”Sex”をインターネット検索するオーストリアの小学生たち

ショッキングな調査結果:
わが国(オーストリア国)の子供たちはWeb上で Sex を検索している

バーチャルなインターネット世界で最初のエロティックなファンタジーについて回答を求める子供たちが増え続けている。7才(!)の子供たちの間だけでも”Porno”という語が一番良く使われる検索語の中で第4位を占めている。さらに良く好まれる検索語は Youtube(第1位)、Google(第2位)そして Facebook(第3位)である、とある大学の調査結果となった。

 研究者たちは未成年者のコンピュータユーザがどんな検索語を使うのか初めて評価した。Youtube や Facebook といった他に子供たちは7才という若い年でインターネット上で性情報を既に求めている。”Porno”という語に対する検索回数はオンラインゲームよりも上回っている。

8才から上になると検索語には"Sex" の他に"eBay" が何度も登場する。ママやパパのクレジットカード番号を使って13才から18才のティーンネージャーはすでに一度はバーチャルショッピングをしている。

 親たちに対するアドバイス>子供たちの検索行動を追跡して、寧ろ子供たちと一緒にオンラインサーフィンすること。コンピュータは常にアップデイトの状態に保ち、コンピュータを保護するためにファイアウオールを備える。特別のソフトがあるが、それを使ってインターネット上の内容をフィルターに掛けさせるようにする。
Schock-Studie: Unsere Kids suchen im Web nach "Sex"
(Österreich Heute Mo.,20.9.10/Nr.1018)

Immer mehr Kinder suchen in der virtuellen Internet-Welt nach Antworten auf erste erotische Fantasien: Selbst bei den unter Siebenjährigen(!) rangiert das Wort "Porno" auf Platz 4 der am häufigsten verwendeten Suchbegriffe. Beliebter sind nur Youtube (1. Platz), Google (2.) und Facebook (3.). Das ergab eine aktuelle Uni-Studie.

Erstmals werteten Wissenschafter die Suchbegriffe minderjähriger Computernutzer aus. Neben "Youtube" und "Facebook" suchen Kinder bereits im zarten Alter von sieben Jahren nach Aufklärung im Internet. Bedenklich: Nach dem Wort "Porno" suchen sie jäufiger als nach Online-Spielen.

Ab acht Jahren tauchen neben dem Suchbegriff "Sex" auch vermehrt "eBay" auf. Mit der Kreditkartennummer von Mama oder Papa gehen 13- bis 18-jährige Teenager auch schon mal auf virtuelle Shopping-Tour.

Tipps für Eltern: Verfolgen Sie das Surf-Verhalten Ihrer Kinder, gehen Sie lieber gemeinsam online. Halten Sie den Computer auf dem neusten Stand, und sorgen Sie für Schutz per Firewall. Mit speziellen Programmen können Sie Inhalte filtern lassen. 

日本映画の深夜放映、Shall we ダンス?


shallwedance.jpg

週に一回、土日を除く週日に配達されてくる新聞にテレビ・ラジオの番組小冊子、
今週分をたまたまつらつらと眺めていたら、
ドイツのテレビ局で、日本のダンス映画、Shall we ダンス?が放映されるということを発見!

懐かしい映画タイトル!
それはそれは日本を出国してオーストリアにやって来て、定住するようになり、
かれこれ10年になったが、日本の映画を観る機会などは全然ない、なかった。

まあ、日本の映画、テレビ番組等が外国にいて全然見れないというわけではないでしょう。
たとえば、話によるとインターネットで放映している会社があるとか、
また衛星放送を使って海外向けに電波を流しているとか、
それなりに自宅に日本語音声環境を作り出そうと思えば出来ないこともない、
ということは分かっているのですが、
そこまでする必要性も感じないし、そんな日常でもない。


Shall we ダンス? が放映されるということを見出して、
これはこれは絶対にもう一度見ておきたい、と自分に確認。

あの楽しさ、可笑しさをもう一度久しぶりに、
10年ぶりに、味わいたいと一人で期待する。
筋の展開はどうだったか。
記憶がちょっと遠くなってしまった。

放映時間帯が真夜中、午前零時過ぎ頃からの2時間程であった。
普通ならば、既にベッドの中、睡眠中ということなのだが、
この日本映画を見たい、日本語映画を見たいということで、
普段の就寝時間がやってきても、
寝室へ進出することもせずに、
コンピューター・モニターの前で時間潰し、放映時間が来るまで頑張っていた。

さて、楽しかった思い出のある日本映画だったということで、
それに久しぶりに見るということで、
その楽しさをもう一度! 
そしてこれからは機会があるたびにもう毎度毎度! 
ということで録画することにも決めていた。

放映開始時間午前零時20分であったが、
その10分前には自分ひとりだけのテレビの前にやって来て、
録画用のビデオテープをセットして、準備をしていた。

ドイツテレビ局ARDからの放映されるということももう一度小冊子を手にして確認、
つまり我が家は衛星放送受信でドイツからの電波を受信できることにもなっているのだが、
テレビ画面でテレビ受信局のリストをつらつらと眺めていても、
ARD放送局がリストの中にない、ない!ない! 

これにはとっても慌てた。 
何だ何だ!? 
我が家のテレビでは見れないのか!? 

リスト一つ一つを確認して行った。
時間がもうそこまで来ているのに、ARDは本当にない、ない! 
何度リストを上から、下から確認して行ってもない、ないものはない、
としか結論するしかないと少々、諦め気味。
諦めきれないわたしではあったが。



午前零時20分を過ぎた頃、リストを無駄にも諦めきれずも確認し続けていたら、
おー!たまたま目当ての日本語映画のイントロ画像が目に入ってきた! 
来た!来た! でもARDではなく、別の放送局であった。
まあ、別の放送局でもよい。

さて、早速、録画のためにもビデオデッキの録画スイッチを入れ、
自分のソファーのどっかりの腰掛け、
深夜の日本映画を一人で楽しむということは相成った。


*    *

日本映画、すなわち日本語映画とは言えず、ということを遅ればせながらも発見。
てっきり日本語の、オリジナル映画が放映されるものと思い込んでいたわたしがおかしいのか、映画の出演者たちは皆、例外なく、杉山さんもドイツ語を流暢に喋っていた(笑)。


ある笑い話が思い出された。
日本のおばあちゃんが外国映画を見ていたそうな。

「あらっ、まあ、あの人たちは日本語がお上手ね!」

実は、わたしは日本のおばあちゃんでもおじいちゃんでもありませんが、
「あらまあ、あの日本の人たちドイツ語が上手だね」と真似してしまいました。

ドイツ国民、というかドイツ語圏の視聴者のために日本語では流さず、
出演の日本人には全員、ドイツ語の特訓をさせて、
ドイツ語で喋るように指示したのでしょう(笑)。


ラテンダンスにぞっこん掘れ込んでいるらしい青木さん、
その演技には気合がとても入っていて見ていて大変おかしくも楽しいものであったことが再確認できた。

主演の杉山さんは、日本にいた時に働いていたわたし自身を描写しているかのような気持ちになってしまった。疲れ気味のサラリーマン身分。
もうわたしはサラリーマンをやっていないが。
10年前の自分の姿とだぶった。




      *   *

ある夜、我が奥さんが自分はまだ一度も見たことがない、見てみたい、という。
そうか、そうか、見たいのか。
よしよし、ちょっと待ってくれ。

実は録画してあるからということで、我が奥さんをソファーに座らせ、
わたしはビデオデッキにビデオを挿入して、見えるように操作した。
が、が、が、画像の画も像も出てこない! 

