ブルックナーハウスでのアンコール


 アンコール! アンコール!
(ドイツ語では ”Zugabe!”、”Zugabe!”)と聴衆が叫んで要求することもあれば、拍手喝采をいつまでもいつまでも?求め続け倒しているかのような場合もあるのでしょうね。

 ブラボーと叫んでいる人もいます。また、耳にキンキンする口笛、いや指笛を吹く人もいるようです。
床を両足でドンドンと叩いて、この時とばかりに運動不足を取り返そうとするかのような人もいますね。
すべて私は体験済み。





            *   *

 2、3ヶ月前のことだったか、オーストリアはリンツにオーストリアの有名作曲家ブルックナーの名を冠したコンサートホール、Brucknerhausブルックナーハウスと称していますが、ドナウ川沿いにあります。わたしにとっては長い間、その建物は高嶺の花の如くただ外から眺めているだけといったわたしとは何の関係もない建築物だと思っていたものでした。

 ところが、何年かが経って、自分だってその建物の中に入って音楽芸術を鑑賞することが出来るようになったのか!? と自分の変貌ぶりにちょっと驚いていましたが、今では身近に芸術に接することが出来るような立場に立っているのだと理解出来るようになりました。

続きを読む

パパパジャマは短パジャマ


   *   *

朝、起床してみると、痒くて痒くて堪らない。
惨めにも蚊に刺された後が赤く腫れている。
つい何も考えずに痒い個所をボリボリと掻いてしまう。

蚊に刺された後の痒み、睡眠中に刺されたことは火を見るよりも明らか。
蚊をいちいち見ることは出来なかった、寝室内はまっくらだし。

熟睡していたからのないか、何をされても、刺されても、そして刺されていても肌が鈍感になってしまっていて、というか意識がなかったからか気がつくこともなく無反応のまま刺されるままになっていた。

時々、夢を見ているかのような自分。
それとも半分は目覚めていたのか、それともトイレへと行く時間が来ていたのか、意識が戻り目覚めもはっきりとしてくる、と蚊が顔の近くを唸りを上げて飛んでいるのが聞こえるではないか!

唸りが止まった。
顔面のどこかに着陸したようだ。と同時手の平で顔面を適当に叩く。
命中したかどうかは確信は持てない、暗い中での半意識的な反応だ、ライトを付けて確認するまでもなく、
そのままベッドに横たわっていた。朝はまだ来ていないのだから、と。

両足、両手、両腕、顔と皮膚が完全にカバーされていない箇所には蚊の刺した後が幾つも見えた。

夏が来る度に、蚊の犠牲者になってしまう。



        *

パジャマ使用後感:サイズ洗濯選択を失敗してしまったようだ。
ちょうどのサイズだと思って買ったのだが、
実際に履いて、これで自己防衛が出来るぞと安心してベッドに入ってみると、
翌朝起きてみると、足首やら足の甲やらに喰い付いた後がいくつも見える。


次回はもっとサイズの大きモノ、つまり両足が全部隠れてしまう長さ、サイズのモノを選択しよう。
そしてもちろん汚れたら洗濯に出す。
短いモノよりも長いモノの方が利用価値が(わたしの場合に限ってだが)増すというもの。
長いものには巻かれろ、ともいう。巻かれるというか、身に纏う。そして外敵から身を守る。

実は上下のセットになっていたが、上のシャツは半袖であった。
長袖はないのかと探したが、なかった。
夏の期間中のパジャマ販売であったからだろうか、それにしてもズボンの方は長いので良かったと思ったのだが、そのまま半袖(Tシャツに等しいもの)を買ってしまった。

長袖は別のもので代用できるだろうと思った。
今まで半袖の寝着を着ていたのが、それも自己防衛のためにと長袖の下着を身につけるようになった。
蒸し暑く汗を書きながらの就寝を好むかのように。

両足は隠された、両腕は隠された、だから隠された肌のところには”吸血鬼”も諦めざるを得なかった。
が、隠されていない所がまだ他にもあるといことを臭いで感じ取ったのか。

もちろん、隠されていたからとて外敵は攻めてくることは出来る。全身の肌が外敵から隠されていなければならないかったのだ。

就寝中、時にうつ伏せにベッドに寝転がっていると、首筋が露わになる。
そこを目掛けて何匹もの蚊が襲ってきていた。

この両手の裏表もそうだ。顔面もそうだ。

「次は靴下を履いて、手袋をして、手拭いを首に巻いて寝るしかないな」と思った。


そうこうするうちにその年の夏は終わり、本格的な秋を迎え、蚊も姿を消してしまった。
毎年同じ事を繰り返して、ちょっと我慢していれば、いつかはこの状況も消えてゆく。つくづく自然に任せる自分、そんな自分はオーストリアで寝起きしていてもこの身、この心は日本人だと思えてきた。

蚊対策は消極的であった。
寝室の開け放たれて窓から勝手に侵入してきてどこか部屋の隅にでも隠れて、夜になると出没してくる蚊たち。蚊等の昆虫の侵入を防止するために寝室の窓にはネットが張り巡らされている。が、風雨に晒されたままになっているので、いつしか綻んできてしまっている、そんな穴等を目敏く? それとも嗅覚で見出しては寝室の中まで侵入してくるようになったのだろう。

実は寝室の窓にネットを設置しても、窓からの侵入はほぼ防げたとしても、ドアーが開けられれば、家の中、他の部屋等からの移動もあり得る。とにかく寝室は蚊の溜まり場になりやすくなっているようだ。

特にわたしの血が好物のようで、わたしは集中的に狙われる。

パジャマパジャマ長パジャマ!?




日本語の早口言葉があります。
生麦 生米 生卵

この例に倣って、わたしなりの新たな早口言葉もどきものをタイトルにしました。
パジャマパジャマ長パジャマ!

黄パジャマ、茶パジャマ、赤パジャマ、パパのパジャマはパパパジャマ。
パパパジャマはパジャマのパジャマで長パジャマ!

   
    *  *

隣町のスーパーまで自転車を駆った。
木綿のパジャマを買った。
もちろん、男性用、自分用。


    *  *

チラシ広告:そのスーパーで今、パジャマが売りだされている。
それはチラシ広告を見て知った。

家には郵便局を通して、色々なチラシやら広告が届く。
毎週、定期的に。

オーストリアの郵便局の郵便配達人がオートバイや専用の黄色い車に乗って、各家庭に配っているらしい。

そんなことを発見して最初は面白いと思った。
日本にいた時には購読新聞の中にチラシが入っていた。
当地オーストリアでも確かに購読している新聞にも時々チラシが入っているが、目立つ程ではない。

後で自分なりに理解したのだが、郵便局もオーストリアの場合は銀行の資本が入っており、結局は儲けなければならないのだ。

チラシ等は正に文字通り散らしっぱなしにする、つまり手を付けることもなく、殆ど必要ないものばかりで直ぐにゴミ箱行きになってしまう。それでも一応さっ~と目を通して置く。
世のトレンドを一応、念頭に入れておくという作業とも言えようか。

今までずっと入手したいと思っていたものがたまたまと言おうか、タイミング良くと言えようか、それが売り出される予定だと宣伝している。
そうすると特別に意識してチェックしておく。

発売日または発売期間中に店まで出かけて行く。
毎日の買い物というわけではなく、必要なものが売り出されると分かったら出かけてゆく。
いわゆる衝動買いはしない。目的買いのみ。



          *   *

パジャマ購入:そう、パジャマを買った。それだけのために往復2時間の自転車を駆った。
何故買ったのか。
これは自分にとっては絶対に、是非とも必要だ、これを身に着けていれば守られるだろうと思ったからだ。

何故絶対に、是非とも必要だと思ったのか。
今(当時)は夏が続いていた。そろそろ秋へと向かいつつあったが、それでも寝室の中、ベッドの上、掛け布団の下での睡眠はまだ蒸し暑すぎて、また肉体的に疲れていないためか容易には寝入れないことも度々。

とにかく、ベットに寝転がっても蒸し暑いから、睡眠中に布団を跳ね飛ばしてしまったりして、気がついてみると夜着のまま何らのカバーもなしにベッドの上に横たわっていた。

そうすると待ってましたということか、肌けた箇所に集中的に襲撃してくるのだ。
オーストリア人の中には裸のままで寝る人もいる、ということは一度当人に確認したことがあるので、そうなのだろう。

夏だから、蒸し暑いから、ということで半袖半ズボン風パジャマというのか、
寝着を身に着けて今まではベッドに入って寝転がっていた。

肌を曝け出すのは体温調整という観点からも意に叶ったもの。
蒸し暑さから少しでも解放されて、できるだけ快適に寝過ごせるのを期待している。




           *    * 

レジでのカード支払い:スーパーのレジでデービッドカードで支払いますと宣言して、
そのカードをカード読取り装置に差し入れようとしたら、
レジのおねえさんが、私の入れようが間違っていると見たのか、こう言った。
「        」

もちろんドイツ語で言ったのだが、ここに書きれようとしても何と言ったのか忘れてしまった。
何と言ったのか思い出せない。初めて聞いたようにも思えた。でもその意味は伝わってきた。

日本語で言えば、裏返して入れてください、ということになるのだろう。
それても前後逆にしてください、という意味で言ったのだろうか。
カードを読み取り器に差し込む方法としては裏表を別にするか、前後を別にするか、この4通りしかない。
が一つ一つ試す必要もない。レジのおねえさんは勝手をしっているから、直ぐに正しい方法で挿入することは了解している。

でも何度となくカード読み取り器の中にカードを差し込むということを機会がある度に体験しているのだが、裏か表か、前か後ろについてはハッキリとは記憶していない。毎回、手にしたカードを何の考慮もなしに差し込んでいる。正解でないときには何をかを言われるから、言われたらやり直す。

わたしはカードの表を上にして差し入れようとした。ダメだ、と。
そんなことはもう常識だという人もいるだろう。

わたしは毎日買い物に出掛ける主婦ではなく、時々だけ買い物に出掛ける主夫だから、
裏か表かいちいち覚えていない。
覚えたとしてもいつのまに次回の買い物の際には忘れてしまっている。

カードでの精算の仕方も分からないの? 仕方ないわねえ、
とそのレジのおねいさんがわたしのことを思ったかどうかは知らないが、
上にしたり、裏にしたり、やっとカードが認識され、支払いは済んだ。

レジのおねいさんが、links という単語を使って、表現したとは思えない。
別の単語を言ったようだ。

ひっくり返して、前後を逆にして、裏表を逆にして、この3つの表現の一つを使ったかと思われる。
方向を違える、変えることを表現する。          




       *   *

パジャマの包装の中身(ドイツ語解説):家に持ち帰って、透明のプラスチック袋から中身を取り出した。
中に一緒に入っている商品の写真やら説明を仔細に眺めていたら、ドイツ語ではパジャマとは言わない。
Schlafanzug と表現してある。日本語に訳せば、「寝着」だろうか。

ヨーロッパは他の国々でも同じものが輸出され売られるということなのか、
イタリア語では Pigiama、
フランス語では Pyjama、
オランダ語では Pyjama と表記されている。

ドイツ語の簡単な取り扱い説明を見ると、まず Separat waschen と出ている。
洗濯方法を指示しているのだろう。色物だから白物と一緒には洗うな、ということだろうと理解した。
尤も洗うのはわたしの役ではない。我が奥様が洗濯機を利用するだけのことだ。


           *

「新しく買ってきた衣類等は着る前に洗濯しなければならないのよ」と我が奥様が言う。
 どうしてそんなことを言うのだろう。
 昔からの伝統?

「そんなことしなくても、汚れた洗えばいいんだよ。電気と水を節約しなければ」
 
取り扱い説明には、 auf links waschen und bügeln とも記されている。
おやっ、と思った。
これはどういうことだろう?

