう」

「本当ですよ。わたしはこの目で見ましたよ」

「もしかしたら目の錯覚だろう?」

「そんなことはないですよ」

「この門のどこにそんなものが張り出ていたいうのか。
 実際何も張り付いてはないじゃないか」

「ええ、今はもう張り付いてはいませんよ」

「今も昔も張り付いてはいなかった」

「そんなことはないですよ。わたしはこの目でちゃんと見たんですから。
 ついでにそのドイツ語に付いて一端の薀蓄を垂れていたんですから」

「どこで?」

「どこでじゃなくてドイツ語で云々したのではなく、
 日本語で書いていたんですよ」

「だからどこでそんなことをやっているのか、と聞いているんだ」

「ブログですよ」

「日本語のブログ? わしには日本語は読めんよ。
 お宅日本人なの? この近所で何をしているの?」

「住んでるんですよ」

「この近所に住んでるの? 近所周りの趣味でもあるのかい?」

「近所周りの趣味は持っていませんが、たまたまお宅の前を通ったら
 面白いというのか変なというのか、そんなドイツ語文の羅列を見たのですよ。」

「あんた、ドイツ語が読めるの、そんな顔して?」

「ええ、読めないことはもないです。話せないこともないと考えていますよ。
 今こうしてお宅とドイツ語でコミュニケーションしているのですから。
 尤もオーストリア語ばっかりで喋られたお手上げですが」

「もう何年ここに住んでいるの?」

「お宅さんよりも長いと思いますよ」

「あんたわしよりも長いのかい?」

「ええ、そうですよ。
 お宅の家がここに建つ前からわたしはここに立っていたこともありますよ」

「相当いろんな情報を掴んでいるんだな。
 日本から派遣されてきたのかい?」

「いいえ、個人的にやってきたんですよ」

「何の目的で? 避難民かい?」

「違いますよ。日本国民ですよ」

「だから何でここにきているの?」

「変なドイツ語を探し求めているのですよ」

「変なドイツ語って、そんなドイツ語をあんたは知っているの?」

「いいえ、たくさんは知りませんよ。でもお宅の門前には変なドイツが
 表示されていたんですよ。最初は何なのかわかりませんでしたよ。
 近づいてよく見るとちょっと変なドイツ語でした。
 わたしは嬉しくて関心を持ちながら読めたと思ったら感心していまいました」

「まあ、とにかく我が家の門前にはそんな変なドイツ語とやらを掲げる
 スペースはないから、あんたの言っていることは正しくはない」

「わたしはこの目で見たんですよ。信じられないですか?」

「信じられないね。実際、今ここには何もないしね」

「今はもうないですよ、でも今の前にはあったのですよ」

「ほう、それは初耳んだ。誰かがいたずらしていたのかもしれん」

「そうかもしれませんね。
 じゃあ、お宅はお断り書きを門前に掛けたことはないとおっしゃるのですね?
 賭けますか?」

「何を?」

「掛けたことがないということに対して、ですよ」

「賭けようとも賭けまいとも、掛けなかったものは掛けなかったということになる。
 わしは良く駆けるがね」

「本当に掛けなかったのですか。不思議ですね
 欠けてしまっているのですから」

「こっちこそ不思議だ。
 目医者に行ってちょっと見てもらった良いね。
 目の方は大丈夫なの。ついでに頭の方も?」

「ええ、まだ大丈夫だと思いますよ。
 それにしても不思議ですね。本当に不思議です!」

「不思議な事はこの世には一杯あるよ。
 オーストリアにだって一杯あるよ。いちいち不思議がっていたら
 ますます一杯になってしまってアップアップだよ」

「水泳の話をしているのですか? アップアップ」

「一杯あって泳いで行くのも大変だ」

ミネラルウオーター


それぞれの国にはそれぞれ別々のミネラルウォーター銘柄が見出されるでしょう。
どこの国でも見出される銘柄もあるのでしょうか。
つまりインターナショナルな銘柄ということでしょう。
輸出されているということかもしれません。

あれは何年前のことだっただろうか。
イタリア国でのレストランで飲んだミネラルウォーター(イタリア語で aqua minerale) は何という銘柄だったか、覚えておくのを忘れてしまった。