ガチョーン!
日本にいたら照れ隠しに言ってしまったかもしれない。

とにかく何度試みても、画像が出てこない。

テレビ画面は白黒の大嵐が吹き荒れているだけ。
オーストリアでは日本映画は上映されないのか?!
大嵐に吹き飛ばされてしまったのか。

ドジをやってしまっていたのでした、とはその時まで気がついてはいなかった。
録画は完璧に出来たものと安心しきっていた。
が、何度デッキのスイッチを入れても、カラー画像が出てこない。

ビデオとテレビの接続が間違っているのか、と接続も何度となく確認。
別の録画済のテープでも確認。

不安が過ぎった。
これはもしかして全然録画出来ていないのではないのでは!?

録画に失敗したことを認めざるを得なかった。
ドジ、ドジ。
オーストリアにやってきてまでドジッタ。

ビデオテープを取り出し、確認してみたら、角の穴が完全には塞がっていないではないか。
セロテープで穴を被った筈だったなのだが。

実は古いテープをセットして置いた。
既に放映開始となり、録画スイッチを入れた。
が録画が始まらないようだ、ということでテープを取り出して見たら、
角の穴が塞がっていなかった。

キッチンから急いでセロテープを持ってきて、貼り付けた。
上書き録画するために、また最初から失敗のない録画をしようとちょっと慌てていた自分を思い出した。
テープの角の穴が完全には塞がっていず、若干開いている形でセロテープが貼ってあることを発見!
映画が終了するまで鑑賞していたが、録画の方はろくでもないものになっているとはつゆ知らなかった。

今となっては録画は失敗だったと認めざる得なかった。
奥さんに見せることも出来ず、ついでに男をちょっと下げてしまったかどうかは知らない。

又の機会に期待しよう。
それともドイツのテレビ局に投書して、もう一度放映してくれと頼もうか、とも思ったが、
頼むにも早すぎるだろう。
また10年経ったら見られるようになるのだろうか。
それは分からない。
(20070502)

Shall We ダンス? (初回限定版) [DVD]

オーストリア人が好きな食べ物、ベストテン


昨日、西洋世界では復活祭、ドイツ語で Ostern 。(復活祭?→ 年によって日付が変わる移動祝日)

朝、起床後、子供たちは家の中、Ostereier 復活祭のゆで卵、色が塗られた卵を探し回って、一人で3個、4個と見出しては大事そうに自分だけの宝物のように確保する。

当地では午前中、曇っていましたが、
昼食を挟んで、午後からは太陽が出て来て、明るく世界を照らしてくれていた。
静かだった。
春はもうすこまで来ているようだ。
小鳥たちも喜んでいるようだ。
骸骨のように枝だけになったような木々にも新芽が出て来る気配が観察される。


昼食、我が家ではスープの後、日本で言うトンカツのようなものを食べました。
復活祭の日に因んで、そうした料理が出てきたのかどうなのかは分からない。
この日には決まったメニューがあるのかも。

「これって、Wienerschnitzel ヴィーナーシュニツェルと言うんだろう?」

「違うわよ」

「良く似ている」

「ヴィーナーシュニツェルには普通、子牛の肉を使うのよ。でも高いから、家庭ではブタ肉を使って作ることが多いわね」

「それは知っているよ」

「我が家の肉は子牛の肉でもなし、豚肉でもなし、フーテンよ」

「フーテン?」
 フーテンの寅さんをつい思い出してしまった。

「そう、フーテンの方が健康的だしね」

「フーテンという肉は柔らかいねえ」

フーテンって何の肉だろう? 
食後、こっそりと手元の独和辞書で調べてみたら 
Puten 七面鳥(雌)であった。
フーテンではなく、プーテンであった。プー。 



我々家族全員はヴィーナーシュニツェルに似せたようなプーテンシュニツェルを食したのだった。
ご飯つき、もちろん!

大きな皿の上には食べられる量だけ乗せ、その横、開いたスペースにプーテンシュニツェルを乗せる。ナイフとフォークを使って、シュニツェルを小片に切りながら、フォークで突っついて口に運んで行く。誰もが同じようにすると思うが、、、。

シュニツェルには(わたしにとっては、実は)日本製のキッコーマン醤油が欠かせない。
この醤油があればどんな料理でも美味しく食べられるかのようだ。 






      *   *

さて、「オーストリア人が料理店に行って一番好んで食べるものはシュニツェルである 」という結果が出たそうな。「薄いカツレツ」と手元の辞書には出ている。

これは数年前の新聞記事だったが、オーストリア人の好きな食べ物の統計が載っていた。
Kreutzer Fischer & Partner社の市場分析によるとオーストリア人は一年間に温かい料理を4,200,000,000皿分(こんなに0が幾つも並んでいると、何皿分なのか分かり難い!”42億”皿分)、費消する。因みにオーストリアの人口は8,000,000(8百万)強です。

温かい料理を食べるとは普通、昼食のことを意味します。
42億皿のうち、ほぼその3分の一に当たる1,300,000,000(13億)の料理が昨年、2004年、料理店では食されている。

一番頻繁に注文さているものは、別に驚くには足らないのだが、シュニツェルが注文されている。
すなわち、73,000,000(73百万)回、注文があった。

1998年と比較すると昨年(昨年? いつ? 笑)は
600,000(60万)回分さらに シュニツェル(das Schnitzel)が注文された。

第1位のシュニツェルに敬意を表して、第2位には1998年と同様に、昨年はグーラッシュ(das Gulasch)であった。
注文数は44,300,000(44.3百万)回あったが、2,000,000
(2百万)回減って42,300,000(42.3百万)回になった。

一方、ランクを回復したのはパスタ(die Pasta)であった。
1998年と比較すると、第4位から第3位に浮上した。38,400,000回、
オーストリア人は料理店で注文した。

第4位(1998年は第5位であった)は挽肉料理(das Faschierte)、
1998年と比較するとほぼ100万回多く注文があった。

ランクを失ったのはハッキリとしている。
豚の焼肉(der Schweinsbraten)であった。
5,800,000(5.8百万)回分のマイナス注文で2ランクも失い、
第3位から第5位に転落。

第6位はプーテンシュニツェル(das Putenschnitzel)であった。
1998年と比較して6200000回、多くの注文があった。
第8位から第6位に浮上。

第7位には、肉の串焼き(der Fleischspies)。
そして、第8位に鶏の焼肉(der Grillhuhn)、
第9位にはピッツァ(die Pizza)、
第10位には牛肉料理(der gekochter Rindfleisch)であった。

Kreutzer Fischer & Partner社の調査のために2400名が代表として選抜された人々の食習慣について2週間に渡って分析された、とのこと。

さて、ここでもう一度まとめてみましょう。

第1位  シュニツェル(das Schnitzel)

第2位  グーラッシュ(das Gulasch)

第3位  パスタ(die Pasta)

第4位  挽肉料理(das Faschierte)

第5位  豚の焼肉(der Schweinsbraten)

第6位  プーテンシュニツェル(das Putenschnitzel)

第7位  肉の串焼き(der Fleischspies)

第8位  鶏の焼肉(der Grillhuhn)

第9位  ピッツァ(die Pizza)  