別に難しい単語で書かれているわけでもない。
どの単語の意味は一応知っている。でも、3語一緒になった、
この指示 auf links waschen 、これは意味がよく取れない。
というより面白い言い方だと思った。

なぜ面白いと思ったのかというと、洗濯するに links 左、または左側とはこれ如何に? 
と思えたからだ。

左側に洗濯せよ? 
そんな風に文字通りには読み取れるけれども、左側にってどういう意味なのだろう。


          * 

ドイツ語で右、左、その意味:links という単語は知っている。 
links があれば、 reichts も序に思い出す。
auf rechts waschen という言い方もあるのかも。

auf links waschen とはどういう意味なのだろうか。面白い表現だと感心してしまった。

左側に向かって洗え? 左側へと洗って行け?
直訳しようとしても、全然意味が通じない。

auf links waschen und bügeln
左側に向かって洗え、左側に向かってアイロン掛けしろ? どういうこっちゃ。
こちら→薀蓄を傾けている、ドイツ語で。


一日切符の購入を巡って(続き)


             *   *

家に戻ってきた。

自分の机の前に腰掛け、切符を取り出し、つらつらと眺めていたら、この切符は今日、今日という一日だけに使用できるように日時がプリントアウトされているのではないのかと思えてきた。
明日の使用のために買ったつもりだったのだが、明日の使用にはなっていように思えてきた。

どうなんだろうか。ああ、これは今日一日使用のチケットだと直感した。
取り替えて貰おう、と思った。
すぐに取り替えて貰わなければならない、と思った。
こんなの持っていても仕方ない。使うつもりは全然ないのだから。
間違って購入してしまったのだ。



             *   *

すぐにでもまた自転車を駆って、今度は隣町の駅舎まで急行しようと思った。

家の外に出て、ガレージから自転車を取り出し、出発しようとしていたら、お隣の奥さんがちょうど仕事から帰ってきた所だ。

車から降りてくる所を捉えて、訊いてみた。
さっき買ったばかりの切符を見せながら、これは今日使用用の切符でしょうかね?

チケットの表を見せ、裏を返しても見る。
彼女も確信を以って答えることは出来ないようだ。

と、裏側には電話番号が書いてあった。
コールセンターに電話できるようになっている。問い合わせができるらしい。

そうだ、切符を交換して貰うために直接駅に出向いて行く前に、電話して問い合わせれば良いのだ。無駄足を踏まずに済むだろう。

奥さんにもそう説得され、自分でもそう納得して、お礼を言った後、直ぐまた家の中へと戻った。

コールセンターに電話した。
只今コールセンターの電話は全部ふさがっています。次はあなたの番ですと録音済みのアナウンスが聞こえてくるが、いくら待ってもあなたの番はやってこない。

だったら直接駅に電話をして訊いてみよう。
電話番号をインターネットでサーチ。
どうも該当する電話番号は存在しないのか、隠されているのか、発見できない。

結局、駅への電話等の問い合わせは全部、一括してウィーンにあるらしいオーストリア国鉄のコールセンターに顧客からの問い合わせは集中化させているらしい、そのように思えてきた。

じゃあ、もう一度、コールセンターに電話をしよう。
まあ、またもおなじようなアナウンスを聞かされる。
録音されたアナウンス。
相変わらず全部の電話はふさがっていると伝えてくる。
次はあなたの番です。しばらくは忍耐してください、などとも言ってくる。

待てども待てども自分の番は回ってこないみたいだ。
結局、何度試みただろう、少なくとも3回掛け直したと思う。
毎回、同じような応対。待ってください、次はあなたの番ですよ。

あなたの番は待っていても回っては来ないようだ。
全国からの問い合わせにコールセンターの電話は塞がってしまっているのだろう。
まるで電話局に問い合わせの電話を入れた時と同じような状況ではないか。
コールセンターの電話数が足りないのではないのか。



         *   *

やっぱり隣町のWels駅まで直接出向いて、窓口で手続きをすれば良いのだ、と思いながらひたすら自転車を駆った。今回は結構急いだ甲斐もあってか40分程で目的地に到着できただろうか。

駅入り口横の自転車置き場に自転車を駐輪させ、直ぐに二階へとエレベータに乗って、切符販売、問い合わせ等のカウンターが入っているガラスドアーの向こう側へと、ガラスドアーは自動的に開いたので、何もせずに直進、カウンターの方へと進んで行くと、男性、女性の二人がカウンターに腰掛けている。

どちらにしようかなあ、と思っていたら、女性の方がわたしに声を掛けてきたので、女性の方へと向かった。

事情を説明、切符を切り替えて欲しい、と告げたら、
「それは出来ません!」

支払った代金を返して貰いたいのではない、明日から使える切符に変更して貰いたい、と告げた。
「それは出来ません! 新たに切符を買うしか方法はないです」

「お金は既に支払ってあるのですから、切符を代えて欲しい」

「それはできません!」

「支払った代金を返して貰いたいというのではなく、別の切符に交換して貰いたいだけですよ」

「できません!」

出来るものと思って自転車を駆ってやって来たのに出来ないという結論を知らされた。
気を利かしてくれたのか、引き出しから書類を一枚取り出して、手渡してくれた。
必要事項を記入してウィーンの顧客サービスセンターに郵送してください、と。

「支払った代金は返して貰えるのですか?」

「それは分かりません」

返して貰えないとも、返して貰えるとも、教えてくれない。
返して貰えるかもしれない、返して貰えないかも知れないということなのだろう。
どっちなのか。

自分が決めることではない、ということなのだろう。
だから「分かりません」ということなのか。

なんだかんだということで記入するにも一週間ちょっとが過ぎてしまったが、代金払い戻し申請書(FAHRPREISERSTATTUNG)ともいうべきものに必要事項を記入して、もちろん購入済みの、でも未使用の、本物のチケットを証拠物件として同封、ウィーンに向けて郵送した。

さて、払い戻されてくるのか。

拒否される理由はないとは思うのだが、
カウンターの女性の「分かりません」という返事がちょっと怪しく聞こえた。
何だかんだと知らない理由を付けて拒否してくるかもしれない。そんな予感がする。
それこそわたし自身も「分かりません」だが、、、、。




*   *

さて、喩え話として書いてみたい。

コールセンターに電話がようやくつながったとしよう。
わたしの番が回って来たとしよう。

どんな会話が展開されるだろう。
やはり、同じような展開となるだろうか、Wels駅のチケット販売窓口の女性係員と同じような顧客を喜ばせる満足させるサービスは余り重視していないような回答が返ってくるのではないだろうか。

顧客の問い合わせやら苦情に対してはあるパターンの沿った返答の仕方例文集が出来ているのではないかと。
一方的に顧客の言うこと何でもかんでもそう簡単には受け入れない。聞く耳はあるかもしれない。でも、受け付けないということが基本路線になっているのでは、と勘ぐりたくもなってしまう。

一日切符の購入を巡って


地元の、無人鉄道駅まで出向いた。

チケット自動販売機で地元から隣の Linzまでの往復切符を買うためであった。

fahrkartenautomat.jpg

駅までやって来て見ると自動販売機の上の方に赤い大きめな字で何か書かれているようだ。
故障中とでも書かれてあるのか、
近寄って見ると、赤字で書かれた文が読めた。

プラットホームの改修工事中とのことで、列車の出発、到着ホームが今までとは異なった所に移動した、と。



そんなことよりも切符を買いに来たのだ。
ここに来る前に銀行のATM機から卸した20ユーロが一枚財布の中には入っている。
切符を現金払いで購入するためであった。

チケット自動販売機の画面にちょこっと手を触れた。

選択肢を幾つかクリックして、最後に代金をスロットに入れるように要求してくる。
財布から20ユーロ札を取り出し、挿入。
吸い込まれたと思ったら吐き出されてくる。おかしいなあ。
もう一度、試す。同じように吐き出されてくる。どうなっているのだ!?

よくよく画面を研究すると、20ユーロ札は受け付けないとなっている。
20ユーロ札の画像に×印が見えた。50ユーロ札にも同じ×印が見える。
最高でも10ユーロ札の画像には×印が付いていない。つまり10ユーロは受け入れるとなっている。

10ユーロ札は持っていない。わざわざ20ユーロ札持参したというの切符が買えない。
どうしよう?
諦めて家に帰ろうか。
ここまでやって来てまた振り出しに戻るのか。
10ユーロ札を準備しなければならない。

無人駅の前には人通りが殆どない。
わたし一人が自動販売機の前に立って、思案中であった。

ホームで働いている作業員たちの一人は砂利等を積んだ車を運転しながら、
すぐ近くを通って、外の公共道路のどこかへとその砂利等を捨てに行ってはまた空になった車を運転しながら帰ってくる。
何度か通過する度に、車の邪魔にならないようにと、自動販売機すれすれに通過して行くのを自動販売機の横に身を寄せて眺めている。

そうこうする内に、ついさっき列車が止まって、乗客が一人降りてきたのか。
待ち合わせしていた人が出迎え、一緒に道路脇に待たせている車に乗ろうとわたしの後ろを通過して行く。

あっ、そうだ、両替を頼もう、と思った時には二人は車の中に身を隠してしまった、そして車もすぐに出発。

わたし一人だけが、自動販売機の前で相変わらずうろうろ。どうしよう?
誰か別の乗客が現れるまで待っていようか。
待っていても誰も現れないようだ。

今はちょうど昼前の時間帯、列車の発着も希。1時間に一本といった塩梅か。
乗客としてやって来る人たちは見られない。

どうしよう、どうしよう、とうろうろしているうちに、プラットホーム工事をしている人たちの方に目を遣る。働いている人たちは財布を持参しながら働いているのだろうか。どうもそんな風でもないようだし、、、
何人かがユニフォームを身につけたままで仕事に集中しているようだ。

現場まで歩いて行って、仕事中すいませんが、ちょっとお願いがあるのですが、と訊いてみようか。
仕事中だ、邪魔をしないで貰いたいと言われてしまうかも知れない。

建物の壁に沿って、プラットフォームの左側の方を眺めたら、別の人たちが働いているのが見える。
とどこに潜んでいたのだろうか、目の前に一人だけが首をちょっとだして、多分監督者さんだろうか。
目で合図をしてその人に近づいた。

すいません、10ユーロ札2枚お持ちですか?
持っているという。
ちょっと躊躇しているようにも見えた。
自分の財布を取り出して、わたしが眺めていたら、くるりと背をこちらに向けた。
中身はみせないぞ、ということだろうか、それとも泥棒されないよう用心・警戒したのか、
それでもこちらに振り向き直して、2枚の10ユーロ札を手渡してくれた、
というか同時にこちらも20ユーロ札を出して両替は無事完了した。

10ユーロ札で往復切符も購入できた。
一日切符の購入を巡って(続き)→

日本人ピアニストのコンサートチケットが当った

 
知らない人の名前で、メールが飛び込んできていた。

見慣れない人の名前には気を付けること、というのはインターネット上でのメールのやりとり、特に受信の際には警戒するようにというのが常識になっています。質の悪いウィールスがメールと共に送られてくる危険性が高いからだ、というのが理由ですよね。

だから、知らない人の名前でメールがやって来ると警戒するのは当然。
今回もちょっと緊張した、「あなたは当選しました!」という件名に絆されて何も考えずに直ぐにメールを開いてしまうなんていうことはありませんが、というのも既にメールは開いた状態でもわたしの目の前、モニター画面上に私が許可した訳でもないのですが、見える。でも普通のメールとはちょっと違った印象を受けた。

 まあ、アンチ・ウィールスソフトウェアはインストールあるし、何らの警告も出てこなかったのだし、ウィールス付きのメールではないのだろうと理解した。でも知らない人の名前だ。一度も見たこともない。

 メールの送信者名が読める。そして送信者宛も送信者名になっている。つまり自分で自分宛に送っておきながらも、わたしのメールボックスにも送っている、届いている。まあ、この手のテクニックは私も使ったことがあるので、それはそれで問題はないのだろう。


Herzlichen Glückwunsch!
Sie haben 2 Freikarten für das Konzert von "Mitsuko Uchida" am 16. Februar 2013 um 19.30 Uhr im Stadttheater Greif in Wels gewonnen.