暑い夏の中でのイタリアで飲んだミネラルウォーターはとっても良く冷えていた、
しかも炭酸ガス入りだったためだろうか、脳天の後がキューンと痛く唸った、と感じた。

ヨーロッパでは水道水よりもミネラルウォーターを飲むのが普通だとの噂を聞いていた。
とうとうヨーロッパにやってきた。イタリアに行った。暑いイタリアを移動していた。

レストランでの食事はなるべく避けていた、貧乏旅行者だった。
でもその日、自分に贅沢を許した。まずはとにかく喉が渇いていた。
水が飲みたい、ということでミネラルウォーター一壜を注文。

生まれたて初めて飲んだ本場のアックア・ミネラーレ。

緑色のガラス壜。

長グラスに注がれたアックア・ミネラーレ。

それはグラスの中で泡を噴き上げていた。
透き通るような水に見えた。
これが本場のミネラルウォーターなのか。
いや、アックア・ミネラーレだ。

ぐっと一気に飲んだ。美味い! こんなに美味いのか!?
冷えたミネラルウォーターはこんなにも美味いのか!?

イタリアで飲んだミネラルウォーター、いやアックア・ミネラーレ、
強烈な印象を受けた。


       *   *
       
今までミネラルウォーターにはどのようなミネラルが
含まれているのか意識しながら飲んでいませんでした。

ミネラルが入っているからミネラルウォーターと称されている
のだろう、普通の水道水とは何か違うもの、特別なモノと思っていた、
というのか、思わされてきていたのか。

レストランでの食事でも、何を飲みますか、と聞かれれば、
なぜか、わたしの場合、即座には飲み物が浮かんでこない、
やっと浮かんでくるとすればミネラルウォーター。それを注文する。

別に飲みたいとは思わない。食べたいからレストランに入ってきた。
飲みたいから入って来たのではない。
でも何か飲まないと帰さないみたいな雰囲気のような。


ミネラルウォーターと称されるウオーターの中にはどのようなミネラルが
含まれているのでしょうか。

ご存知ですか。
少なくとも一つ、例を上げられますか。

マグネシウムが入っている?
これは筋肉の痙攣を予防するのに必要ということで、意識しています。
マグネシウムの入った錠剤を別に買って来て、思い出しては口に含んでいますが、
直ぐ忘れてしまいますね。習慣にならない。まだなりきってはいない。

入っていないのもある?
一体全体、どのようなミネラルが入っているのでしょうか。

万歩計?

確か、万歩計と言っていました。
一万歩歩くと万歩計になる?
何歩歩いても何ら計られていなかったら? 
何歩計だったのだろうか、となるのでしょうか?

万歩も歩けなかったり歩かなかったりしたら?
単に素直に「歩数計」と言う?

万歩計などと名付けるのは現実的ではないでしょう。
この世に一日一万歩も歩く人はいるのでしょうか。
数日間の歩数を合計すれば、まあ、楽々と一万歩は歩いたと言えるでしょうね。

それにしても誰が「万歩計」などと名付けたのでしょう。
万歩単位まで計ることが出来るからそう名付けた?
デジタル表示ですよね。

腰バンドに差し込み体にピッタリと密着されて設置するようになっていました。

一歩一歩と足を前進させる度に振動が「万歩計」に伝わり歩数をカウント、
記憶させるというもののようだったようです。


          *  *

あなたは一日あたり何歩歩いていますか、
ご存知ですか。

もちろん、歩きながら歩数を数えている訳ではありませんよね。

わたしは週二三回、一時間強のジョッギングを始める前のウオーミングアップとして、
目的地の川沿いまで歩いて行きます。しかも同時に歩数を数えています。

大きな声を出して元気に数えて上げているのではありませんが、口の中で
100歩迄数えたら、また1から数え始めます。
その意味でわたしは百歩計です。

100歩単位で数えています。目的地に着くまでに合計何歩歩いたのか、
それは数えていません。
少なくとも1000歩はその日、歩いたと確実に言えるでしょう。
だからその日のわたしは千歩計であったかも。

結局、われながら何の為に数えているのか分かっていないかのようですね。
自己満足に終わってしまうのですよね。




        *  *

昔、といっても遠い昔のことではありませんが、
日本に住んでいた頃、もう20年前ほどだったでしょうか。
今はどうなっているのかは知りません。相変わらず続いているのかも知れませんね。

いわゆる歩け歩け運動が流行っていました!
その流行に乗ってか、歩数を自動的に勘定してくれる、所謂携帯「万歩計」
が販売されていました。

わたしも流行に乗り遅れないようにと、この「万歩計」を買いました。
でも、時々しか使いませんでした。



ある時、日本からヨーロッパ行きの引越荷物の中にはこの「万歩計」も一緒に入っている筈
ということに気が付き、120個以上のみかん箱の中からやっと探し出しました。

(ひとり言、ところで「万歩計」ってドイツ語で何て言うのでしょう?)