第10位 牛肉煮料理(der gekochter Rindfleisch)

 
昨日の昼食、我が家ではオーストリア人が好んで食べる料理、
第6位にランクされたものを食した。

でもオーストリア人は多分、ご飯と一緒には余り食べないでしょう。
主にジャガイモでしょう。
我が家ではご主人さまが日本人だからご飯。


本日、西洋世界では復活祭の翌日、
ドイツ語で Ostermontag 祝日。
午前、昼、午後とずっと曇り。

明日からはまた、一般の人たちにとっては普通に仕事が始まる。

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ウィーンフィルにはどうやって?(ジョーク)

世界の日本人ジョーク集 
続・世界の日本人ジョーク集

 ツーリストが憧れのウィーンフィルのコンサートを探している。

「すいません! どうやったらウィーンフィルの皆さんの所へ行けますか?」

「練習、練習、練習あるのみ!」と通行人は答えた。
  
 通行人もかつては楽団員になろうと欲したのでしょうか!? それともたまたま団員の一人だったのでしょうか(笑)。

 来週はわたしもウィーンへと出掛けて行って、街中、「すいません! 日本大使館のところへ行きたいのですが」などと通行人に質問するかも知れません。
 
 まあ、ほとんどそんなことはないかと思いますが、大使館員、外交官になりたくて一時期、一生懸命になりました。そう、「勉強、勉強、勉強するのみ!」と。

 10年有効のパスポートがもう直ぐ切れるのです。更新手続きのために、久しぶりにウィーンへと列車に乗って行く予定です。そのために一日がつぶされる。
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以上、

ウィーンの中学校はドイツ語を母国語としない生徒が多数派

ウィーンの中学校では母国語がドイツ語である生徒は少数派に属する。オーストリア全国をみても学校に入ってからドイツ語を習う子供たちの数が増加中。

この傾向は過去数年間に益々強まった。2004年にはドイツ語以外の別のことばで大きくなった生徒数はまだ150千人であったのが、昨日発表されたオーストリア統計局の数字をみると2006年~2007年には既に183千人と記録されている。2000年を基準にして10パーセントの増加だったものが15.6パーセントへと増加したことになる。

オーストリア国内、各地によって大きな違いが見られる。移民としての背景を持った子供たちの割合が一番高いのはウィーンである。ウィーンの中学校やポリテクニック学校では約57パーセントの生徒たちがドイツ語以外のことばを母国語としている。小学校にあってはその数は48パーセントである。

一般教育を授ける学校や職業訓練学校ではそうした生徒たちの割合はほぼ4分の一である。オーストリア全国でみると、そうした数字もちょっと違った様相である。小学校、中学校の生徒の5分の一が移民の背景を持っている。オーバーオーストリア州ではその数が11.9パーセント。この傾向はこれからも年々増加すると統計局では見ている。
vom 26.01.2008 http://www.nachrichten.at/politik/innenpolitik/639035

 オーストリアの幼稚園にだってドイツ語を母国語としない子供たちが入園してきます。

 保母さんたちは大変ですね? 

 オーストリア政府は幼稚園児がドイツ語がちゃんと喋れるようにと気を使っているようですが、、、、

クリックでパートナーを見つけるオーストリア風 ”お見合い”

オーストリア人のほぼ5人に一人は自分のパートーナーをインターネット上で知り合う。これはオンライン斡旋のParshipの調査で分かった。

ウィーン出身のパウルとノーラの二人はそのようなカップルである。パウルは好奇心と楽しんでみたいということで parshipサイトにちょっと寄ってみた。そのときにノーラとヴァーチャルの世界で知り合った。二人の最初の(実体的な)出会いではもう”電光が閃いた”。

「ぼくたちの最初の出会いはとっても電撃的な体験で、ぼくには直ぐに分かったんだ。こりゃあもっとすごいことになるぞ」とパウルは語る。経験でした。「普通の方法を取ったのでは我々二人は殆ど巡り会うこともなかっただろう」と継ぐ。

1年半前から二人はカップルになっている。この3月には最初の子供が誕生することになっている。
vom 05.09.2008 http://www.nachrichten.at/leben/729529

世界最古の動物園はどの国にある?

世界最古の動物園はオーストリアにある

フランツ・ステファン フォン ロートリンゲンは建築家のジャン ニコラス ジャド ドゥ ヴィル-イッセイにハプスブルク・ロートリングの夏の住居であるションブルンの公園内に動物園の設計を依頼した。

1752年の夏、1年ほどの建設期間の後、動物園は動物で占められ、動物園の訪問客に紹介された。当時の動物園には檻がたったの12しかなかった。

ミシンを発明した人はオーストリア人だった

ヨーゼフ・マデスペルガー、すなわちミシンの発明者は1768年10月6日、チロルのクーフシュタインで生まれた。本人は情熱的な仕立て屋であった。一生懸命に働いているときには一分間に50の針目を作ることが出来た。
aus Fr. 1. August 2008 Oberösterreichs Neue / Nr. 149

マデスペルガーは自分の仕立て仕事を軽減する機械を組み立てたかったが、それも長年の研鑽で成功に漕ぎ着けた。しかし残念ながら1850年10月2日に死亡。自分の発明品が世に出てゆくことを身を以って体験することはなかった。


     *   *
「必要は発明の母」と聞き慣れたことばを思い出しました。英語にも同じような表現がありますね。それとも英語からの翻訳でしょうか。

それでは「必要は発明の母」をドイツ語では何というのでしょうか。
Mutter(mother)は出てきません!?

     *   *  

 日本語では「ミシン」と呼んでいますが、このことばがどこから来たのか、調べると面白いでしょうね。まあ、簡単に想像は出来そうですが。

オーストリア人は水道水が大好きだ

オーストリア人の79パーセントは喉の渇きを静めるのに水道水を飲むことを何はともあれ一番好む。その次に好んで飲まれるのは -- 順位としてはずっと下がるのだが、喉の渇きを有効的になくすものとして2番目はコーヒー(56パーセント)そして3番目はミネラル水(52パーセント)である。22.07.2008 http://www.nachrichten.at/leben/712172

更に49パーセントの人はお茶か水で薄めた果汁ジュースを好む、と家庭用道具製造のElectrolux社の要請を受けた GfKの調査で明らかになった。

質問を受けた36パーセント人たちは毎日、2リットルの水分を取っている、ほぼ4分の1の人たちは一日当たり1.5リットル、残りのひとたちは水分摂取に当たっては”闘っている”。


     *  *

オーストリアでは人間一日の水分摂取量は1.5~2リットルは当たり前だと専門家たちが提唱していますので、その考え方が定着していると言えるのかもしれません。

Bist du musikalisch oder musisch?

◆"Bist du musikalisch?" 「ねえ、あたな、何か楽器でも弾きます?」 musikalisch とは? 積極的に音楽を奏でること、らしい。

◆"Bist du musisch?" 「ねえ、あなた、何か音楽に関したことに造詣があります?」 自分で何か音楽をするというよりも、音楽関係のことを享受する人ですか、と。musisch と musikalisch 。

musisch でなければ、amusisch だ。


        *   *

オーストリア人はだれでも musikalisch と思い込んでいたわたし。

真相をある日、直接オーストリア人にぶつけてみました。

「そんなことはありませんよ。」
「あなた何か楽器でも弾きます?」と逆に聞き返されてしまいました、上の如く。

「ええ、口笛を弾きます」と咄嗟に答えておきましたが。

 ウィーン、音楽の都、オーストリアの人たちは皆さん、だれでも音楽には長けていて、楽器も弾けるなどと先入観を抱いてしまっていました。
    
 それでも親御さんたちは子供たちに Musikschule に通わせて何らかの楽器を慣わせている(習わせている?)例が多いですね。やはり、オーストリアの人たちは音楽嗜好(志向?)と言えないことはないかと思います。誰でもではなく、特別に関心を持った人のみが享受できる分野のようです。

 日本からもたくさんの音楽留学生がやって来ていますね。また、オーストリアの楽団に属して活躍していらっしゃる方もいるようです。

愛の十字架、新しい迷信?