 当選した? コンサートのチケット2枚当選した!?
 本当だろううか、とちょっと信じられない。

 当選しました、云々云々、といった件名の日本語メールを受け取ることも時々あったし、そんな文句で引っかけて釣ろうとする輩もいることだし、ドイツ語の世界でも同じような手を使って、相手を騙すような、受信者を釣ろうとする変なメールが届くようにもなったのか、と一瞬肩がかったるい思いになってしまった。



 
 インターネット上で検索してみると、結構有名なピアニストであるらしい、という噂は耳にしていたというのか、知っていました。でも一度もその作品を真剣に聞いたことはありませんでした。新聞紹介記事でも、世界的に有名な、という形容詞がその人の名前の前に付けられている。そんなにも有名な人の演奏が聴ける。



        *     *

 確か、締め切りの2日前頃に応募した。
 インターネット上で応募。手間も掛かりません。便利です。

普通はハガキに何らかの回答やら解答を記して、切手を貼って、そして投函するといったことをしていたのですが、今はそんな手続きもしない。面倒くさい。インターネット上で必要事項を記入して、直ぐに送付、応募できてしまう。そういう手軽さ、迅速性。


 気が向くといろいろとチケットの抽選に応募しているが、応募したことも直ぐに忘れている。
もしかしたら、という気持ちはいつも持ち合わせている、それを射幸心というのでしょうか、でも毎度のこと、殆ど当たったことがないので、応募しても当選することはないだろうと期待していませんでした。
では何故応募するのか? 当然ですね。応募しなければ、当選することは絶対にあり得ない。

 隣町にやってくる、という。何か用事があるといつも自転車を駆って行く隣町でもあるが、約40分間は掛かる。まあ、自転車運転には慣れているので、隣町までのサイクリングは朝飯前といった感覚、ちょっとした長距離だという気はしない。慣れた道、慣れた体、肉体的には年を重ねてきていても、まだ気が若いからか。

 例えば、ウィーンまで列車に乗って、2時間ほど掛けて、コンサートを見に行く、という話とは違う。往復4時間も掛けて、見に行くほどの大仰なこととは思われない。それほどまでに価値を置いていない、自分からどうしてもそれを見なければ死んでしまうといった風な深刻な気持ちはない。まあ、そういう価値観、見方しか出来ない、わたし自身の思考的限界であるといえば、それまでのこと。

 ある年の新年早々、ウィーンまでコンサートを見るために行ったことがあった。息子の長男が我々夫婦の為に、クリスマスプレゼントだと我々に内緒でチケットを買ってくれた。チケット代だけではない、ウィーンは近くのホテルに2、3日滞在できるようにホテル代まで出してくれた。

テレビで中継があるといつもその番組を見ている我々の姿を背後から見ていたのだろう。世界中、ヨーロッパ中を公演旅行している人気のバイオリニストとオーケストラ-だから、しかも今回はウィーンにやって来るということで、ちょうど良い、親を喜ばして上げようと大判振る舞いをしてくれたのだろう。

 買って貰った、プレゼントして貰ったということで往復4時間の列車に乗ってウィーンでのコンサートを見に出かけた、例外中の例外。現代のワルツ王と称される? アンドレ・リューのコンサートであった。


         *     *    

 当日の夕方、ウィーンの有名な大ホールは観客で満杯であった。もちろん、舞台の近くの席は高すぎて高すぎて購入出来るものではなかっただろう、そんなチケットを貰ってはバチが当たる。我々は野球場で言えば、外野席の更に後ろ、天井に近い場所であった。随分と遠い所から本人と本人のオーケストラ-が演奏するのを望見するという。いつもの聞き慣れた演奏。幸せな気持ちにしてくれるワルツの数々。思わず足もリズムを取っている。

 日本人ピアニストがやってくるその日の午後、、久しぶりに知り合いの日本人同士の食事会を持った。腹を一杯にした後、午後7時半からの開演ということで、現地を午後6時過ぎに出発、土曜日だったせいか、アウトバーンは空いていた。劇場前にはちょっと早めに着いた。

 中に入ると、正装した人たち、皆オーストリア人だろう、日本人は見えない。我々二人だけのようだ。我が奥さんは風邪で出かけられない、残念、ということで、食事会で同席の、別の奥さんを私は誘った。そのご主人の運転で劇場まで送って貰った。

 初めての劇場だ。小さな劇場だから、とそのピアノを弾くし、歌うし、ピアノを教えている知り合いの奥さんは教えてくれる。初めての劇場ではないらしい。以前にもここにやってきているようだ。でも、今回は無料だ、無料でコンサートに参加できる。

 無料だから、やってきたと言えないこともない、少なくともわたしの場合は。それに日常生活の中にどっぷりと浸かってしまって、芸術的な鑑賞という側面が欠けている。

 ウィーンに長期滞在している日本人のブログなどを時々目にして読むと、劇場通いをしている人がいる。何度といろいろなチケットを買っては芸術鑑賞の夕べを過ごされていることに、うらやましいやら、お金持ちだからできるのだろうか、と思ったりして、同じ日本人だとしても違った人種に属するのだろうと思ったり、そういう人もいるのだろうとその人の境遇の良さに背後で拍手を送っている。


              *     *

 開演前まだ時間があって、雑踏の中、何をしよう。まだ席に着けないのだろうか。我々のチケットは3種類のチケットでも購入すると一番安いチケットに属すものだった、自分一人で座席確認のために、また中がどうなっているのか、ちょっと確かめるために、ドアーを押して劇場の中へ入って行った。

 薄暗い。赤いライトが天井や壁から所々淡く照っている。だれもまだ入ってきていない。私が最初であった。やはり、席は2階、ドイツ語ではバルコンBalkon と称される場所だ。そこからは目の下、ステージが見下ろせる。すでにグランドピアノがその真ん中に一台居座っていた。


 劇場内、席は殆ど埋まった。埋まっていないのは我々が腰掛けていてBalkonだけ。後ろを振り向くと空いた席が見える。ほぼ満杯といえよう。600人収容の劇場とのこと。

 今晩の演奏者、ご本人が登場した。
 本物の本人が観客に深々と一礼、ピアノの前に腰掛けた。演奏開始だ。

 一番前の席、4席が空いたままになっているのが見えた。
 休憩時間に移動出来るのでは? と思った。その思いを一緒にやってきた奥さんにも伝えた。
 下に移動しませんか? 直に聴けるし、直に見ることも出来るし、、、。
 笑っているだけで、答えない。

 休憩時間が終わり、下をみると相変わらず4席は空いたままだった。そんな浅ましことを考えるのは私だけだったようだ。

 演奏者は実は12日にウィーンで同じようなコンサートをする予定になっていた。が、健康上の理由でキャンセルとなった。健康が回復したのか、16日の当日、演奏を聴くことが出来た、見ることが出来た。でも、何となく病み上がりという印象もなきにしもあらずであった。

 モーツアルトは演奏プログラムには入っていなかった。バッハ、シェーンベルク、シューマンの三人の作品、どれもこれもと余り聞いたことのない作品ばっかりであった。

 モーツアルトを期待していた観客と感じたのか、アンコールでは一曲、短めなものが演奏された。二回目のアンコールは実に短かった。30秒ほどだっただろうか。
ドイツ語の言いぐさというのか、Weniger ist mehr. が思い出された。

新年に寄せて(新年の詩)


Neujahrsgedichte 新年の詩

Wünsche zum neuen Jahr
新年に当たって(ぼくは)以下のことを希望します

Ein bisschen mehr Friede und weniger Streit. 
Ein bisschen mehr Güte und weniger Neid.  
Ein bisschen mehr Liebe und weniger Hass. 
Ein bisschen mehr Wahrheit – das wäre was. 

もうちょっとだけ平和がありますように、争いが少なくなりますように
もうちょっとだけ良きことがありますように、妬みが少なくなりますように
もうちょっとだけ愛がありますように、憎しみが少なくなりますように
もうちょっとだけ真実がありますように -それだけです。

Statt so viel Unrast ein bisschen mehr Ruh. 
Statt immer nur Ich ein bisschen mehr Du. 
Statt Angst und Hemmung ein bisschen mehr Mut. 
Und Kraft zum Handeln – das wäre gut. 
余りにも沢山の騒がしさの代わりに、もうちょっとだけ静けさを。
自分のことだけをいつも主張する代わりに、君はどうかとちょっとだけ尋ねてみては?
不安と遠慮の代わりに、ちょっとだけ勇気を。
そして行動するための力を - それだけです。

In Trübsal und Dunkel ein bisschen mehr Licht.
Kein quälend Verlangen, ein bisschen Verzicht. 
Und viel mehr Blumen, solange es geht.  
Nicht erst an Gräbern – da blühn sie zu spät. 

陰鬱と暗黒の中にもうちょっとだけ光を。
傷つくような欲望は持たず、ちょっとの諦めを。
そしてもっと沢山の花を、可能な限りに。
墓場の前に花というのではなく、だって咲くには遅すぎるのだから。

Ziel sei der Friede des Herzens. 
Besseres weiß ich nicht.
目標として心の平和がそこにありますように。    
これに勝ること(ぼくは)知りません。

Neujahrsgedicht von Peter Rosegger (1843-1918)新年の詩、ペーター・ローゼガー作
 





    ×   ×

ペーター・ローゼガー  
何故か知りませんが、初めて知りました、お花(バラ)の商品名になっていますね。
オーストリア出身。
 

どうぞお帰り前にワンクリック。
いつも応援ありがとうございます
  ↓↓
 
「人気blogランキング」へも 毎度ありがとう!(#^ー゚)v 
Danke schön!♪↑ 
  

ウィーンに泊まる



あるブログを読んでいたら、ウィーンのペンションに泊まったときの感想をとてもポジティブに書かれ、
同ペンションを薦めていました。
そこでは私は以下のようなコメントを綴りました。


ウィーンにはどこで快適に、そして格安で泊まれるだろうか、といつも気にしている。
その記事は自分も今度はそこに泊まりに行ってみようかという気にさせてくれましたが、、、。

一度、わたしもウィーンのペンションに家族全員で泊まりました。
インターネットで探しました。とても良さそうに紹介されていました。
何枚もの写真にはこんな有名人もここには泊まったとか、
あの日本人指揮者の小澤征爾さんと一緒の写真も載っていました。

でもネット上の写真で見た寝室と実際にこの目で見た寝室とは大違いでした。
写真はあまりにもきれい過ぎました。
部屋が気に入らなければ、取り替えても良いですとかなんとか壁に貼り付けてあったかなかったか、
もう覚えていませんが、あまりのギャップに内心がっくりした思いをしました。

どのホテルも、ペンションも自分のところへと泊まって貰おうとしていることは明らか。
ただ、”トリック”を使っての客引きはいただけませんね。


私が泊まったペンションはペンション・モーツァルト
モーツァルトの名に惹かれてしまったのかもしれませんが。
モーツァルトと同ペンションとは何らの関係もないようですが。
モーツァルトが知ったらどう思うことだろう、
オレの名前を勝手にペンション名にするとは、弁償せよ、とか。(笑)


褒めることは良いですが、宿泊者にとって”大満足”という場合もあれば、”大不満足”という場合もあるようです。
宿泊客それぞれ、異なった印象やら体験をするようです。
すべてのお客様を満足させることは出来ませんとホテル側、ペンション側は言うかもしれませんが。

こちらには”大不満足”の同ペンション宿泊者のコメントが書き込まれています。
ホテル代は現金払いを強要? なぜ現金払いを求めるのか? 何か裏がありそう、、。
まあ、2010年当時のこと。今は改善されているのかは知りません。この”大不満足”な方、
ハイドンの銅像?がある教会近くのホテルの方が良いよ、と奨めている。

確かに私もハイドンの銅像らしきものを見た覚えがあります。何でこんな所に立っているのだろうとちょっと思っただけで、
通り過ぎてしまいました。そういえばハイドンホテルとかハイドンペンションがその近くにあるのかも。
ハイドンのファンの人はハイドンの名前が冠されたホテルやペンションに泊まるかも。
わたしがもモーツァルトの名に惹かれて同ペンションに泊まってしまったように?