実に小さな機器です。腕時計を一回り大きくした小ささです。
このいわゆる万歩計は日本からヨーロッパへと運ばれて来ていました!

さっそく使おうとしましたら、使えない。電池切れ。
当地で同じ電池を探しました。
しばらくは見つけることが出来ません。

日本とヨーロッパではこのいわゆるボタン電池の仕様が異なるのかと絶望的に
なりそうにもなりましたが、やっとのことで見出しました。

ところが一二回使ってもう使わなくなってしまった。
何故か、ヨーロッパにあっては上手く機能しないのか、といったような感じ。

わたしの歩き方が悪いのか、調子を付けて、計器に振動が伝わるように
意識して歩調を合わせていなければならなかったか、
そうしたつもりだったのですが。

歩き終わって計器のカウンターを見たら、何もカウントされていない!
たくさん歩いた筈なのに計器では0歩になったまま。景気の良くない話。
激しく失望した。

勿論、同時はまだパソコン、いやスマートフォンが世に出回っていませんでした。
今はスマホで歩数を勘定させるアプリがあるのですね。
そんなアプリが存在する。
これは凄い進歩だと感心しています。

使ったことがありません。どうやって使うのでしょうか。
そんなアプリを開発した人は凄いと思ってしまっておしまいですが。
iPhoneは 持っていません。残念! Android のスマホではダメなのかも。
アマゾンで「万歩計」を探してみます?

朝起き上がったらすること?



ベッドから起き上がってからはいわば朝のルーティンが一つ一つと行われます。

ベッドからまたは寝床から起き上がって出て来たら、次には何をしますか。
人それぞれかと思いますが、
大抵は洗面室に行って洗面したり、同時にトイレが近くにあれば、
トイレを済ませ、そして歯を磨く人もいらっしゃるでしょう。

この朝起きてから歯を磨くということの意味がわたしには
長らく分かりませんでした。
歯を磨くのは食後と決まっていると常に思っていたからです。
朝歯を磨く人たちの心の中がどうなっているのか、その動機が分かり兼ねていました。

朝起きたら、歯を磨きますか?
わたしは相変わらず、歯は磨かない、でも自分を磨きたいとは常に思っている。
顔クリーム使うようになった。以前だったら考えたこともなかったのに。

ちょっとしたきっかけで、朝の歯磨きについて思い出す。やはり気になるのかも。
歯ブラシが目の前に置いてあることに意識が行く、
いつもとは違ったことをやり始める。
なぜか今回はつい手に取ってしまった歯ブラシ、
口の中が何となくむしゃくしゃしていて気分よろしくなかったので口の中、
掃除する意味で歯を磨いたとか。うがいもついでにやってしまった。


朝のルーティンを終えた後、
いつもの通り、朝食を取るためにと足はキチンに向かう。
朝食を抜く人もいるそうだが、私は抜かない人たちの一人だ。

ドアを押して開けて入ってゆくと、、、、
やっぱり、わがベターハーフが既にテーブルに一人で腰掛けていた。
朝食は既に済んでいたようだ。

わたしは遅れて起床したから、朝食も遅れて取ることになった次第。
時に一緒に起床することもないこともないが、
起床後、朝のルーティンが全く同じように並行してこなされてゆくとは限らない。
男女の違いとも言えようか。

起床後にシャワーを浴びる人いるらしい。
また朝シャンをするとか。
わたしは殆どシャワーを浴びることはないが、
浴びるとしたら就寝前である。シャンプーも。

時に起床後の体に疲れが残っていて、更には部屋の温度が下がっていて、
寒さだるさを感じるので、体を温める意味でもホットシャワーを浴びて、
心身共に完全に目覚めさせる。

さて、キッチンへと入って行って、言った。
 ”Guten Morgen!”