「愛の十字架」を巡る、新しい迷信 (新聞からの抜粋)

巨大な、光り輝く木の十字架が個人宅の庭にいくつも出現するようになった。それは「悪に対する防波堤」、戦争、暴風雨、病気から自分たちを守り、そして「サタンを遠ざける」ためだ、と。カトリック教会や建築許可当局はこの新しい迷信にどう対処したら良いものかと頭を抱えている。

 カトリック教会はこの「愛の十字架」を拒絶、専門家たちはこの現象に中世への逆戻りを見ている。公的には否定的であっても、シュタイヤマルク州のある大工が仕事を請け負ったということで、十字架の“生産”は増え続けている。

 当地リンツの、カトリック教会関係の新聞はこの「愛の十字架」を巡る新しい‘流行’について仔細に報じている。そもそもの始まりは、2人のフランス人(女性)であった。二人が言うには、イエスキリストから「個人的な啓示」を幾つか受けたとのこと。この「愛の十字架」は正確に7メールと38センチメートの高さでなければならない―――つまり、738メートルの百分の一の高さ。この738メートというのはイエスが十字架に架かった場所、ゴルゴタの海抜を指す。この「愛の十字架」は白色の混じった青色、つまり薄水色でなければならないし、内側から光り輝くようにするか、「光の花飾り」で照明されなければならない。十字架の足元には花、出来ればエリカを置かなければならない。

「十字架が何か宜しくない物となることはないでしょう」と、「愛の十字架」を信奉する人たちは言う。そうこうするうちに、件の大工さん、既に十字架、30本分を既にオーストリア全国に配達済み、とのこと。「商売上の理由からではなく、敬虔な事柄として請け負いました」と当人は言う。

 法律専門家によると、十字架には建設許可が必要とのこと。許可も得ずに違法に十字架を建てると当局からの「災い」を受けることになる。
――― Neuer Aberglaube um “Liebeskreuze“リンツ(オーストリア)発 


 わたしが住む所からそんなに遠くはない町にも当該の「愛の十字架」が建っているということで紹介記事(一部割愛)が以上のように当地の日刊紙に載っていました。

 迷信、信じるとか、信じないとか、色々な立場がるのでしょうが、どのようのものが迷信と言われるのか、手元にある日本語辞典「大辞林」をちょっと開けて、迷信という単語の意味を調べてみました。

 一、科学的根拠がなく、社会生活に支障を来たすことの多いとされる信仰。ト占、厄日、丙午(ひのえうま)に関する信仰など。

 二、誤って信じること



 占い。占いにも星占いとかトランプ占いとか、色々なものがあるようですが、占いはどうか。これは迷信?

 肯定すれば、否定しようとする人が出てくるでしょう。否定すれば、肯定しようとする人も出てくるでしょう。 

 それは迷信だ! 

 いや、迷信ではない! 

 迷信ではない? 迷信だ! 

 侃々諤々。

 科学的に証明されるものだ、云々、云々。


 例えば、Horoscope 星占い、占星術、そもそもこれはどうなのか。あるときオーストリア人で占星術に詳しいと言う人に聞いてみた。信じますか、と。信じますよ。科学ですよ、という答えが返ってきた。

 星の運行を見て、人間の運命や将来を占う術であるという、占星術はもともと西洋で発生したものらしいが、――らしい、と確信なくここで記すのは、確認が取れていないから、――― 毎日発行されてくる新聞やら不定期に発刊されて来る地元情報誌などをみると、これが良く記事になっています。


 星の運行と人間の運命がつながっている?

 まさか! そんなこと有り得るのか?! と反応してしまうのがわたし、占星術専門家と言われる人もいるようですし、信じますよ、というオーストリア人女性もその一人なのだろう。わたしみたいな素人からみるとと狐につままれたような気分になります。付いて行けない。

「あなた、何にも分かっていないからですよ。勉強しなさい。」

 そうな風に言われてしまいそう。



 日本の都会の真只中に住んでいては見ることも難しい星。ある日、九州の端、岬の海岸での夜、砂の上に寝転がって寝入るのを待っていたら、星の大群が今にも天から降り落ちてくるかのような、目の錯覚かともいうのでしょうか、いつも余りにも近くのモノしか見ていなかったので、視線が調整出来なかったのかも。

そんなにも近くに星の輝きを目撃して感動したことがあるが、その星の運行。夜空に星が瞬いているのを見ると何となくロマンチックな、ミステリアスな思いになる。なぜだろう。天に瞬く星から自分はやって来たのかもしれない、などという思いを寄せる人もいないこともない。つまり、いる。何らかの関連性があるのかもしれない。


 オーストリアではつい数年前からだろうか、「月カレンダー」が大いに流行っている。前書きを読むと、ご自分の祖父からの言い伝えを本にしたということらしい、ベストセラーとなり、今日でも根強い人気があるようだ。星占いと同様、月カレンダーが新聞・雑誌に良く載っている。


 ところで、中世以降のヨーロッパでの「魔女狩り」、これは? あれも迷信が極端に押し進められて行った結果だろうか。アフリカには Witch doctor「まじない師」とかがいると聞いているが、知らない人にとっては知っている人が時には驚異、いや脅威となる。

 中国から来ているという「風水」、これはどうなのか? 日本でも結構流行っている、とか、じつはヨーロッパでも結構流行りだし、人気がある。当たるも八卦、当たらぬも八卦、易はどうか。 


 この十字架を自宅の庭に建てるという記事を読んで、思い出したことがあった。わたし自身が長年不思議に思っていたことでもあるが、オーストリアの山の写真を見ると、また実際にヘリコプターから頂上を撮影しているテレビ映像を偶々見ると、その頂上には殆どきまって十字架が建てられていることに気が付く。

 実際に自分で登って行って確かめてはいませんが、物の本を読むとオーストリアの最高峰、グロースグロックナー(標高3797m)の頂上、そこにも十字架が建っている。

 わたしの素朴な疑問は、なぜ頂上に十字架が建っているのだろう?なぜ建てる(または、建てた)のだろう? 