ウィーンでのペンション2泊だったか3泊だったか忘れてしまいましたが、自身の体験から、
これからは宿泊前にそのホテルやらペンションの評判を聞いたり読んだりして、
自分なりに前評価するようになりました。

泊まることに決めるかはもちろんいろいろな要素が咬み合っています。
大きな要素としては部屋代ですが、宿泊環境の快適さも求めたいものです。

雪道サイクリング




今年最初の遠出をした。(2012年2月13日のこと)
とっても寒かった。
この厳寒ゆえか、失敗を繰り返してしまった。

零下の気温下のサイクリングはとっても苦痛であった。
とくに目の上の眉毛がある皮膚の下が冷たい外気に触れて痛んだ。

自家用車ではなく自家自転車での遠出、片道一時間掛かる隣町まで出張しての買い物、、、予定であった。
わが町にはそのスーパーはなく、隣町にあるそのスーパーでお目当ての商品を購入する積もりだった。

お目当ての品とはコンピュータの内部を掃除できるというそれ様の掃除機用の追加ホースであった。

レジで支払おうとした。
郵便局発行のカードを使って支払おうとした。
が、カードの反応が悪い。挿入方向を間違えたのかと逆に入れようとしたら、
レジ係の女性は正しい方向に入れ直してレジ用コンピューター画面を覗いている。

「期限が切れています」

「ええ? 本当ですか? 現金は持ち合わせていないので、また戻ってきます」
 そう告げてそのスーパーから出てきた。

外は相変わらず寒い。冷たい。
どうしようかと思いながらも財布の中を仔細に調べたら、取引銀行発行のカードが出てきた。
町の中心街へと自転車を走らせて、取引銀行支店を探した。

ようやく見出して、カウンターに進んだ。
「このカードは期限が切れているとはおもっていませんでしたが、
 現金がどうしても必要なのですが、引き出せます」
期限切れのカードを手渡しながら、訊いた。

銀行の出納係の女性はコンピュータ画面を見ながら、調べている。

「奥さまのお名前で登録されています」

「それはおかしい。夫婦二人の名義で登録してあるはずなのに」

「奥さまの名前で登録されてあるだけですよ」
それは変ですよ、わたしの名前でも銀行口座登録してあるのですから、
と文句を言おうとしたが、言っても埒が開かないと考えて、このせりふは吐かなかった。

「わたしの名前はそのカードに記されている通りですよ。
 ほら、この郵便局発行のカードにも同じ名前が書いてあるでしょう」
郵便局発行のカードも見せながら、特に私の名前を指しながら、
私が本人であることが信じられないのだろう!?

「Ich kenne Sie nicht!」私はお客様を知りません、と言ってきた。

ちょっとムッとなったが、当然だろう、同銀行との取引は10年以上続いているが、
住んでいる地元の銀行支店ではなく、隣町の銀行支店に文字通り初めて顔を出した次第。
顔見知りでもないし、当然だろう。が、この言い方にちょっと不快を感じた。

銀行はどこの支店でも自分の口座から現金が引き出せるようになっているのではないのか!?

「何か身分証明書をお持ちですか、運転免許証とかパスポートとか」
「どちらも持参していません」

外出、買い物に出かけるときには別に身分証明書を持参する必要も感じない。
だから普通は持参しない。

一度、パトカー警察官になぜだか知らないが、話しかけられ「身分証明書」は持っているかと訊いてきた。
パスポートのことかな。

「持っていません。家に置いてありますよ。失くすと困りますからね」
わたしゃあ怪しいものではありませんよ、とは付け加えなかったが。
一応納得したらしく、そのまま去って行った。


   *    *

ことの次第を仕事から帰って来たわが奥さんに説明したら、
「それは変だわね、二人の名義で登録してあるのに」

「あっそれから、市内の例のお店は消えていたよ」
「言ったでしょう、引っ越したって」
「それは知らなかった」
「・・・」
「今なんて言った? Hinter dem Mond?
「そうよ、あんたはお月様の後にいるのよ」

何となく私を揶揄しているように聞えた。
ドイツ語の慣用句のようにも聞こえた。

今まで聞いたこともない表現だ。
何となくその意味が感じられないわけでもないが。

本人にその意味を訊くことはせずに、PCの前に腰掛けて、いまもこの文を綴るために腰掛けたままでいるが、インターネット検索を掛けてみた。

http://de.wiktionary.org/wiki/hinter_dem_Mond_leben
意味は
nicht auf dem neuesten Stand sein, aktuelle Entwicklungen verpasst haben
結局、現況のバスの乗り遅れた生活をしているといったことだろうか、
最先端の情報を持ち合わせていないままで生活をしているということだろうか、
要するに、時勢に遅れているということか。

まあ、そう言われてみればそうかもしれないが。
郵便局発行のカードが期限切れであったとは知らなかったし、
銀行発行のカードも期限切れであったともしらなかったし、
つまり、しばらくは使う必要もなく財布の中に納まったままだった。
が、今日、以前から欲しいと思っていたものが販売にされるということで、
厳寒下、自転車で隣町まで雪で覆われた道を行こうとする。
スリップして転倒するのではなかろうかと恐々、危なっかしい、ゆっくり、不安定なサイクリング。


以下に、ドイツ語の例文を上げて置きます。

Er lebt hinter dem Mond.
(直訳:かれはお月様の後に住んでいる)
He's behind the times.

こんな表現もある。
Er lebt auf dem Mond. 
(直訳:かれはお月様の上に住んでいる)
He's up in the air.

7 freie Plätze とは「'無料'席残り7」?



日本ヨーロッパ(東京・ウィーン)間の航空チケット予約のインターネットサイトを見ていたら、ある航空会社の座席数として ドイツ語で「7 freie Plätze」と赤字で目立つように記されていた。

赤字であるのは、その航空会社が赤字であるわけではなく(多分、笑)、
チケット情報を見ている人に注目させようという意図があるのでしょう。
ある種のアクションを起こさせようとしているのでしょう。

何のアクション? もちろん、チケットの予約、つまり座席予約、
あと7席ですよと赤字で注意を引いているのですよね。


     *   *

このドイツ語にちょっと、おやっ、と思った次第です。
7 freie Plätze 
これを「無料の7席あり」と読み取れるのではないかと思ってしまいました。
そういう意味にはとれないでしょうか!? 思い込みが過ぎる?

freiといっても「無料です」という意味の時もありますが、
「空いている」という意味もあるのですよね。
ここでは「無料」の意味ではないらしいということはチケット料金として結構な額が表示されていることでも分かります。

実際には「空席あと7」という意味でしょうね。
外国人だから「無料です」と思ってしまうのでしょうか。
ドイツ語を母国語とする本国人だったら誤った解釈はしないと言えるのでしょうか。



     *   *

地元のサウナ施設の中、マサージ室のドアーに「Frei」という張り紙を出して客が来るのを待っていた。

サウナに入る序にマサージも受けたいという客がドアーを開けて入って来た。
わたしはマサージをしてあげた。

終わった後、料金を要求した。
と、彼は自分は十分な代金は持っていないという。
「だって、frei ってドアーには記されていたではないか」という。

彼は外国人であった。多分トルコ人。freiという意味を無料と取ったらしいことは明らか。
無料という意味ではなく、空き室あり、という意味には取れなかったようだ。

私が客だったらどうだろうか。
多分、トルコ人と同じように無料のマサージが受けられると思ってしまっていたかもしれない。
自分に都合の良いように解釈してしまう。



      *   *

”あと”7席の空きあり、という風に見ている人を煽るような ”あと何々云々”とは
記されていませんでしたが、時には煽る例を見ます。

たとえば、Nur heute「今日限り」。
この格安飛行料金提供は「今日限り!」とちょっと目立つように、
てかてかと赤字で点滅しているのを見たことがある。

「今日限り」で、明日になったらもっと料金は高くなっているかもしれない。
そう思って、「今日限り」のチケット購入へとアクションを起こす人もいるかもしれない。
売る方としてはそれを狙って、「今日限り」と点滅させているのでしょう。


本当に「今日限り」なのかどうなのか、それを信じるか。
信じてしまうのか。

ちょっと天邪鬼な心が出てきて、明日はどうなっているものやらと、
明日になったので、同じサイトを見た。

相変わらず同じ料金で「今日限り」のてかてかが出てきた。
「今日限り」は昨日限りではなかったのか。
「今日限り」は「今日限り」に変わりはなく、昨日限りではない。
明日になっても「今日限り」であって、明日限りではないだろう。

出来ることならばチケットは安ければ安いほど良いと思ってしまう。
無料のチケットがあるならば、是非とも、直ぐにも欲しいと思う。

7 freie Plätze という文句を見て、直ぐに思ってしまった。
無料のチケットがあと7席分しか残っていない! 
急げ! 早く予約を取ろう!
慌ててしまわないとも限らない。

「今日限り」とは記されていなかったが、そうと読み取れないこともない。
明日になったら7席は全部埋まってしまっているかも、
もう獲得のチャンスは消え失せてしまっているかもしれない。


直ぐに今日無料?チケット獲得のアクションを起こすかどうか、
そうした煽り文句の虜になってしまいそうになりながらも、
実は懐具合にもよることは当の本人が一番良く知っている。

これはチケット販売での心理作戦だとうすうす感じた次第。



それにしても航空会社によってはチケット代金が違い過ぎるところもある。
他よりも格安にして乗客を獲得しようという意図があること否めない。
高ければ高いほど良いとは思えないけれども、安いに越したことはないと思う。


航空会社間比較もチケット購入に際しては考慮に入れなければならない。
ヨーロッパ・日本往復チケットが日本円に換算して5万円弱で予約販売をしているのを見るが、
他と比べると結構安くてこれはゲットしようという気にはならないのだろうか。
この料金が変わらずに何日も続いている。

買う立場にある人としては何か別の心理が作用するのだろうか。
ちょっと安過ぎ、とか。何か、隠された何かがあるのでは? とか。
我が奥さんがその航空会社のチケットは避けて! と口を挟んできた。
だって、他はそれ以上に高いではないか、とわたしは反論。
避けて! と聞く耳を持たない。

安かろう悪かろうということなのだろうか。
チケットが安いことに越したことはないのだが、何かが悪いので敬遠しろということになるらしい。
いつもありがとうございます
  ↓

ジョギングを続けている

ジョギングに熱を上げている。
この夏の暑さに負けずに熱くなっている。

今度こそは、習慣にしよう、楽しみとしよう、喜びとしようと決意して、
今年2011年の夏、殆ど毎日、午前中にジョギングに出掛けている。

今までにも気が向いたときにはランニングシューズを履いて、
ジョギングを試みたことが何度かあった。が、どういうものなのか、続かなくなってしまった。
決意が足りなかったと言えないこともないし、
初心者でどのようにジョギングすれば良いのか、
良きアドバイスもなく、自分なりの感覚で走り続けようとしていた。

汗をたくさん掻いて、家に戻ってくる。
全身汗びっしょりになって皮膚に張り付いてしまった運動着で気持ちが悪い。
早く脱いで、シャワーを浴びて、不快感から早く解放されようとする。

毎回、汗を掻いたままで家に戻ってくる自分であった。
汗も乾かず、汗に濡れた全身を持って帰ってくる。
そんな繰り返しが何となく億劫に感じることもあった。






走りながら、出来るだけ早く走ろうとする自分が感じられた。
が、早く走ろうとしても足の方が付いてこない。
そうこうするうちに足が痛む。痛むのを我慢しながら走り続けようとするが、
痛みの方が勝ってしまい、走るよりも歩くことになってしまう。

痛みが退いたと思って、また走り出そうとする。足の方が筋肉痛のようだ。
腿や脹脛や足首や、そして腰当たりの筋肉が痛む。
どうして痛むのか。
理由を自分なりに考えてみると、それは今までジョギングを定期的に、
いや日常的にやったことがなかった。
急に今まで使うことのなかった筋肉を使うことになって、それらの筋肉が悲鳴を上げているのだ。

Stadtfest

MartinLutherheiratet.jpg
http://tinyurl.com/69l9vb7

Ganz im Zeichen der Hochzeit des Theologen und Reformators Martin Luther mit der Nonne Katharina von Bora steht des Stadtfest in Wittenberg. Luthers Hochzeit aus dem Jahre 1525 ist seit 1994 der Höhepunkt des Festes und wird jährlich von rund 2000 Gästen entlang der Straße gefeiert.