テーブルに向かって腰掛けていたベターハーフは朝の挨拶に応じたが、
心なしかかすれ声、積極的な反応とは感じられない、見えない。
よく眠れなかったのか。

もう一度、元気に言ってみた。訊いてみた。
 "Guten Morgen! Gut geschlafen?"

 "Bei mir schon."

一度挨拶したならば、それでもう良いということなのであろう。
何か映画のセリフ、朝の挨拶の練習をしているわけでもあるまい。

監督の思い通りのシーンになっていないので、やり直したつもりだったのだが、
相手はあまり乗り気でもその気でもないようだ。


続きを読む

三行の個人的な新聞広告




ERWIN 
Ich liebe Dich 
trotzdem!


 ザルツブルクで発行されている新聞。購読しないか、
 ということで2週間ほど、無料でサンプル配達されてきていた。

 その新聞の中、つい目が行ってしまった。
 新聞の広告欄で見つけた、3行の、短い個人広告。

 こんな広告もあるのか、面白い、と思ってしまった。
 いろいろと想像を掻き立てるかのような、ある特定個人への広告。

 Erwin という名の、これは男性だろう、
 ということはある女性がエルヴィンという男性にメッセージを送っているのだ。
 お互いに恋人同士であったのかもしれない。

 彼は離れて行ってしまったのだろう。
 自分からか、それともお互いの了解の下でか、それは分からない。
 彼女の方としては、エルヴィンに対する愛は変わらない、と伝えたいらしい。
 彼の心が変わることを願っているのかも。

 良く見ると、この個人広告を書いた人の名前、
 「誰々から」ということが記されていない。

 書いた人は誰ですか、などと例えば新聞社に電話を入れて問い質したとしても、
 多分一笑に付されてしまうだろう。
 個人情報の保護云々が、この際、ここでも問題になることだろうし、
 電話したとしても、答えは多分出んわ、教えては呉れんわ、となるだろう。
 だからわたしは最初から電話はしなかったが。

 しかし、まあ、よくぞ、誰もが目を通す、新聞に広告を出すことを思い付いたものだ。
 そのアイディアに感心するわたし。それが愛の告白なのか、確認なのか、
 どっちかは分からないけれども、誰もが目を通すであろう新聞紙上に、
 思い付いただけでなく、実行、発表するなんて、
 わたしだったらそこまでする必要を感じない。
 
 恥の文化を体中何年も吸収して来たわたし、
 しかも費用も掛かるというものだろう。
 愛に費用も恥じもないのかも知れないけれども。


        *   *

 オーストリアにはエアヴィンという名のついた男性が数え切れないほどいるということ、
 この人は知っていたのだろうか?

 いや、自分にとってはたったの一人だけ、あのエアヴィンだけ、
 ということは第三者が口を挟まなくとも分かり切ったこと。
 自分の胸の内にあるたった一人だけのエアヴィンなのかも知れない。

 新聞に広告を出さなければならないような緊急な事情があったからだ、
 とも考えられる。

 エアヴィン君は昔から毎日、この新聞を読む習慣だったということを。
 新聞に広告を出せば、多分、自分のことだと思い出して貰えるだろう。

 さて、エアヴィン君は彼女が発信した「個人三行広告」を読むだろうか? 
 それは分からない。彼は毎日欠かさず、この新聞を隅から隅まで読むか。

 私の場合、今回、無料の新聞だということで隅から隅まで読もうとしていたが、
 忙しい人にとってはそんなことをしている暇もないだろう。

 彼女はエアヴィン君から連絡を受けることが出来るだろうか?

 オーストリアにはたくさん、エアヴィンという名の男性がいることだろうし、
 その一人に彼女は最後の、最後の希望をつないだのかも知れない。

 オーストリアでの人間関係ドラマを見るかのような広告だ、
 と感心してしまった。
 
 ドイツ語も良く知っているドイツ語であった。Danke.

オーストリア人の頻用挨拶言葉とは? 