 ドイツ語で Gipfelkreuz(N)、つまり Gipfel (M)頂上のKreuz(N)十字架。

 たまたま知り合いの、お年を召したオーストリア人女性(70歳を越している)――、彼女は絵を好んで学び、また自分でも描く人ですが、彼女のアトリエを訪問した際、その壁に山の絵も掛かっていた。その山の頂上にはやはり十字架が描かれていた。「なぜ山の上に十字架なのですか?」と聞いてみた所、「さあ、なぜでしょうかね?」と彼女も理由は答えられなかった。

 オーストリア独特の風習、それとも「迷信」と言えるもの? 
実際、山の上に建っているのだから、十字架を建てた、または建てる意味があるに違いない。山を所有しているオーストリア国当局(それともカトリック教会か?)からの建設許可が取れたから、あそこに建っているのか。


 日本の山の頂上に十字架が建っているのをわたしに限って言えば、見たことがない。しかし、別のものが建っていたことを思い出す。登頂に成功したということで木の板に名前を書き付けて、それを頂上に置いて行った人がいたように覚えている。

高い山の頂上にやって来る、ということはそう並大抵なことではない。そうした並大抵でないことを達成した証として、記念として、人はそこに何かを残して置きたいのかもしれない。後からやはり同じようなことをして到達し、そこに来てみれば、既に誰かがそこにやって来て、立った、建てたということが分かる。

エベレスト山に最初に登った人、ニュージーランドの登山家、エドモンド・ヒラリー卿はエベレスト登頂に成功したということで、その頂上に何か記念になるようなこと、何か目印になるものでも置いてきたのでしょうか。十字架を立ててきたのだろうか? ちょっと質問してみたくなる。

 女性で始めてエベレスト山登頂に成功した人は日本人(名前を失念してしまった)ですが、その方は何か頂上で何か記念になるようなことをしたのでしょうか、何かを残してきたのでしょうか。

昔、九州一周の旅をしていた時、普賢岳に登ったことがあったが、その頂上には普賢岳と名前が書かれた標識が立っていた。それだけ。頂上にやってきた人が何の山か分からないと困るので、名前を書いて置いておいてくれたのかも。


 庭に十字架を建てるオーストリア人たちの肩を持つわけではないが、山頂に十字架を建てることとどう違うというのか。庭に十字架を建てるという行為を新聞記者が“新しい”迷信と表現するならば、山頂に十字架を建てること、これは“古い”迷信ということになるのかも。Danke.

人も歩けば犬に吠えられる


リンツ市警察の家宅侵入・車両窃盗犯罪を専門に担当している係官から聞いた話を記事にしたものらしい。それを読んだ。ここオーストリアに住んでいて、勿論、家屋・住居の中に住んでいて思い当たる節があるので、以下にも書いて見た。


まず、侵入者から自宅を守るアドバイスが色々と記されている。空き巣が多い。結構面白い。空き巣の話が面白いと言うのではなく、空き巣はどのような行動するのか、分析して読者に教えてくれている。つまり空き巣に入られないように、こうしなさい、ああしなさんな、と色々なアドバイスを提供しくれている。全部をご紹介したいところだが、超長文になってしまいそうなので、我が翻訳文は全部割愛!(笑)


留守宅を専門に狙う奴はどこにでもいるのだろう。というか、留守宅しか狙わない。人が居るところには入っては来ません。人が居るか居ないのか、事前に下調べしてしているらしい。居ないと確信が持てると行動に移るらしい。

朝、昼、夜、いつ侵入するか、あまり関係ないようだ。人が居ないこと、近所の人から見られないこと。それに気を使っている。いわば透明人間のつもりでいるらしい。

一戸建ての住居に住んでいると、お隣さんとの境界線に生垣等を巡らして、外から覗き込まれないようにしているお宅も多いようだが、それはまた侵入して来た人が誰にも見られない隠れ蓑の役割を果たしてしまっている、と担当者は指摘している。

窓には鉄格子を張るとか、出掛けるときに玄関の鍵を玄関ドアのどこか周辺に隠すようなことはしないように!侵入者はそういうことは知っているのです。自分で身に離さず持参すべきでしょう!


この鍵のことですが、ヨーロッパ人はいくつもの鍵をポケットの中に持ち歩いていますね。色々な鍵。アパートに住んでいる人はまずアパートの入口の鍵、アパートの中の自分の住居、ドアの鍵、またアパートの地下には自転車置き場やそれぞれの住民に宛がわれた地下室がありますが、それ用の鍵、ポスト用の鍵、数え上げてゆくといくつもの鍵を作って貰わなければならない。一戸建てになると、家族一人一人が門の鍵、玄関の鍵と所有することなるようだ。

侵入者から自宅を守るためにも鍵は必要になっていますね。鍵が掛っていれば一応、侵入できません、ということが言えるのですが、侵入者にとっては鍵など関係ないようです。開いているところを探し出して進入する、侵入する。


わたしの体験。空き巣の体験ではありませんが、それにつながったかもしれないと思われる体験。日中、家の門は開け放されていて、誰でも小さな庭の中へと入って来ようと思えば入って来れる。人それぞれの考え方にも拠るでしょうが、「どうぞお入り下さい、ご自由にどうぞ!」といった風に開け放されていると見えないこともない。


ある日のこと。見知らぬ人が門の呼び鈴を押した。ガラス窓のカーテンをちょっと開けて様子を窺った。もう一度、呼び鈴を押した。しばらく待った。もう一度押した。

三度目の正直とでも言うのか、わたしは門のところまで出向いて行って、ちょっと胡散臭そうに見えるのでぶっきら棒な口調で「何用か?」と聞いてみた。

どうも旧東欧からやってきた人らしい。ドイツ語は片言。あっちの方から来た、と。あっちとはどっち? どうもハンガリー人だっただろうか。

「何か捨てるような電化製品はないか?」

「回収に来た」と恰も市の清掃係の人かと思ってしまったが、そうやって一軒一軒訪ね歩いていたらしい。個人宅訪問の出稼ぎ者?

呼び鈴を何度か押しても誰も現れないとなると諦めて行ってしまうのが普通ですが、そのまま門の中に入って来て家のドア(実は常に締めてあります)を開けて、「こんにちは!」とか何とか言いながら家の中に”侵入”して来ることも有り得たかも知れない。

我が家は犬を飼っていません。ご近所もそうです。でも猫を飼っている。今年 の夏、長期休暇(おお、羨ましい!!!)にギリシャへと出掛けている間、我が家は猫に餌をやる”お仕事”を授かりました。親しいご近所付き合い。




何故、ヨーロッパ人は動物、特に犬を飼うのか。動物愛からかも知れないが、実は別の理由もあるようだ。そういうことを最近わたしはここオーストリアで体験、理解するようになった。

住んでいる近所の通りを悠々と自転車で走っていました。角を曲がった所で、

バウバウバウ WAUWAUWAUWAU 
と来たもんだ。

そして続いて、
ワウワウワウ wauwauwauwau 
とも来たもんだ。

大文字、小文字で書いたものの、文字ではその吼え声も表現しきれない、残念!