神学者で宗教改革者のマルチン・ルターは尼僧のカタリーナ・フォン・ボーラとヴィッテンベルク市のお祝いの場で結婚、全市が同行事一色。ルターは1525年に結婚したが、同市では1994年以来、市のお祝いのクライマックスとなる、毎年約2000人のお客たちが通りに沿ってお祝いに参加している。



Stadtfest
私の住む町、オーストリアはリンツとヴェルスとの中間にあるM・・ですが、この町ではこの週末は Stadfestです。
昨日、市内中心地に自転車で乗り込んでいったら所狭しとテントやら遊園地に良く見るいろいろな乗り物も乗り込んでいた。設置準備をしていた。


今日、2011年6月18日、土曜日、午後6時からの地元のラジオニュースを聞ていたら、オーバーオーストリア放送の女性アナウンサー(彼女は日本の作家の大ファンとどこかで読んだ覚えがありますが、全部読んだとのこと、日本語で? 多分ドイツ語訳でしょう)、その金髪アナウンサーが当市から放送をお送りしています、、、、とアナウンスしているのが聞えてきた。直ぐ近くに来ている! 午後7時からのテレビニュースにでは良く登場してきているが、こうした形での登場は今回は初めてのように記憶しています。
ちょっと”実物”を見に行ってお顔でも拝ましてもらいましょうかね。

ちょっと雨天気味ですが、彼女は多分、あの特設舞台(昨日はまだ設置準備中だった)に立って、マイクを握って、出演者にインタヴューしたりしている。いつもの元気の良い流暢なドイツ語がマイクの声として耳に心地よく入ってきます。

オーストリア5月の、鳴き声いろいろ

今、5月、ヨーロッパのオーストリアも春たけなわと言ったところでしょうか。
暖かい5月。 詩人のハインリッヒ・ハイネ(オーストリア人ではありませんが)が5月を憧れ讃える詩を謳ったのも頷けるものです。                     
            

時にちょっと寒過ぎて長袖のシャツに長ズボンを身に着けなければならないと思ったら翌日は良く晴れ渡って、 春の陽気と言うよりも初夏を感じさせる暖かさ。
半そで、半ズボンに履き替えるといったこの早業はオーストリアでしか学んだことがないように記憶しています。
 
初めて雉(きじ)の鳴き声を聞いた。それが雉だとは知らなかった。春を謳歌しているようです。よく耳にします。最初はちょっと戸惑ってしまった。本当に雉なのか、と。

日本の子供たち(それとも今は違うのかもしれませんね、どうなんでしょうか)は小さい頃は誰でも絵本を親から与えられ、 絵本を通して想像の世界を駆け巡り、想像が現実の如く思われて生きて行く、そんな世界を通過してきていますが、 絵本の中の代表的な、昔話として「桃太郎」の話が思い出される。

桃太郎が鬼が島に鬼退治に行く途中で色々な動物に会い、 家来にして一緒に鬼が島へと乗り込んで行きます。雉に会ったときに、 雉が鳴いていたのですが、その鳴き声がこう記されていた。

「ケーン、ケーン」

実はそうではないのです。オーストリアに来て結構年月が経ったのだが、上でも書いたように、初めてその鳴き声の実態を知った。

何回聞いても、そんな風には聞こえない。日本の物語の中での話しということで、現実を映したものではないと言えばそれまでだが、現実の世界での体験を通して物語の世界の出来事を訂正することを知った次第だ。

わたしたち一家が住んでいる直ぐそばは結構大きな農地というのか野原というのか、新緑が目に刺激的な草原のような、緑の絨毯を敷き詰めたように見える。時が来たら大型トラクターが大活躍しているのを見るようになるが、全部刈り取られ、乾し草、つまり家畜の餌となるものなのだろう。

緑と言えば、お隣さんの庭の芝生の緑もとても新鮮に緑緑に見えます。生えています。映えています。我が庭の方へと更に視線を移すと、ああ、見られたものではありません。全く狭いのに子供達のミニサッカー場と化し、今まであった緑の芝は全部踏み倒され、蹴飛ばされ、擦り切れられ、徹頭徹尾痛め付けられて、とうとう緑の芝は完全に剥ぎ取られる形となってしまい、 二度と芝生を見ることが出来ないかのようなツル んツルんの地肌になってしまった。

花達も開花し始め、色とりどり、チューリップにも色々な色がある、赤や黄色ばかりと思っていたら、そうではなく、紫とか黒とか人間が想像できる色のものもある。色々と種類があるというのも創造主の心の広さの表れでしょうか。やはり人間だって十人十色だし、自然の創造物も色々と成長する姿はいつ見ても素晴らしい、気持ち良いものだ。特に、この5月。


我が奥さんは元の芝生を取り戻すべく、作戦開始。芝生用の種を一袋買い、芝生成長促進用の土を何袋か買ってきた。畑を耕すかのように元芝生地を言わば開墾し、水を撒き、芝生用の土で元芝生地を被いつくし、更には芝生の種を元芝生地にばら蒔く。お隣さんからは重いローラーを借りて、芝生の種が芝生用の土に張り付くように、食いつくようにと狭い庭の中を行ったり来たり、額に汗し、か弱い両腕には力が入り、腰を曲げての地ならし。大仕事。「ご苦労様でした」と 慰安の言葉でも一つ言っておかないといけない。


近所の鳥たちはそんな風景を遠くから黙って見ていたようだ。が、新たな餌が見つかったぞ、しめた、とでも思ったかどうかは知らないが、人間たちが一仕事終えた後、居間で一息入れている隙を狙ってとでもいうのか、窓外に目をやると、

「あれっ! 種をついばんでいる! せっかく撒いたのに」

「違うわよ。あれはね、小さな虫やミミズを取っているよ」

「いや、そんなことはない」

「いいじゃない、一つや二つ食べたって、あんな小さな体では全部はたべきれないわよ」
 

続きを読む

目薬フィンフツェーン也


花粉症の症状にはいろいろとありますね、
ご存知の方もたくさんいらっしゃることでしょう。


もう毎年のことですが、
喘息症状もちょっとある、重傷重症にならないことを願うばかり。
家の中にと閉じこもって、部屋の窓も極力閉じたまま。

就寝中、鼻は詰まり気味。鼻での呼吸も困難を感じる。
鼾をかくことになる。
空気を欠くことにもなる。
だから口での呼吸に切り替えることになるのだが、
口の中が乾燥する。

口の中、左側の奥の口腔、若干腫れあがる、炎症。
そこを舌でなぞると、クシャミが誘発される。一度どころではない、
連続的に少なくとも3回、多くても4回。
自分でも呆れる。家人も同意見だ。
その度に何とかならんのかと文句を言ってくる。
花粉症は我が人生だけでなく家人のそれも耐えがたきものにしてしまうよ。

朝起き上がる時、両の目のごそごそ感覚。
膿のごときものが乾いて固まってしまったかのよう。
まつげにもこびりついている。

そのまつげが先週、直接何かの拍子に角膜を直撃したのか、途端に鋭い痛みを感じた。
と同時に、目の中、何か異物が入ったかのような感覚。
目玉に何か違和感を感じた。
鏡をみたら、目が赤く充血している。
まぶたの開閉もなんだか機械的な感じ。バシャバシャ、音が聞えるかのよう。

花粉が直接目の中に入ってしまったのか!?

その違和感を目を水洗いすることで失くそうとしたが、
なくならない。
目は乾燥している。
水分を与えても直ぐに乾燥している。
コンピュータ画面ばっかりみているからもしれないが、これも数ある花粉症状の一つ。

目からは涙、
悲しいからではない。
鼻からは鼻水がポタリ、
風邪を引いているからでもない。

鼻の中を何枚もハンカチを使って、キレイにするが、
鼻水は絶えない。
鼻の両翼が詰まったかのように痛む。充血しているのだろう。

さて、この目、どうにかならぬものかと水で洗うことを何度か試みるが、
赤目は直らない。



    *   *

目医者に行くことにした。
もちろん、目薬を処方してくれることは分かっている。
それが医師の仕事の一つにもなっているのだから。
手ぶらで帰らせるようなことは極力しないオーストリアの医療制度かな。
まあ、症状が緩和されるものならば、それでも良い。

オーストリアでは薬局に行けば、医者の処方箋なしの薬もあって、
直接払えるだけの札束を持って行けば買うことが出来る。
内国人であろうと外国人であろうとお金を持ってくる人に対しては何らの差別はしない ようだ。

目薬だって処方箋なしで買えるものもあることだろう、
実際に確かめてはないが。
しかも結構高価でもあるかも、と思ってしまう。

自分の健康のためには高い高くないなどと思案している場合ではないと
ご意見を垂れる方もいらっしゃることだろうと思うが、
自分は高い高くないを考慮してしまうタイプ。

薬局に直接出向いて行って、目薬を直接購入することは避けた。
もっと安く買えるものならばそれを選択する。
安く買えるといっても定価だ。

目医者に行って、案の定、目薬を処方してもらった。
処方箋を持って、早速薬局にやって来た。

目薬を手渡された。
「いくらですか?」と値段を訊いた、もちろん簡単なドイツ語で。

ドイツ語で答えが返って来た。
カタカナで書き出すと以下の通り。

「フィンフツェーン」

「フィンフツェーン?」と私は聞き返した。

そんなに高いものなのか、と内心思った次第。
これには驚いてしまった。

「フィンフツェーン」とはドイツ語の数字で15である、
などと分かり切ったことを書くのもちょっと気が引けるがいちおう書いて置くことにした。

15ユーロもするのか!?

わたしは財布の中に10ユーロ札一枚だけを持参してきたのであった。
こんなちっぽけな目薬が15ユーロもするのか!?
支払えないじゃないかと内心戸惑った。

「フィンフ ツェーン」と薬剤師のおばさんは繰り返した。
”フィンフ” と ”ツェーン”との間に若干のスペースを入れたように聞えた。

本来の我に返ることが出来た。
”フィンフ”ユーロと”ツェーン”セントのことである筈。

5.10€

ああ、そいうことかいなと納得した、安堵した。

「フィンフツェーン」と言われれば、数字の15を想像するのではないだろうか。
あなたはどうです?
わたしはそうだった。


   *   *

掛りつけの医師のところで、薬を処方してもらうとオーストリアでは
以前、つい最近まで、どのような薬であろうと(まあ、例外があるかもしれないが)、
ワンパックは「フィアアフツィッヒ」であった。

4.80のことを意味する。
4.80€

ご覧の通り、知らぬ間に、値上げした。
5ユーロ札一枚を持って行った自分がもうそこにはない。
10ユーロ札を一枚持って行かざるを得ないことは上でも既に言及しましたが。

どちら様ですか?


電話がかかってきた。でもですねえ、
電話を掛けてきた人は名前を名乗らないことも多々、ということについての感慨は既に書きました。
→こちら

意識的に名乗らないのか、名乗りたくないのか、名乗れないのか、
単に自分のことを忘れてしまったのか、
つまり我をも忘れて電話する緊急性ゆえのことだったのか、
それとも自分は名乗るほどの人物または大物ではないと自認していて、
それが実際の行動として表されていたのか、


掛けて来た人の便宜を図る意味で、
受話器を取り上げた人が掛けて来た人に向かって、
名前を尋ねれば良い。

意図的に名乗らないこともあるのかもしれない、
それとも電話を掛けるときだけ自分の名前を忘れてしまうのかもしれない、
などといろいろと相手の立場に立って慮るしだいですが、
(ドイツ語では 相手の靴を履いて なんて面白い表現をするようです、または相手の皮膚の中に入って、とか、知ってた?)
本当の事情がどうなっているのかは分かりませんが、
とにかく相手のことを思って、相手の記憶を覚まさせるためにお手伝いさせて頂く。


つまり、「どちらさまですか?」と聞いてみる。
それだけの一言を相手に向かって発すれば済むこと。




   *   *


一度「どちらさまですか」と聞いてみたことがあった。

「お前は誰だ?」といった風に聞えるかもしれない言い方はしなかったと思う。
ちょっと失礼しすぎると感じたし思った。

そうそう因みに「お前は誰だ?」をドイツ語訳しているサイトを見ました。
ドイツ語の綴りが間違っているも散見されますが、それはそれとして、

それに拠ると ”Wer sind Sie?”

ドイツ語ローマ字読みだと
そしてカタカナで言うというのか書くというのか
「ヴェア ズィント ズィー」と発音するそうです。


自分ひとりで発音練習する分では相手もいないことだし、
相手がどのように反応してくるかは別に気にしなくてもよいようですが、
でもそれを相手に向かって言うとなると、
そういえば、言うとは書いてありませんね、
ドイツ語表現としては簡単そのもの。

相手に向かって言うとなると、相手の気分次第かも知れませんが、
ツッケンドンに突っ込まれたかのように聞き取れるのではないでしょうか。
ヴェア ズィント ズィー?

ちょっと強く響くのではないでしょうか。
少なくとも感受性の強い人にとっては、強いかも

「お前は誰だ!?」

英語では Who are you?