リンツ発― オーストリア人は "Hallo" と言って挨拶することが一番多い。伝統的な "Grüß Gott" の使用は弱まっていたが、またまた広がりつつある。以上、リンツの Spectra世論調査機関によるアンケート調査で分かった。

男性はどちらかというとカジュアルな "Servus" または "Servas" を使い、女性は "Tschüss" をよく使う傾向にある。"Ba-Ba" というのはウィーンの人たち。"Pfiat Di" というのはウィーンでは知られていない、寧ろウィーン以外のオーストリア国内で使用されている。

調査結果↓

調査結果を古いデーターと比較すると、"Hallo" は20世紀から21世紀に入ってから著しく進出してきた。1999年にはたったの51パーセントの人たちに使用されていたのが、そうこうするうちに74パーセントとなった。

続きを読む

15年前の結婚式でのちょっとしたイベント





何かを感じたのだろうか、背広のポケットの中に手を突っ込んでみた。
何かが入ったままだった。
ティッシュペーパーかそれともナプキン風のペーパーが四つ折りになったものが出て来た。
それから何らかの紙片も出て来た。

何だろう、この紙片は、と手に取って目を近づけて見ると、何かが記されている。
「本日(1999年9月11日)、私たち二人はリンツで結婚しました。
新婚のわたしたち二人は”おめでとう”のメッセージを
東西南北どこからでも下記の住所まで送って頂ければ嬉しい限りです」

なんだろう、一瞬不思議な思いになったが、直ぐに納得した。
前回参加した結婚式に着て行ったこのスーツは
当時の事情、状況の一部をそのままポケットの中に
大事に保存、保管されていたのだ。

ペーパーナプキンは多分、結婚式の後の、レストランでの食事の際の、
殆ど汚すこともなかったそれを後々何かのために利用出来ると思って、
四つ折りにして背広のポケットに忍ばせたと思われる。

そして小さな紙片は、結婚式が教会で終わった後、
参加者たちは皆教会の外に出て、
披露宴が催されるレストランへと三々五々、
といっても皆車で移動したと記憶しているが、確かではない。

レストランの外、一人芝生の庭で立食パーティーだったのだろうか、
それともレストラン内での食事の準備が出来るまでの、
外で待っていたのだっただろうか。
それとも外ではある仕掛けが待っていたのだろうか。

風船が参加者一人ひとりに配られていたようだった。
風船には細い糸で結ばれた紙片が付いていた。
紙片には何が記されていたのだろうか、あまり注意して見ることもなかった。

参加者のほとんどが紙片の付いた風船を手にした後、
合図と共に一斉に、皆一緒に風船を空へと飛ばした。

というか紙片を手離すと、風船は紙片をぶらさげたまま空へと高く、
それぞれが思い思いに適当な方向へと舞い上がって行った。

結婚したという告知を風船を飛ばして、
風船を天から地上に舞い降りてくるのを発見したり入手した人は、
紙片に記されたメッセージを読んだら、
そして結婚おめでとうの一報を私たち二人宛に希望する
といった文言が印刷された紙片だった。
それがスーツのポケットの中にずっと収まったままだった。


        *     *

           *
 
それだけのことだった。
どれだけ「おめでとう」の一報が届いたことだろうか。

紙片が15年間、スーツのポケットに眠り続けた、
それが目覚めた、いや目覚めさせられた。

それにしても配られた風船は上空へと飛んで行って消えてしまった筈なのに、
糸で括りつけられた紙片だけがポケットの中に残っていたとは
どういう事情だろう。

紙片だけを外してしまい、風船だけを飛ばしたわたしだったのだろうか。
当時のことはもう覚えていない。

つづく


どうぞお帰り前にワンクリック。
いつも応援ありがとうございます。
Danke! ↓↓

人気ブログランキングへ

今回、結婚式に参加する前でのことだった、、



先月、結婚式に実に久しぶりに招かれました。

今回も身内の結婚式でしたが、
先回、我が奥さんの一番下の、妹さんの結婚式があったのがいつのことだっただろうか、
全然覚えていませんでした。
もちろんご本人たちだったら、特に妹さんだったら覚えていることでしょうね。
そしてご主人も、多分。


身内の結婚式に参加するのは、わたしにとってはこれで二回目だったと思います。
三回目も近い将来にあり得るかも知れないですが。

それはそうと前回、参加した結婚式が1999年のことだったとは!
どうして知ったのか、想像が付きますか。
多分、付かないでしょう。わたしも完全に忘れていました。
問われたとして、回答に窮していたと思います。
もちろん、ご本人たちに聞いた訳ではありません。
意識的に調べた訳でもありません。
インターネットで検索を掛けた訳でもありません。