最初は馬鹿でかい犬、金網で仕切られている通りに沿った庭の中、無聊に苦しんでか、その辺をのっしのっしと歩き回っているのでしょうが、知らぬモノ(物? 者?)が通り掛ると自分の平和を侵されたとでも感知したのか、金網から飛び上がって襲わんばかりにこちらに向って何度も喚く。バウバウバウ。

わたしは何事もなかったかのごとく平静を保ってそのまま通り過ぎて行った、と思ったらその馬鹿でかい犬の喚きに刺激されたのか、挑発されたのか、いつの間にか、足元、ペダルのところに目をやってみたところ、小生意気な体長30センチにも満たない小柄な贅肉がなにもない子犬が剥きになって、止せば良いのに、ワウワウワウン

ペダルの足に噛み付こうとでもしているのか、そのいじらしさ、いや生意気さ。こ奴目、と足蹴して追っ払おうかと足を振り上げるかのようにフェイントを掛けたら、益々頭に乗って一層姦しく喚く。自転車の後を追ってこの人間様を襲うとするかの勢いだ。

さて、一体何事が起こったのか、とその異常な吼えぶりに何か危機を察知したのか、家のドアからは飼い主であろう、出ぶったちょび髭のおっさんが不審そうな表情を見せながら出て来た。子犬にそっくり。

話に聞くと、近所の子供たちもこの子犬には恐れをなしている、嫌がっているとのこと。その通りを通ると誰彼構わず近寄ってきて警戒しながらも吼え捲くるとか。


         *  *

飼い主が問題なのですよ。本当に動物愛があるのかどうかはちょっと信じがたい。番犬として飼われているのでしょう。つまり、侵入者防止のために飼っていると思われる。静かな界わい、立派な一戸建てが通りに沿って何軒も続く。大きな庭付き、ガレージ付きの誠に素晴らしいお家ばっかり。

お隣さんはどうしているのは分かりません。外から眺めていても家の中に誰か居るのかは分かりません。侵入しようとする思いを持っている侵入者にとっては格好の対象であるのかもしれない。

こうして各家で犬を飼っている理由がそれなりに分かった次第でした!

犬が喚けば侵入者も驚いてちょっとやそっとでは侵入できません。

犬が喚けばご近所にも聞こえ、何事が起こったのかご近所も関心を示すかもしれない。

犬の効用を活用しているのでしょう。

でも時には、活用行きすぎ!   

こうした事実もあります。報道によると、毎年、3500人のオーストリア人は犬の餌食に遭って病院のお世話になっている。 その中に侵入者も含まれているのかは定かではありませんが、2002年には6000人以上! がお世話になった、と。犬に噛まれた3500人の中には600人の子供も含まれている、と。


確かに、犬の攻撃的な動作には驚かされますわ。

幼稚園では幼稚園児(そして親御さん)のために、小さな絵本になったものを渡されたのを思い出します。犬に対してはどう接するか、漫画で説明されたものでした。勿論、ドイツ語で。新聞記事では侵入者にどう対処するかが書かれたものでしたが、 通りを歩くのも何が起こるか分かったものではない。

人間が主人なのか、犬が主人なのか。そこのけそこのけ、お犬様のお通りだ。ついでに侵入者も密かにお通りかも。

注意しながら行きましょう、生きましょう。Danke.

花粉症と仲良くなるしかない?

またも真夜中起き上がってしまった。喘息の咳が全速で放たれた。まるで事前にプログラムされているかのごときだ。

この真夜中の時間をどのように過ごしてゆこうか。もう寝れない。起き上がっているしかない、と諦観しきっている。

ソファーに腰掛けたまま、ボーとしている。


そう、まだ時間はある。朝が明けるまではまだたっぷりと時間がある。

そうだ、まだ読み終えていない本の続きでも読もう。誰にも邪魔されず心行くまで読書に没頭出来る機会だ。

1994年、あるアメリカ女性(女医さん)が単身、オーストラリアへと飛んだ。当地オーストリアではない。オーストらリア、念のため。そこの原住民、所謂アボリジニの、ある種族からの招待を受けたのだそうだ。

彼女はオーストラリアの砂漠を3ヶ月間に渡って放浪、彼等たちと起居を共にした。行動を共にした。

原住民たちは自分たちのことを「本当の人間たち」と称し、外部の人たちのことは彼女をも含めて「変わる人間たち」と呼んでいた。

炎天下、いつもの如く砂漠の真っ只中を歩いているとき、ある日、空全体を真っ黒にする程の、小さな虫の大群に襲われた。目を開けていられない。それらの虫はそこにいた人間たちの体中、所構わず這いずり回り、よく見ると原住民たちの鼻の中にまで入って行くのを見た、と。

彼らたち「本当の人間たち」の鼻穴は「変わる人間たち」のそれよりも大きく開いていて、虫も簡単に入って行くことが出来る。どうしてそんなに大きな鼻孔なのか、その理由が分かった、と。この人たちの鼻は中が虫たちによって自然に掃除して貰えるように作られているのだ、と。また暑いから換気の役目を果たすようにもなっている。

それでは、私の鼻はどうなっているのか。花粉症の症状の一つである、鼻水垂れ垂れ。鼻の中が異常な刺激を受けてか、鼻水生産に躍起になっている。こうして鼻水のことを書きながら、鼻水がああ、中から垂れ流 れ出て来ようとしているではないか。私も外からティシュウを用意して鼻水の除去に躍起になっている。ない知恵を搾り出して、鼻の中を乾燥させてしまえば流れ出てこないかもしれない、と赤外線ランプの熱で「我輩は鼻である」かの如く鼻に集中的な熱線を浴びせてみたこともある。

鼻の中がモゾモゾする。口の中がカリカリする。そのカリカリする箇所を舌で下から上へとなぞると痛みが一緒になって下から上へと移動する。居ても立っても居られない感覚が走る。と、あああ、今度は刺激を受けてか、くしゃみが出そうだ。

このカリカリ、何とかならんものか?!

この感覚を除去しようと咳き込む。でも、何も出てこない。その感覚を吐き出そうとして咳き込むのだが、何も出てこない。咳に伴う空気だけ。しかも猛スピードで咽喉を通過しようとするから、その摩擦で咽喉が激しく痛む。

このカリカリ、この炎症、何時まで続くものやら。この痛みは特筆ものだ。いや、もう書いてしまっている。  

この鼻症状に対する対抗策をいろいろと探している。 

日本から持ってきた、いや船便で手元に届くのに約一ヶ月間掛かった130個強の、小さな段ボール箱、その中からやっと見つけ出した、「導引術」についての単行本。

ページを繰ってみると、花粉症のことをアレルギー性鼻炎と同意義に解している、蓄膿症も同じものだ、と筆者は自信を持って記している。オーストラリア原住民がやっている鼻掃除とは違った、方法を教えてくれる。

水を手ですくい鼻の穴の中に流し入れ、口から吐き出すという“行”を 毎日行えば、このような症状は消えてしまう、と。これは“行”なのだから、続けなければならない。毎日やっているが、いっこうに消えない。修行がまだまだ足らんということか? そんな風に言われてしまいそうだ。

これは意外とキツイ。水泳をしている時、何かの拍子で誤って鼻の中に水を吸い込んでしまったことがあるが、脳髄の天辺までツーんという痛みが貫通するのを経験したことがある、それを意識的に、自覚的に、目的的にやれ、と勧めている。
 




自分はどうして花粉症とのお付き合いをするようになってしまったのだろう?