ちょっと感じが悪い、宜しくない。
もっとも聞く人の聞き方、つまり喋り方にも拠るでしょうが。


西洋の人たちは感情だけで動くわけでもないでしょうが、
時と場合によってはそれでも良いかもしれませんが、、、、。

会話とは相手があって成り立つものであることはいうまでもありません。
しかもこの会話は相手が目の前に見えない、そんな特別な会話。
相手は目の前に出んわの電話会話。

相手が目の前にいて、会話を交わす場合とは状況が異なるゆえに、
つまり相手の表情も手振りも外的に確かめることが出来ません。
その声だけが頼り。

そうですかねえ、
と長いことドイツ語圏で暮らしてきた私としてはちょっとクエスチョンマークが
頭の上に点ります。見えませんでしょうが。

どちら様ですか?
ドイツ語では、ドイツ語電話会話ではどのように他に表現できるでしょうか。
私の知っているフレーズは以下の通り。

Wer spricht da, bitte?

Mit wem spreche ich, bitte?

オーストリア語のボディーランゲージ?

"Herr Ober!” 給仕さん、ウェイターさん、ボーイさん! 
    
お客さんが呼び掛けて、注目して貰う、来て貰う、注文を取って貰う、
文句や苦情も聞いて貰えるかも。
  
複数のウェイターさん、またはウェイトレスさんが働いている結構大きなレストラン、結構結構
(それが普通でしょうけれども、笑)
そこには幾つもあるテーブルに隠された番号やら記号が付けられていて、
各ウェイターさん、ウェイトレスさんには担当のテーブルが決められているようです。
知ってた?(笑)

他のテーブルを担当(または”所有”?)しているウェイターさん、ウェイトレスさんに呼びかけても、
聞こえないのか、聞こえたとしても関係ないといった無反応振りをしている。

お客さんの立場から見れば、あの人耳が聞こえないのか、
もっと大きな声で呼ばなければならないのか、
聞こえないなら耳のお医者さんへ行くべきだ、
などと思うかもしれない。

聞こえても聞こえない振りをしているのですよ、、、ね。

何故ですか。


お客さんには見えないウェイター同士の縄張りがあるからです。
自分のテーブルに腰掛けたお客さんからのチップは自分のものになるらしい。

別テーブル担当のウェイターは他のウェイターの縄張りを荒らすことは許されず、
勿論、チップも自分の担当テーブルに座っているお客さまからのみ受け取る
”独占権”があるようです。


自分が座っているテープルの担当ウェイターさん、ウェイトレスさんの顔を良く覚えていて、
サインを送る。

目でこっちに来てよとやる人、
学校教室で生徒たちが良くやるように手を上げて、こっちに来て来て、来てってばとやる人、
”Herr Ober!" と大声を上げて関心をお客(自分)に引き寄せる人、
色々な人がいます。


           
    *    *
   
こんな話聞いたことがありますか。作り話かも知れませんし、
本当かもしれません。
   
ウィーンのレストランに入って行った日本人観光客。
腹を空かしている。注文したい。
暫く待つが、ウェイターが注文を取りに来ない。
どうしたのか、とレストラン内を見渡したところ、
一人、ウェイターさんが遠く壁を背に立っている。
こちらの方を眺めているようだ。
暇そうだ。

件の日本人(私のことではありません! 念のため、笑)、
そのウェイターさんに向って、手を振った。
こちらに来て下さい。
注文を取りに来て下さい、という意味の意思表示をしたと思った。

件のウェイターさん、あの人、何をしているのだろうと不思議がった、らしい。
どうも理解できない手の振りをこちらに向けてやっている。
まあ、いい、壁を背にしたまま、ウェイターさんも右腕を上げて、
日本人の腕振りに応えるかのように同じような腕振りを真似するかのように笑顔(苦笑い?)でやった。

件の日本人、未だ何が何だか分からない。
呼んでいるのどうしてこちらに来ないのだろう?


もう、察しの鋭い方ならば、お分かりのことと思いますが、
日本人が手を振った、その動作は
オーストリア人にとっては「さよなら、バイバイ」を意味したのです。

「さよなら バイバイ」と
お客さんが自分に挨拶している。

ああ、そうですか、お帰りですか、
それでは「はい、さよなら、バイバイ」とオーストリア人の、ウィーン人の、
外国からのお客さま、つまり日本人のお客さまに対する丁重な挨拶となったようです。
   
手の甲を自分の方に向けて掌を上下に振ると、
オーストリアの人は「バイバイ」と理解するらしい。
   
ところが日本人は「こっちに来てよ」と理解する、理解している。   
   
オーストリア人に分かるように「こっちに来てよ」と手を振るとするならば、
手の甲を相手の方に向けたまま、自分の方に掌を上下運動させなければならない。
自分の方に向かって来てね、来てよ、来てくれないの? と合図する。
そうすると自分が行くことになる、というのはウソですが(笑)

   
ドイツ語で Körpersprache、その違いですね。  
The Definitive Book of Body Language (ペーパーバック)



      *    *
    
黒いスカート、黒いズボン、白いブラウス、白いワイシャツ、
そしてウェイレスさんの黒いタイトスカートには小さな白い前掛けが何とも愛らしいというか。
    
ウェイターさんの尻ポケットには何とも分厚い財布が飛び出しそうに見える、
それがなんとも滑稽に見えるというか。   
    
    
      *    *
             
男性の給仕さんを呼ぶときには、
  
 Herr Ober!            
  
女性の給仕さんを呼ぶときにはなんというのでしょうか?
  
 Frau Oberin! でしょうか?

 それともドイツ語の便宜使用ということで
 Frau Ober!  でしょうかね。
   
 Fräulein!     
   
実際に、Fräulein でなくとも、つまり”おばさん”に見えたとしても 
   
Fräulein! と呼んで上げましょうか。

お客様、わたしのこと若く見てくれているのね、嬉しいわ、実際若いのよ、
と喜んで勇んでゆっくり転ばないようにすっ飛んで来るかもしれません。
 
        
       *        *
     
  
「Kellnerin! このゼンメルは ’昨日の’ですよ! 
 わたくしは ’今日の’ゼンメルが頂きたいのです!」とお客様
  
「そういうことでしたら、明日もう一度来て頂かなければなりません!」とレストランの人


ゼンメル

日本(人?)のみなさん


本日、クリスマス前の、クリスマスパーティーに参加した。
 各国からの出し物が続き、司会者は日本からの人たちにも何かをやってもらいましょう、
 ということにしたらしい。

 オーストリアの続きは、フィリピン

 フィリピンの次は日本。



 「日本人の方、前の方に出て来て下さい」とお呼びが掛かった。
   
 わたしは全身耳にしていたので、その ”ことば”が聞き取れた。
   
 その"ことば”とは?
 

 日本からはオーストリア滞在の女性達もたくさん見えていた。
 日本の男性は私ともう一人、留学生の一人が目立たない感じで参加していた。
   
 わたしは自分の席でじっとしていた。
 日本の女性達は次から次と前の方、舞台へと進み出て行った。


   
 周りに座ってい人たちは私が座ったままでいるのに気が付いて、
   
 「あらっ、あなたも日本人でしょう。早く早く」とお節介をやく。
   
 そこで私はちょっとだけ反論した。
   
 「司会者は”日本の女性達”と言ったんですよ。Japanerinnen とね」
 だからは私はお呼びではないんですよ、と。
    
    
 司会者(オーストリア女性)は日本の男性も参加しているということが見えなかったので、
 そう言ったのかもしれないが、実際、司会者はそう言った。

 わたしはちゃんと耳をかっぽじって、意識して聞いた。
 確かに聞いた。
 だから何の疑いも持つことなく、司会者の言うとおりに従っていた。
    
    
 「まあ、あんなことを言っている」といったふうに周りの人たちは反応、
 私の屁理屈ぶりに苦笑いの大笑いしている。
   
 別に前へ出て行って、何かを披露したくはないということではなかったのだが、
 わたしには何故か、Japanerinnen ということばが余りにもハッキリと聞き取れたので
 ちょっとその事実をハッキリとさせたかっただけ。

   
 結局、遅れ馳せながらもわたしも前の方に進み出て行った。
 留学生の耳には同じようには聞き取れなかったのか、
 それとも自分だって Japanerinnen の一人だ
 と思って張り切って前の方へと出て行ったのか。
   
 わたしは日本人女性たちに合流。
 日本人女性たちを前にして
 「司会者は日本人女性 Japanerinnen と言ったんですよね!?」
 と確認を求めながらもちょっとだけ最後の抵抗をした。




     *   *
   
 さて、日本のみなさんたちは全員一緒に「ふるさと」を合唱。
 わたしは歌詞を忘れてしまったので、口をパクパクやっていただけ。
 やはりお呼びではなかったと言えるのかもしれない。

 それでも遠くから見れば歌っているかのように見えるでしょう、見えたでしょう。
 「ふるさと」という文句、一”歌詞”は知っていましたので、
 その箇所に来たら自信たっぷり、
 そこだけは大きな声を出して、

 ふ~る~さ~と~♪ と歌っていました。

    ♪
         ♪
   

 歌い終わった後は、大きな拍手喝采。

 ただ、終わった後でも、日本人女性 Japanerinnen の件が気になって仕方なかった。
 
 言ったのか言わなかったのか、それが問題だ。
 少なくともわたしには大問題に思えた。

 ドイツ語のヒヤリングにもっと力を入れよう!
 クリスマスを前にして、なぜか思いを新たにした。
(171206)

フランスからのお誕生日おめでとう


「あなたに電話よ」
 
 ハンディを手渡された。

 誰から? とささやき声で訊く。

 フランスからよ。

 フランスから? 
 
 誰だろう? 見当がつかない。
 フランスからわたしに直接電話してくる人なんてちょっと思いつかない。




     *   *

 「ハロー」とわたしは電話口に出る。

 「お誕生日おめでとうございます」

 「どうもありがとうございます」

 どうしてわたしの誕生日だということを知っているのだろう。
 一度も彼女と個人的に会ったことも話したこともないのに。


 彼女、実は我が家の子供たち一人一人の誕生日も知っている。
 それぞれの誕生日が来ると、
 今日みたいにフランスから誕生日を迎えた本人に直接電話してくる。
 面白い人といえば面白いし、ちょっと変なだと思えば変なだ。

 
 なぜ変だと感じてしまうかというと、
 まるでわたしのことを個人的に知っているかのごとくに恐れることなく直接電話をしてきて、
 「お誕生日おめでとうございます」と
 見ず知らずの人に伝えているかのようにわたしとしては捉えてしまうからだ。

 そんなことはないですよ、それは単なる観点の違いですよ、感じ方の違いですよ、
 と言ってくる人がいてもわたしは、そうですかねえ、まあ、そうかもしれないですね、
 と返答するかもしれない。
 そうすると、わたしが変なのか。変なの。


 電話を受けたわたしとしてはお礼を言う。礼儀として言う。
 が、それ以上は続かない。

 「どうしてわたしの誕生日のことを知っているのですか?!」
 などと野暮なことは聞かない。

 取り付く島がない。だから、はい、それまでよ、となってしまう。
 はい、それまでよ、でよいのかもしれないが。メッセージは受け取ったのだから。
 つまり、普通、それ以上の話は続かない。

「ご機嫌いかがですか?」と彼女の方から続けようとしてきた。助け舟か。

 「ご機嫌ですか、ええ、とても元気ですよ。お陰さまでまだ生きてますしね、、、」
 言ってしまった後で、ちょっと冗談がきつ過ぎたかなと感じたが、
 まあ、笑いながら言ったから、そんなにいやらしく聞き取られることはなかったかと思う。

 「そちらもお元気ですか?」
 とわたしの方からも礼儀として忘れることなく相手のご機嫌を伺う。

 「ええ、元気ですよ。それにしてもドイツ語がお上手ね」

 あはあ、これって褒めてくれているのかな。
 お上手ですね、などと言われると、わたしは警戒してしまう。
 
 実は今回が初めてではない。
 過去にも何度かわたしは言われた、「ドイツ語がお上手ですね」と。
 褒めているのか、本当にそう思って言っているのか。
 

 その言い方にもよるのか、それともそれを聞いたわたしの耳、心の持ち様にもよるのか。
 素直に、「どうも」と受け答えて置けば良いのか。それが礼儀というものか。

 そうそう、外交辞令ということばがあるが、それに当たるのかもしれない。
 つまり、本当にそう思って言っているのではないのかもしれない。
 

 言われたわたし、実はあまりこころ穏やかではない。
 また、そんなこと言って、褒めているというよりも、口ではそう言いながらも、
 心の中では「あなたはドイツ語はまだまだですね」と言っているのではないのか。
 その心の中で言っていることばの方がわたしの耳には大きく聞えてくるかのよう。