          *   *

今回(2014年)の結婚式は冒頭でも触れましたように、5月でした。
既に一ヶ月前に招待状が郵送されて来ていました。

「結婚式には何を着てゆくの?」

我が奥さんは心配してくれる。
別に普段着で良いとわたしは思っていました。
新たに一回限りの結婚式参加のために新調することもないだろう、
前回の結婚式に着て行った上下の夏用スーツがあるではないか。
今回も着て行く積りでいた。

取り出して来て見ると、前回着て行った上下の夏用薄地スーツは
薄水色で近くてみると何となく汚れが付いているように見えたが、
洗濯屋に持ち込んで綺麗にさっぱりとさせる程でもないと思った。

それよりも先ずは試着して見なければならない。
ちゃんと着れるのか、ズボンはちゃんとチャックを閉めることができるのか。
取り出してきて、試着を試みました。
(試着を試みた? まるで馬から落ちて落馬した、と言っているようにも聞こえるではないですか!?)

それはさて置き、上下のスーツを試着しました。
鏡の前で自分の姿を映してみました。

両肩、両腕を腕体操よろしく左右、上下に振ってみました。
別に窮屈を感じる程でもない。
太ってしまって、特に腰回りが大きくなって履けないのではないかと
恐れたが、ありがたいことに杞憂であった。

ズボンの腰回りもそんなに窮屈には感じない。
年を取ると共に腹はぽっこりと出て来ていたと言えないこともないが、
それでも太る質ではないわたしのなのか、
当時の痩せていた時分に購入したスーツは
今日にあってもフィットするものであった。

つづく→15年前の結婚式でのイベント


どうぞお帰り前にワンクリック。
いつも応援ありがとうございます。
Danke! ↓↓

人気ブログランキングへ

オーストリアのサウナ初体験、”裸の真理”2つ



         *   *

                  *   *


いわゆるイースター休暇が始まる前の週末、
オーストリアは有名な観光地 Salzkammergutにある、
ある保養ホテルに行って来ました。
温泉になっていますが、
日本人の感覚からすると全然熱くはありません。生温い!

 室内プールもあれば室外プールもある。
これから真夏がまたやってくると戸外プールは大繁盛することでしょう。

因みに、戸外プールのことをドイツ語では Freibad と称しています。
初めて耳にした時には”無料のお風呂”がオーストリアにはあるのか!? 
と思ってしまったことが思い出されます、思い違いでしたが。

 普通、どこの戸外プールであろうと周辺に広がった芝生の上では
水浴客たちの家族たちや友達同士が思い思いに時を過ごしています。
休養と日光浴と談笑といったところでしょうか。

勿論、男性は上半身、裸。女性は? 
多くの女性はビキニですが、芝生では上半身、裸という人も観察されます。

いわゆるFKKにいけば、
男性も女性も生まれた姿そのまま、右往左往していますね。
まるで見てきたかのように書いていますが、
わたしはまだ一度も行ったことも体験したこともありません。
が、Wellness Hotel に行けばそれに等しいことを体験できるというか、
目にすることが出来てしまうようです。



                *   *

Wellness Hotel と言えばサウナは付きものでしょう。
こちらがメインと言っても良いかも。

サウナにもいろいろなタイプがあります。
有名なフィンランド風サウナもありました。
勿論、体験しました。
こちらはとっても熱いです。
摂氏100度。直ぐに汗を掻きます。

女性専用のサウナと銘打ったちょっと匿ったサウナももありましたが、
つまり男性禁制のサウナもありましたが、普通はいわゆる”混浴”サウナになっている。
男性女性と区別しません。裸になってしまば、男も女も関係ないといったふうでした。

こうした保養を兼ねた滞在者たち、
特にサウナが目当ての人たちとは大体年配の人たちばっかり。
わたしはまずは一つ、この”真理”を発見しました。

もちろん、サウナ場へと行く人たち、特に女性たちは白い、または黄色い、
大きめなタオルやらマントを着て、肝心の場所を隠すようにして歩き回っています。

が、サウナの中に入ったら、もちろん、真っ裸。
男女とも同じ空間の中で一緒に汗を掻く。
それが気持ち良い。健康に良い。
汗を掻いている裸体をお互いにさらけ出しているとでも言えるでしょうか、
でもそれが何か!? といった風で別に何の不思議もない。



         *   *
                     *   *
                              

 

続きを読む

一分間の、停電の怪


本日(020208)、午前9時20分、コンピューター画面に向かって、入力作業をしていたら、何の前触れもなく、突然、コンピューターのスイッチが勝手に切れ、コンピューター画面も真っ黒になってしまった。