ある年、英国にいた。ある英国人の老夫婦の所にホームステイしていた。

5月の頃だったろうか。初夏のような陽気だった。家に戻ってくる途中、草が無造作に生えている、乾燥しきった広場を横切ろうとしていた。家まではもう直ぐだ。家の中に入ってゆく前に、そこに目に付いたベンチに一人腰を降ろした。今日も一日無事に終えようとしていた。呼吸を整えていた。

暫くはそのベンチに背凭れ踏ん反り返るかのごとく、顔を上空に向け、両足も無造作に放り出すかのようにしまま、暑いなあ、と思いながらも深呼吸を一つした。

と、鼻の中がモゾモゾするような感覚が過ぎった。と、同時に我が意思とは無関係に突然、くしゃみの爆発、一度。いや、二度、ああ、もう一度、これで三度。三度目の正直などと三の数を確認している暇はなかった。回りには誰も居なかった。くしょみの大音響が広場を満たした。

思い返せば、あれが花粉症に罹ってしまった、我人生における歴史的瞬間だったのだろう、多分。英国で花粉症というものに人生初めて出会ってしまったのだ。

口の中がカリカリする、初めての感覚であった。気に出し始めると少々イライラさせられる。ホームステイの家に帰ってきて、口の中が乾燥したようなカリカリすると告げると、老婦人は「生卵を飲むと良いよ」と教えてくれた。飲んでみたかどうか、忘れてしまった。飲まなかったからだったのか、それ以来、まだこうして花粉症との腐れ縁が切れないでいる。

花粉症とは、オーストラリアで3ヶ月間、現地の原住民と生活を共にした女医さんによると、これは所謂「文明病」の一つなのだそうだ。原住民のように自然に逆らわないように生きて行けば、そんな文明病に罹るようなことはない、とこの著者は、そこの読者よ、そう、あなた! 人工の光 の中で生きる文明人よ、コーヒーばっかり飲んでいるあなた! 悟りなさい! と仰りたいのだろうか。

 

カーテンを閉めたままの居間、窓の外は薄明るくなってきた。

世が、いや夜が明けようとしている。その間私は眠ることも出来ず、こに至って何となく体全体が疲れてきたようだし、今度は睡魔に襲われようとしている。歓迎だ。

これからが本当の就寝時間となるのか。花粉症の諸症状との闘いに体力を消耗し、一言、疲れた。疲れたから寝よう。寝れるだろうか? Danke.

花粉症による咳との闘い

突発的な咳のために眠れない夜と夜の狭間で、花粉症の症状と闘う男ここに一人目覚めてしまった。

また例の季節がやって来た、いや、もうやって来ていた。
何も来て下さいとお願いしたわけでもないのだが、、、、、、、、。

一昨晩に続き、昨晩も、と言うか朝方、午前5時頃まで、この花粉症の症状に我は悩まされ続けた。

ベッドに横になって眠っていると真夜中過ぎ、決まって咳が突然出てくるのだ。出て来てしまったものは仕方ない。ぐっと飲み込むように意識的に阻止しようとする。が、弾みが付いたとでも言うのか、自分の意思とは無関係に咳が出て来る。咳き込む。咳が出ないようにと頑張ってももう咳の方ではお構いなく出ようとする。隣に寝ている人を目覚めさせてはならじと食止めようとするが、駄目。

昨晩は何故か、特に激しく、酷かった。とにかく、寝かしてくれない。

直ぐ隣りで赤子の如くすやすやと寝ている人にとっては有りがた迷惑だろう。お隣の人とは、言うまでもなく、我奥さんのこと。熟睡中の人を目 覚めさせたくはないという私自身の深い心遣いが働いて、もう目覚めてし まっていたかもしれなかったが、我が咳が一段落した後、次の咳がまた出て来る前に自分の方から先回りして、布団の中から静かに離れ出て、手探 りのまま暗い寝室を抜き足差し足、そのまま隣の暗い居間へと移動した。

今、居間の長ソファーの端にちょこなんとぼっとしたように腰掛けてい る。パジャマを着たままだ。部屋の中は真っ暗。窓ガラスには外の街頭の 赤い光が反射しているように見える。真夜中、今、世界は寝静まっている。隣近所からは安らかな寝息を立てているのが聞えて来るかのようだ。

 
このままソファーの上に仰向けにゆっくりゴロリと倒れて寝転がってしまおうか。そうしたい気はある。

睡眠の続きをしたい、そういう思いもある。が、横になるとつい咳が出て来る。もう経験上、分かっている。そして一度咳が勃発すると、一段落するまでは止まない。どうにも止まらない。正に喘息そのもの。水平になると咳がきっと出てくるので、そのまま腰掛けたまま。

かくして眠れぬ夜が、またもや一つ巡って来た。

眠れぬ夜を迎えて、お隣の国スイスの出身だったか、確かフィヒテというお方が著したとされる「眠れぬ夜のために」といったタイトルが思い出された。若いとき、はじめてタイトルを見たときは寝かしてくれる何かヒントでも色々と教えてくれるのかと期待したが、しかし、今眠れないから 読んでみようか、という気は全然起こらなかった。
 

何時の頃からか、例年、ある特定の期間、よく考えてみれば、春 先、花粉症に悩まされる自分となってしまっていた。

昼間は鼻水がタラタラと間断なく、川の流れの如く垂れ落ちてくるから ティシュペーパーを何枚も手元に用意してあるのだが、ゴ ミ入れはそんな使用済のティシュウで溢れ出ている。最近は知恵がついて、ティシュペーパーの乱用ということで、ハンカチを使うようにした。乾かしては何度も使うというやり方。

目はまるでウサギのお目目のように赤く、そして痒い。痒い! 痒さを解除させようとつい目頭を指でグリグリと気が済むまで摩擦するかのごとく掻いてしまう。と、ああ、更に痒くなってしまう。悪循環、でも痒いから、一時でも良いから、解放されたいからとグリグリと掻いてしま う。ああ、この痒み! 解放されたい!

のどの奥、カリカリする。そのカリカリも解除したくて指で掻きたいが掻けない。隔靴掻痒とはこのこと。仕方ないから我が舌でそのカリカリする部分をなぞったりしてみる。ああ、くしゃみが出そうだ。ああ、溜まらん!

一昨日のことだった。就寝時間がやってきたと思って、ベッドに横になり、そうすると直ぐにさあ~っと直ぐに寝入ってしまうタイプの私だが、ここ最近、決まって真夜中には起こされてしまうのだ。

体にはその時間が決められているらしく、咳き込み始める。 そうすると、自分の咳き込みで目が覚めてしまう。

咳をするのがこんなに苦しいとは! 咳をしないように云わば口をぐっと閉じ、呼吸を止めるかのごとくじっと我慢をするのだが、出て来ようとする咳は止められない。咳に席を譲るしかない。

咳込み始めると止められないものは止まられないといった勢いがついてしまう。全速力での喘息の様相を呈してくる。気管支炎なのか。喉の奥の方では変な音楽がヒューヒューと奏でられる。

そして手を伸ばせば直ぐ届く所に、すやすやと微かに寝息を立てている人、羨ましい限りだ、その方に迷惑にならないようにと、そして夜の静寂を破らないようにと、我は頭から布団を被ってしまうのだが、それで咳が止まるというわけではなかった。

ゴホン、ゴホンと月並みに表記するしかない。敢てジュッポンと書いても間違ってはいないだろう。我咳を正しく表記することは難しい。とにかく、もういい、もういい! もういいい! 