 つまりそんなこと言ってお世辞に決まっている。
 もちろん、わたしを喜ばせようと言うのだろうけれども、
 わたしは別に喜ばない。

 むしろ、それを聞くといつも絶望的な気持ちになりそう。
 わたしはへそ曲がりなのかも知れない。




      *  *

 オーストリアにやってきてまだ間もない頃、グラーツを訪ねたことがある。
 財布の中身が少なくなったので街角の銀行へ行った。
 当時はオーストリア・シリングであったが、それが欲しくて日本円の両替えに立ち寄った。

 窓口の出納係の若い男性は両替えの紙幣を準備している。
 こちらは黙って待っている。

 シリングの札束を何枚か目の前に出しながら言った。
 「ここにサインしてください」

 「日本語のサインでも良いのですか? 漢字の名前でも良いのですか」
 相手がどう応じるか、ドイツ語会話をしているということで試しに聞いたまでだった。
 わたしの冗談が通じたのか通じなかったのか、ニコリともしない。

 「日本からのご旅行ですか? ドイツ語がお上手ですね」
   
 「ええ、どうも。お宅だって(ドイツ語が)とても上手いですね」とわたしは応酬した。
 言ってしまった後でちょっと品がなかったかな、
 嫌味に聞えてしまったかなと感じてしまった。
 相手は応ぜず、わたしは英語でサインして戻した。

 「Gute Reise! 良き旅をしてください」

 「実は、わたしはオーストリアに住んでいるんですよ」と
 口から出そうになったが、余計なこととだ、ビジネス関係は完了した
 と思われたのでぐっと堪えた。
 直ぐに銀行から出た。

 オーストリアに住んでいようと住んでいまいとどうでもよいことであろう。
 わたしに関心があって、いろいろと質問したり、こちらの質問に応じたりしているわけでもない。
 ビジネスに付随することとしてのビジネス・トークであり、
 ちょっとしたスモール・トークでもこちらとしてはしようとしていたのだが、
 姿勢を崩さない。




      *   *

 フランスに嫁いだオーストリア女性に対しても、わたしはまたも同じように応じてしまった。

 「どうも。あなたもですよ!」

 あなただってドイツ語がお上手ですね。
 本人はオーストリア人女性、もちろん、ドイツ語が上手であることはいうまでもない。
 母国語である。
 でも今はフランス人のご主人と一緒に暮らしている。

 わたしの応答に気分を害したのかどうかはしらない。
 人それぞれだからその人本人なってみないと分からない。
 
 こんなときイタリア人はどう応じるか。
 彼らたちは冗談をいっていることを感覚的に取るのが上手い。
 
 彼女とは深い関係にあるわけでもなく、深い知り合い関係にあるわけでもなく、
 思えば、一年に一回、誕生日という日に長くても一、二分言葉を交わすだけのこと。

 また来年の誕生日がやってきたら、間違いなく電話してくるかもしれない。
 今回、わたしは始めて電話を受けた。
 
 本人が今日まで何をしていてきたのか、今は何をしているのか、
 そんな情報もないし、会話の題材が見当たらない。
 話をするとしたら天気の話になってしまうのか、
 天気の話をするなんてばかばかしい。

 天気の話どころではない、あまりにも長すぎる会話の転機と見て取ったのか、
 「じゃや、奥さんともう一度代わって」と告げてきた。

 ハンディをまた奥さんに手渡した。
 二人で話している。
 国際電話だけど直ぐ隣に住んでいる人と話しているような感覚だ。


     *  *

 我が奥さんとは結構長い知り合い同士らしい。
 どのくらい深い知り合い関係にあるのかは知らないが、
 こうして毎回、家族全員の誕生日を覚えていて、
 誕生日当日はフランスから国際電話を掛けて来る。

 「ねえ、子供たちの誕生日を教えて。ご主人の誕生日も教えて」
 そんな問い合わせが一度あったに違いない。

 フランスから電話が掛かって来る度にわたしは電話を受けていたが、
 というか電話を取るまではそれがフランスからだということは皆目分からなかったが、
 フランスからだったということで、
 ああ、またも彼女からの電話か、子供たちへの誕生祝いの電話か。
 よくもまあ、こまめに電話してくることかとどこか他の人とは一味違うことを感じていた。
 それともわたしがそう感じるという方がおかしいだろうか。
 

 あなた(わたしの奥さんのこと)とわたしとは知り合いの仲、お友達。
 だからあなたのご主人もわたしとは知り合いの仲。
 そしてあなた方のお子さんたちもわたしとは知り合いの仲。

 そんな三段論法的な論理がそのフランスに住んでいる女性の頭の中では働いているのだろうか。

 想像するに、彼女にはお友達もいるだろうし、そして知り合いもいるだろうし、
 そうした人たちには子供たちもいるだろうし、もしかしたら孫もいるだろうし、
 そういう人たち一人一人の誕生日を聞きだして、誕生日がやってきたら、
 誕生日を迎えた本人にフランスは住んでいる家から直接電話を入れて、
 「お誕生日おめでとう」と言う。

 これを何と言えばよいのか。こころの広い人なのだろう。感心してしまう。
 自分とは一味違う。違いすぎる。




          *   *

 
 このインターネット世界でのコミュニケーションは電子メールで済ますことが多いが、
 だから電話を使うことはあまりない、
 わたしはそれにハンディーを個人的にも所有していないし、
 他の家族は全員専用のハンディーを持って大いに利用しているが。

 電話だと当日、直接本人にメッセージを伝えられる可能性が高い。
 インターネットの世界だから電子メールで同じメッセージを送ることもできる。
 が、電子メールと電話とは同じメッセージであっても印象が異なる。

 実はわたしの奥さんの妹がそうやった。
 が、届いたのは当日のことではなく、翌日であった。

 昨日電話を入れる積もりだったのだけども、
 クリスマス用のクッキーを作ることに忙しかったり、
 それが終わったら直ぐにザルツブルクへと列車に乗らなければならなかったのよ
 とかどうのこうのと
 一日遅れての「遅ればせながら、お誕生日おめでとう」という
 弁解付き?メールを送ってきた。

 身内の一人ではあるが、遅れた理由をたらたらと述べながら、
 それでも「おめでとう」と送ってきた。

 送ることが出来たので、一応安心しているのかもしれない。
 身内としての”義務”をそれなりに果たしたと安堵しているかもしれない。

 フランスにいるその女性の方とは一度も顔を合わしたこともないが、
 ずっと年配ではあるし気配りがある。

 どちらも母親になっているが、心の広さというのか、心の余裕とでもいうのか、
 わたしは人を比較するのが好きではないが、そんな違いを感じてしまう。

 もちろん人それぞれ異なった環境で育ち、今も過去からの何をかを身に背負いながら
 将来に向かって生きている。
 生きているに違いない。

 一方通行的な「お誕生日おめでとう」メッセージは今年、初めてフランスから声で以って
 わたしにも届いた。

 それではわたしも見習って、彼女の誕生日には電話メッセージを送ろうか。
 彼女はそれを望んでいるだろうか。
 望んでいるかどうかではなく、
 それをやるのかどうなのか、
 それはわたし個人の問題、決断次第ということになるのだろう。

 わたしは彼女の誕生日は知らない。
 ご主人のそれだって、子供たちのそれだって知らない。
 知りたいと思ったこともない。
 わたしは薄情か。

 薄情だと白状せざるをえないかもしれない。
 やったら薄情とはならない?
 やるやらないではなく、こころの持ち様が正されているのかどうか。

 彼女の実践はこちらとしても考えさせられた、
 我が誕生日の日にフランスから入って来た予約なしの
 ”Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag!”

 待っていれば何かプレゼントも贈(送?)られてくるのだろうか。
 前例からしてあり得ないことだろうが。

 
 我が奥さんからプレゼント。
 ノルディック・ウオーキング用のストック。
 これからは二人夫婦でノルディック・ウウォーキングしようよ、ということらしい。

 今までは一人でやっていたがモチベーションが続かなかった。
 これからは二人で一緒に近所を歩き回るぞ。
 みんなに仲良いところを見せつけてやろう。

ザンクト・フローリアン修道院でバイオリン独奏会を体験した

 
コンサート当日の夕方が迫っている。

 「いつから始まるの?」

 「午後7時からよ」

 彼女は5時45分には出発しよう、とわたしに嗾けていた。

 「そんなに早く行ってどうするの?」

 「良い席が取れないかもしれないから。
  指定席ではなく、自分で好きな所に座れるようになっているのよ」

 まあ、早過ぎたとして、遅れて来るよりも益しだろう。


 「デジタルカメラを持ってゆこうか?」

 「何のために?」

 「何かを撮るために?」

 「何を撮るの?」

 「何か。」

 それ以上会話は進まず、わたしとしても持って行く必要もないだろう、と決めてしまった。
 ちょっとした荷物になるからなあ、
 まあ、何かを撮影するために行くのではなく、
 何かを聞きに行くのだから、と。




    *  *

 修道院の中庭を横切って、演奏会場へと足を進めて行く。
 どこだろう? 

 何らの案内も標識も出ていない。
 感覚的にこちらの方だろう、とずんずんと進んで行く。
 雨が降っているので、濡れたくはないという急ぎ足の思いもある。

 と、
 中庭まで乗り込んで来て、われわれの脇を割り込むかのように
 通り過ぎて行こうとする一台の真っ赤な乗用車。

 運転手の女性が顔を出して我々の方に向かって、「あちらの方ですよ」と教えてくれる。
 我々が演奏会に来たことが分かったらしい。
 分かるものらしい。

 我々がその入り口の前に到着すると同時に自動車もその前の広くなった所に駐車。
 車のドアーが開き、その女性がすっと出て来る。
 黒いハイヒール、黒いストッキング、黒いタイトスカート、黒いワンピース。
 金髪。すらっとしたスタイル。
 ハイヒールは石音を立てながら、彼女は会場の方へと素晴らしい姿勢で歩いて行く。
 その姿に見惚れてしまった。

 我々もそれなりに正装してやって来た。
 わたしはネクタイを締め、夏用のジャケットを羽織って、靴も綺麗に磨いて来た。



       *  *

 我々にとっては始めてのこと、事情も良くわからず、
 早く行かないと良い席が取れないからということでやって来てみれば、
 誰も来ていないようだ。

 チケット販売の女性が既に一人、
 臨時に設置した机の前に立ったままで販売の準備万端といった風であった。

 わたしは我々二人分を支払った。
 われわれ二人は一番乗りであった。
 確かに我々の他にはまだ誰も来ていなかった。

 会場のドアー、どっしりとした木造の、3メートルほどの高さもあろうか、
 観音開き、それが半ば開いていて、通路からも中の様子がちょっとだけ見えた。

 ドアーがちょっとだけ開いた隙間をすり抜けるかのようにして中へと入って見ると、
 楽譜スタンドを遠巻きに囲むかのように椅子が半円状に3、4列並べられていた。

 今晩の演奏者がスタンドの前に立って演奏をするのだろう。
 楽譜スタンドには小さなランプが取り付けられ、ダイダイの光を放っていた。

 一列目はスポンサーたちの予約席として5席ほど確保されてしまっていた。
 我々二人は2列目、そのスタンドの真向かい、正面の席を確保した。 
 最良、最高の席だ、と思う。
 やはり30分も早くやってきただけの甲斐はあった。

 まだ開演までの時間も充分にあるということで、誰もいない会場内を一人で視察。
 窓の遥か下を見ると、グリーンの芝生に埋まったサッカー場がある。
 修道院の中にサッカー場? 
 修道院の住人たちもサッカーをするの? 
 サッカー場のさらに先の方にはプールも見える。
 水浴びもするの? 