それまでに入力していた文書が全部、パーっと消えてしまったかも、と大いに恐れた。

何が起こったのか!? 電気会社からの停電通知は前以て貰ってはいない。
我が家の電気供給システムに突然異変でも起こったのだろうか。 

ヒューズでも飛んだのか、と配電盤を確認するために一階に降りて行って、配電盤を開けて、確かめてみたが、別にヒューズが飛んでいるようでもない。


こんなことはオーストリアに住んでから、今まで一度も経験したことがない。
初めてのことだ。

停電なら停電と前以て、電気会社からの通知やら警告やら予告やらが届いて来ることになっている筈だ、今までの経験によると。

しかし、緊急の停電ということもあるのかもしれない。
その場合は顧客に通知する間もなく停電を決行してしまうことになるのか。
今回は正に晴天の霹靂、緊急停電ということか。

本日のこの予想だにしない、唐突な停電は一体全体なんなのか!?
停電だから停電であって、停電に対して云々する必要もないようだが、何か腑に落ちない。
落ち着かない。これからも頻繁に起こるのだろうか。

仕方ないな、と配電盤の戸を閉めて、自分の持ち場に戻ろうとしたら、食堂の方からカチカチと音が聞こえてきた。食堂にはステレオコンポが置いてあって、常時スタンバイの状態にしてあるのだが、このカチカチ音、CD装置に電源が入ったということだ。

この間、一分間ぐらいに思えた。

題して、一分間の、停電の怪。

コンピュータのスイッチを入れた。
案の定、作成中だった文書はパーと消えてしまっていた。
まったく何と言うことだ。恐れ入った。

電気会社に報告するためにも、今日は停電のことについて書くことになってしまったが、
作成中だった文書を返してくれ、と苦情を言っても返してくれないだろうし、
まったく、この停電、予想を、想像を超えている。
一度起これば、これからは予測はできないこともないが、
停電は稀なことと心得て生活している、コンピューター入力作業をしている

今となっては、想像することもできるが、こんなことも起こるのかとオーストリアでの、ちょっと不可解な事情をまたも学んでしまった。

これはひとり言。
この経験から何を教訓とするか、と言えば、入力する度に、即座にデーターを保存してくれるようになっていなかった。一語一語書いては保存、保存と手動でやっていけば良いのかもしれないが、それではちょっとかったるい。

この一分間の、停電の怪を初めて体験したということで、今後、同じことが何の前触れもなく起こったとしても慌てないように対応策をとっておくことを悟らされた。入力作業をまた最初から繰り返さなけらばならない、この苛立ちをどこへ持って行けば気が済むのか?

対応策をどうするか、今日一晩寝て考えて見よう。


続きを読む

新発売の日本製デジカメを持ってオーストリアに移住




海外に移住するに当たっては、 日本からは何を現地に持って行くか、
何を持って行かないか、 何を選択し、何を諦めるか。 

何も持っていかない? この身柄だけを持って行く? 
あとは全て現地調達としようか? できるものなら奥さんも現地調達?

出来れば日本で使い慣れたもの全部を持って行きたいと思った。
確かに、現地で調達出来るものもあるだろう、
だから出来るだけ身軽で行きたい、
何故なら色々なモノを国際的に移動させるにも引越し輸送費用が嵩むことだろう。




         *   *

当地オーストリアへとやって来る前、日本での買い物は慌ただしかった。

オーストリアでは多分買い揃えることが出来ないだろうと予想して、
当時日本で発売されたばかりのモノ、 以下の通りを購入した。

(1)デジカメ(キャノン製)

(2)ノートパソコン(日本語のOS Windows95インストール済)(富士通製)

(3)ポータブルのPC用カラープリンター(キャノン製)

(4)ビデオカメラ(ソニー製)

(5)卓上蛍光灯(ナショナル製)

どれも新品を一括購入、リュックサックに背負って運んで来た。
よくぞ持って来れたものだと自分でも回顧して思う。
問題なく自家運搬出来る事になっていた?


日本製のファックス機も序に購入して、
スーツケースに入れて持ってこようかと思ったが、
PCにインストール済ソフトの中にファックス機能が付いている筈
だからということでファックス機は諦めた。
嵩張るし重たい。 

日本で長らく使用していた、愛着のある、
だから一緒に持っていきたかった日本製テレビも、
日本製ビデオデッキも、日本製自動洗濯機も、
日本製電気冷蔵庫も、日本製電気炊飯器も、
日本製自転車も、日本製ベッド、
日本製ソファーも、その他もろもろ
(もう思い出せないが、全部日本製)も、
日本では二束三文で売り払ってしまった。

マイカーは持っていなかったので、売り払うことは出来なかった。
アパートは借り物だったので売却出来ず、返却した。

冒頭の(1)(2)(3)日本製品はそのままオーストリアでも
何ら問題なく使用出来るだろうと考え (同じ先進工業国ではないか!?)
安心して日本で上記のデスクワーク製品を購入、
オーストリアに持って来たのだったが、
やはり想像力不足でもあったのか、何とかなるだろう、
といった風に気楽に単純に物事を捉まえて安心していたためか、
現地にやって来てみれば、初めて否定し難い幾つかの現実に直面しなければならなかった。





当時とは1997年。春、四月だった。
カメラといえば普通の一眼レフのカメラ等をまだ意味していた。
デジカメはまだオーストリア市場に出回り始めたばかり。

そのデジカメをオーストリアに日本を代表して持参、街中、
小さな液晶画面を見ながら写真を撮っていると、
ファインダーに目を近づけて焦点を合わせるという風でも無く、
ちょっと見慣れない仕方で写真を撮ろうとしていたからか、
つまり自分撮りをやっていたのだが、
両腕を高く掲げて液晶画面を見ながら写真を撮ろうとしていた、
そんな姿が珍らしかったのだろう。
カメラを自分に向けているのだから。

『何だ何だ、それ!? 新型のカメラか、見せてくれ!』

『触らしてくれ』

『どうやって撮るんだ?』等々、

色々と話題を提供する珍しいそうな新種のカメラであった。
わたしが持参したデジカメはメモリー容量が決まっていて、
一枚につき26KB前後、90枚ほど撮れるというもの。
電源としては1.5Ⅴのアルカリ性電池4本を必要とするものだった。
掌で握るようにして持ち運びが出来る携帯型のコンパクト・デジカメ。

このデジカメを頻繁に使用するうちに、
この日本製デジカメは電池を物凄く食うということ、
しかも当地オーストリアでは電池一本、
つまりデジカメ補充用に4本セットを買うとしても、
日本よりもべら棒に高価であることを知った。

オーストリアでは電池が他のものと比較してみると何故か例外的に高い! 
ということで内心憤慨した覚えがある。
それだったら、日本から大量に持ってくればよかった、と。
まあなんとかなるだろうではなんとかならなかったことになる。

デジカメの利便さもさることながら、
3、4回使うと電池のパワーはもうなくなってしまい、
電池を食うだけでなく金食い虫になってしまっていた。

日本からデジカメを持ち込んで来ても
当地で調達出来る乾電池が結構高価ということでは
最新のデジカメを当地で使用するにも対費用効果(高価?)を考慮に入れると
このまま使いこなして行くのもちょっと高くつきすぎると考え、
デジカメの使用頻度も次第に減ってしまった。


当時、普通のカメラ愛好家たちの間でもそれなりのプロ的な視点から、
カメラ本体内臓型メモリーよりも取り外しが利くスティック型メモリーの方が良い、
とわたしに提案してきた人がいた。

今ではデジカメのメモリーもスティック型になっているのを見ることが出来る。
バッテリーも専用のモノが開発され搭載されるようになった。
普通の電池はひつようなくなった。
が、我がデジカメはこの普通電池を必要とするモノに留まったままだった。


オーストリア国内のカメラ市場では普通のカメラを抜いて、
デジカメが半分以上席捲するようになったという報道を昨年末だったか、聞いた。
店頭に並べられているデジカメを見ると、殆ど日本の会社のブランド製ばっかり。

当時、デジカメと言えば、世界では日本が始めて発売し始めたのではなかったか。
デジカメも改良に改良が加えられて、
デジタル画像も普通のカメラの画像と遜色のない素晴らしい出来映え。
そんな最新のデジカメが欲しい! でも、先立つ元手が手元にない。

余裕が出来たら、毎回電池を4本セットで買わなくともすむ、
別のデジカメを買おうと思っている。

(2003-10-28)

続きを読む