 修道僧たちはお祈りばっかりの毎日というわけでもないのかも、
 退屈しないようにちゃんと配慮されているのだろう、
 窓からの風景を目にしながら勝手に思っていた。

 ウィーンにウィーン少年合唱団があるように、
 この修道院にはザンクトフローリアン少年合唱団があって、
 修道院の中で寄宿生活を送っている。
 こうした少年たちのための運動施設でもあるのかも、
 と勝手に思っていた。
◆天使の歌声 ~ザ・ベスト・オブ・ウィーン少年合唱団
 

 自分の席に腰掛けた。
 正面の壁には大きな絵画、周りの壁、
 首を真上に曲げると天井にも大壁画や天井画。

 目がくらくらするほどに天井が高い。
 見上げる私の方へとふわっと舞降りて来るかのような感覚・印象を受けた。
 ああ、やっぱりデジカメを持って来れば良かったのに、とちょっと悔やんだ。

 自分の席に座っていると、午後7時の開演時刻が迫っているので、
 正面、右側のドアーからは今晩の聴衆者たちが次々と入ってくる。
 わたしはどんな人たちが今晩やって来るのかと興味津々、関心を持って眺めている。

 皆さん、それなりに着飾っている。
 普段着では来れないのだ。
 夫婦で、子供連れで、家族全員で、皆クラシック音楽を愛好する西洋の人たちだ、
 地元、近所からやって来られたのだろう。

 演奏会開始予定の午後7時は既に過ぎている。
 相変わらず聴衆が次々と入って来る。
 準備された席が足りないということで予備の席が運び込まれてくる。



           *   *

 東洋人風の男女がドアー口に現われたときにはちょっと驚いた。
 こんな所にやって来る東洋人(日本人)はわたし一人だけだろうと思っていた。
 その二人は我々と同じ列、
 我が奥さんはわたしの右に座っていたが、
 我が奥さんの右の席を占めた。


 建物の外で見掛けた、真っ赤な車を自分で運転して来た、黒ずくめの金髪女性は、
 今晩のMCであった。

 予想していた数以上の人たちが今晩は訪れたらしい。
 その金髪女性による歓迎の挨拶があった。
 自信満々の声。
 威風堂々。

 そして、今晩の演奏者が左側のドアーから現われた。
 楽譜スタンドの横に身を移し、聴衆者たちに向かい合うように直立。
 深々と体躯を曲げた。

 今晩の演奏者はリンツ出身のバイオリン奏者、
 黒い革靴、黒いズボン、黒いワイシャツ、
 裾はズボンの中にはなく、上張りのように着こなしている、
 そしてそのシャツで覆われた腹部は妊娠8ヶ月のごとく、
 太い腕、黒い長い髪は馬の尻尾の如く後ろで束ねている。

 奥さんはロシア人で、現在はイタリアに留学中とのこと。
 この方は日本にも演奏旅行に行ったことがあるとのこと。

 日本では日本の演奏家たちとも知り合いになり、
 今月末頃にはこの場所、我々が今腰掛けているこの場所で
 日本の演奏家たちがやってきて演奏予定との宣伝もあった。

 壁にはいつの間にか間接照明のライトが照っていた。
 窓の外は真っ暗。

 何曲かの演奏が終わって、休憩となった。
 イタリアからワインを持って来ましたので、御賞味ください、
 ということで聴衆たちは右側の出入口から出て、通路を通って、
 左側の別の通路で振舞われていたワイングラスを手にしている。
 わたしは喉が渇いていただけなのでミネラル水を手にした。

 わが奥さんが遅れて休憩の場所に私と合流した。
 東洋人二人に話し掛けた、と。
 日本から直接やってきたとのこと。

 お二人も遅れてやってきて、我々は初対面ながら、お互いに言葉を交わした。

 我が奥さんはその男性からCDを頂いた、と私に見せてくれた。
 クラシックの、トリオ、クワルテット、Haydn、Bachの何曲かのタイトルが読める。
 演奏を録音したものらしい。
 2007年、千葉で録音と記されている。
 録音したものを直ぐにオーストリアに持ってこられたかのようだ。
 我が奥さんに贈呈するために、ということだったのだろうか。
 まるでそのようだとも言えないこともない。

 「日本からやってこられたのですか?」

 「そう」

 「ここでコンサートがあるということがどうして分かったのですか?」

 「インターネットで見ました」

 「ドイツ語分かるのですか?」

 「なんとなく感で分かりましたよ」

 「この演奏会のために日本からわざわざ直接やってこられたのですか!?」

 「ええ」

 「このためのみに日本から直行ですか!? すごい!」

 我々二人はオーストリアの、近くの町に住んでいて、
 ちょっと聴きに行ってみるかというような気楽な感覚でやってきたのに、
 このお二人は遠い日本から飛んで来て、もちろん飛行機に乗って、
 この日の一時間余りのコンサートに参加するという意気込み、その気合。


 我が奥さんに教えてもらったので、ついでに話題にした。

 「チェロを弾くのですか?」

 「ええ」

 「すごいですね、私なんか何も弾けませんよ。弾けるとしたら口笛くらいですよ」

 インタビューを受けませんか、
 とマイクを持ったオーストリアの女性が日本からの男性に話しかけ、
 別室へと招かれて行った。

 しばらくしたら戻ってきた。

 「何を話したのですか」

 「演奏の感想を聞かれたので、素直に感じたことをしゃべりました」

 「すごい! オーストリアのテレビで放映され、有名になりますよ」

 日本からのお二人はとても控えめ。
 若い演奏家らしい。ヨーロッパに休暇で来たらしい。
 明日はイタリアへと行く予定とのこと。
 頂いたCDをみると Tai という名前だ。


 「今晩の演奏者もそうなのでしょうね、
  楽器が弾けるようになるためには子供のころから練習練習、
  練習の積み重ね、訓練を受けていないとだめなのですよね? 
  楽器を巧みに弾く人を見ると驚嘆の思いになってしまいますよ。
  私などはぜんぜん弾けませんからね。先日、キーボードを買ってですね、
  自分でも弾けるようになりたいという願望は大いに持っているのですが、
  大人になってからはちょっと無理ですかね」



          *   *

 休憩が終わり、皆自分の席へと戻った。

 プログラム最後の、Johann Sebastian Bach の Partia III E
 が何曲か続き、約1時間強のプログラムは終わった。

 独演者は規律正しく両足を閉じ、頭を下げた。
 そして左側の3メートル高のドアーを押し開け、中へと消えた。
 ドアの背後に誰かが控えているのだろうか。
 タイミング良くドアを引いて演奏者が中へと姿を消すようにしてあげているのかも。

 拍手が鳴り止まない。
 奏者はドアーからまた姿を現し、
 アンコール曲をすでに用意してあったらしく、拍手に応えて演奏開始。

 演奏が終わると、また聴衆は一斉に拍手。
 左側のドアーの裏側、向こう側へと演奏者は姿を消した。

 ドアーの向こう側へと姿を消して、そこで何をしているのだろう?
 そこは控え室にでもなっているのだろうか、


 「ドアーの向こうでは何をしているのかな? 深呼吸でもしているのかな?」
 わが奥さんに聞いて見た。

 「分からないわよ」

 「トイレにでも急いで行っているとか」

 「分からないわよ」

 「後で聞いて見ようか」

 「よしなさいよ」


 オーケストラの指揮者が演奏を終えた後に、姿を消す。
 会場では拍手が鳴り止まない。

 指揮者が戻って来て、観衆に頭を下げている。
 そしてまた姿を消す。
 同じようなことがここでも起こっている。

 行ったり来たりすることがクラシックの演奏会では慣わしになっているだろうか、
 勝手に思っている。


 さて、会場での拍手は鳴り止まない。
 奏者がまた戻ってきた。
 頭を深々と下げた。

 そして、またもドアーの向こうへと消えた。
 拍手は続く。

 暫くしてドアーからはまた奏者が姿を見せ、
 規律正しく立ってまま頭をまたも深々と下げた。
 拍手は一層大きく鳴り響く。

 奏者はまたも左側ドアーの向こうへと姿を消した。

 行ったり来たりが何度も続くかのようだ。
 ドアーの向こうへと姿を消して、一体そこで何をしているのだろう? 
 気になる。

 拍手がはやく鳴り止まないかとドアーの背後で聞き耳でも立てているのだろうか。
 とても気になる。

 また戻ってきた。
 もうこのぐらいでよろしいです、といった風に合図をする。
 拍手の鳴りはようやくおさまった。

 行ったり出てきたり、また行ったり出てきたり、
 演奏だけでなくこれだって疲れるだろうに。



      *  *

 今晩の個人コンサート、バイオリンの独奏会は成功裏に終了した。
 演奏者のご本人はそう思っていることだろう。


 プログラムの表紙を見たら、 
 Fiori Musicali
 Musik und Ambiente 2007

 Sommerrefektorium des Stiftes St. Florian と記されている。

 Refektorium とは何ぞや、と手元の辞書で調べてみたら、
 修道院、神学校の、食堂と出ていた。

 我々がバイオリンの演奏を聞いた場所は、
 このザンクトフローリアン修道院の、修道僧たちの、夏用の食堂!? 
 
 修道僧たちの食堂でのバイオリニストの独奏を体験したのであった。
(15052007)
世界遺産 オーストリア編
世界遺産 ドイツ編

オーストリア文化遺産の只中で生のクラシック演奏を聴いた


オーストリアの偉大な音楽家の一人である、アントン・ブルックナーがオルガン奏者をやっていたという縁(ゆかり)の場所を初めて訪れた。
Stift St. Florian ザンクトフローリンアン修道院という。

リンツ市の郊外、St. Florian ザンクトフローリアンという町にある。
こぢんまりとした町だ。
この修道院を中心に周囲に個人の家屋が囲むように建っている。

オーストリアのハイウェイ、国道一号線を走って、付近を通り過ぎようとすると、
この修道院のどっしりとした感じの建物が遠望される。
平行して走っている鉄道に乗っていても同じことだ。
わたしにとっては遠望するだけで、近くまで行ったことはなかった。

いや、なかった、というのはちょっと間違いだ。
長いことリンツ市に、アパートに住んでいたが、壁にカビが生じて来るわ、
大家さんは全然対処してくれないわ、
それだったら健康上に宜しくない住居だということで引越を決めた。

新聞で物件案内を見ながら、
ザンクトフローリアンという町に物件があるということで見に行った。
確かこの町には有名な修道院があるのだなあ、ということを思い出しながら車を飛ばして行った。

だから、ザンクトフローリアンという町に初めてやって来たのは今回が初めてだったということにはならない。
が、やってきたとき、それは修道院とは何らの関係もない用件だった。
2、3年前のある日のことだった。序に寄って見てみよう、とはならなかった。



   *   *

「ねえ、来月、コンサートがあるから一緒に行かない?」

一緒に行かない? と言われてしまっては、一緒に行かないわけには行かないようだ。
自分一人で行って来いよ、と言うことが憚れるような雰囲気であった。
こちらでは何かの催し物があると何でも夫婦一緒に出掛けて行くことになっているらしい。


毎日配達されてくる新聞の中に、リンツ、リンツ近辺のイベントスケジュールがぎっしりと書かれた小冊子、
それをつらつらと眺めていたら、あることが紹介されていることに驚き、と同時にどうしても行って見たいという衝動に我が奥さん、駆られたらしい。

さっそく電話をしている。
何か、予約しているような。
わたしとは直接関係ないことなのだろうと深く詮索することもなかった。

「わたしの誕生日のお祝いとしてね。いいでしょう?」

誕生日のお祝いとしてキスしてあげたのに、それだけでは十分でなかったのか。
翌日、家族たちと一緒の誕生日のお祝いが終わった後で、
あなたからはまだ何もプレゼントしてもらっていない、と指摘されたので、
急遽、カーネーションの花束を買いに行って、奥さんが帰ってきたときに進呈した。
誕生日のプレゼントとして、お祝いの接吻では十分でないらしく、お花のプレゼントもした。

「お花のプレゼントでも十分ではないのか!?」

「十分ではないわよ」

ということで、自分で自分にプレゼントするという形でコンサートのプレゼントを追加的に”要求”、
プレゼントの受け渡しが確実になったということでわたしには報告をするのだった。


実は今晩の演奏者は、我が奥さんの、バイオリンの先生だった人。
リンツに住んでいた頃、子供の頃習っていたバイオリン、
でも長らく御無沙汰、大人になってからまたバイオリンを弾き始め、
バイオリンを弾く機会が多くなり演奏法をブラッシュアップするということで、
リンツの音楽学校に通い、そこでバイオリンの先生に就いて教えてもらっていた。
4年前のことだった。
その先生が今晩演奏会を開くということで、演奏会のチケットを二人分電話予約したのだった。
(20070516)
つづく→