このままベッドの上に居残ってはいられない。そう判断した。思い切り、でもベッド自体に余計な振動を与えないように、さあ~と起き上がってしまった。

冒頭でも書いたように、真っ暗な家の中、柱に、壁に頭をぶつけたりしないように、一時的に目隠しにされたかのごとく、両腕を伸ばしたまま、 目的の方向へと足元も覚束なくゆっくりと進んでゆく。

 

何処へ行くのかというと、手探りの中、寝室から今、居間だ。

そう、今、居間に居る。

ここ3、4日間は昼夜と、いや夜昼と言えようか、とにかく咳をする練習を言わば強制的にさせられてきた。お陰様でお腹の筋肉、腹筋とも言うが、度重なる咳込みの甲斐があって、この腹筋が結構トレーニングされ、 スポーツ選手のごとく、または男性下着の宣伝ポスターの、あの男性モデルのように腹部に筋肉の固まりが見えるように堅くなり始めた。

でも、咳き込む過程で、何かの拍子に、この腹筋が痙攣を起こしたのだった。痙攣が起こるとは思っていなかった。う~んう~んと一人、我慢の呻き。筋肉が収縮した。痛むのだ。苦しい~。この収縮筋肉を伸ばそうと、その筋肉を意識しながら腹筋のストレッチングを試みる。痛みが遠のくまで、男は暫く黙って我慢。

水平になると咳が出てくるので、起き上がったまま。咳止めドロップというものがある。そのキャンディーを口の中に放り込んで、つい歯で砕いてしまう癖があるのだが、意思の力で制止して、甘い固形物を口の中で遊ばせている。とろけて跡形なくなると次のキャンディーを放り込む。咳に対する騙しだ。

咳止めキャンディーという名に恥ずかしくない役目を務めてくれるようだ。確かに咳が止まった、ようだ。暫し、安心する。

咳も収まったようだ。ということで一安心して、それでは、と長 ソファーに身を横たえてそのまま寝ようとする。と、おっとどっこい、そう簡単には問屋が卸さない。

でも、騙し騙し横になった。暫くすると、今まで垂直に流れっぱなしであった鼻水も流れ出てこなくなった。その代わり鼻の中で溜まり始める。今まで鼻で息していたが、出来なくなる。

そこでティシューペーパーのお出ましだ。鼻の中の通りを良くする。が、一時的なこと。余りにも激しく几帳面に鼻をかんだからか、今度は鼻の中が詰まったようになる。鼻で息が出来ないから、口を開けて呼吸をする。

口で呼吸を続けていると、口の中が乾いてくる。変な感じだ。

と、口で吸い込んだ空気、ゴミでも混じっていたのか、喉を奥が刺激されたためか、喉の辺りから咳が堰を切って出て来る。咳き込み始める。ああ、嫌だ、嫌だ。嫌になる。何とかならんものか?!

咳をし始めると、占められていたドアが急に開け放たれたかのごとく、次から次と咳が押し寄せてくる。これを正に喘息というのか。咳をすると腹筋は緊張するわ、喉は痛むわ、両こめかみも青筋を立てて膨張するわ、咳の振動が脳髄の方へとも伝播してゆく。ガンガンと頭痛だ。首も凝る。肩も凝る。腹も凝る。背中も凝る。 全身が凝る。疲れる。体力の消耗が激しい。

口の中のカリカリ感覚を除去しようとするかの如く、咳が続く。調子に乗ってしまうと、もう止められない。喘息気味に昂進する。             
ああ♪、どうにも止まらない♪



男はぐっと我慢、耐えている。
5月にもなれば、この症状もなくだろうとじっと耐えている。

自分はどうして花粉症とのお付き合いをするようになってしまったのだろう?

ある年、英国にいた。ある英国人の老夫婦の所にホームステイしていた。

5月の頃だったろうか。初夏のような陽気だった。家に戻ってくる途中、草が無造作に生えている、乾燥しきった広場を横切ろうとしていた。家まではもう直ぐだ。家の中に入ってゆく前に、そこに目に付いたベンチに一人腰を降ろした。今日も一日無事に終えようとしていた。呼吸を整えていた。

暫くはそのベンチに背凭れ踏ん反り返るかのごとく、顔を上空に向け、両足も無造作に放り出すかのようにしまま、暑いなあ、と思いながらも深呼吸を一つした。

と、鼻の中がモゾモゾするような感覚が過ぎった。と、同時に我が意思とは無関係に突然、くしゃみの爆発、一度。いや、二度、ああ、もう一度、これで三度。三度目の正直などと三の数を確認している暇はなかった。回りには誰も居なかった。くしょみの大音響が広場を満たした。

思い返せば、あれが花粉症に罹ってしまった、我人生における歴史的瞬間だったのだろう、多分。英国で花粉症というものに人生初めて出会ってしまったのだ。

口の中がカリカリする、初めての感覚であった。気に出し始めると少々イライラさせられる。ホームステイの家に帰ってきて、口の中が乾燥したようなカリカリすると告げると、老婦人は「生卵を飲むと良いよ」と教えてくれた。飲んでみたかどうか、忘れてしまった。飲まなかったからだったのか、それ以来、まだこうして花粉症との腐れ縁が切れないでいる。

花粉症とは、オーストラリアで3ヶ月間、現地の原住民と生活を共にした女医さんによると、これは所謂「文明病」の一つなのだそうだ。原住民のように自然に逆らわないように生きて行けば、そんな文明病に罹るようなことはない、とこの著者は、そこの読者よ、そう、あなた! 人工の光 の中で生きる文明人よ、コーヒーばっかり飲んでいるあなた! 悟りなさい! と仰りたいのだろうか。

 

カーテンを閉めたままの居間、窓の外は薄明るくなってきた。

世が、いや夜が明けようとしている。その間私は眠ることも出来ず、こに至って何となく体全体が疲れてきたようだし、今度は睡魔に襲われようとしている。歓迎だ。

これからが本当の就寝時間となるのか。花粉症の諸症状との闘いに体力を消耗し、一言、疲れた。疲れたから寝よう。寝れるだろうか? Danke.

プラスチック買物袋の禁止

米国のサンフランシスコ市では、プラスチックの買物袋を禁止したそうだ。


サンフランシスコと聞けば、直ぐに念頭に浮かんでくるのが、あの歌、フランクシナトラだっただろうか、
I left my heart in San Francisco, high on a hill it calls to me
To be where little cable cars climb halfway to the stars.
The morning fog may chill the air, I don't care.
My love waits there in San Francisco, above the blue and windy sea,
When I come home to you, San Francisco, your golden sun will shine for me.

その声を真似て、よく歌っていた。でも、歌詞を全部覚えてはいなくて、リフレーンの最初の2行目ぐらいまででいつも終わってしまっていた。別にどこかに招かれて曲全体を歌うとか、我が”美声”?を披露するという機会が一度もなかったので、本気になって覚えて歌ったことはない。誰かが歌っているのを聞くことはなんどもあったというだけのこと。そしてこの曲が流れてくると、I left my heart in San Francisco だけは覚えるにもそんなに苦労はしないといった風だったから、今でも覚えている。


もう一つ、頭に浮かんでくるのは、映画俳優で、今は政治家に転向した人のこと。

サンフランシスコ州の知事はオーストリア人です。いや、もしかしたらアメリカ人になってしまったのかもしれません。今度、オーストリアに戻って来たりして、会うチャンスがあったら一度聞いてみようかとも思って構えているのだが、まだその機会は一度もない。もっとも御本人、オーストリアに対する思いも若干ネガティブになっているかも。ご自分の名前が付いていたサッカー場の看板を降ろせ、オレの名を使うな! ということでグラーツ市に降ろさせたことがあったし。

オーストリア出身の映画俳優、筋肉モリモリ、ボディビルで鍛えた肉体美が昔は印象的でしたが、映画でもその筋肉モリモリを強調するかのような配役、主役を演じていました。

今は、元米国レーガン大統領と同じように、俳優から政治家になり、カリフォーにア州の知事を務めています。もう何年になりますかね。


同じオーストリアに住んでいるということで、オーストリア出身の有名人の動向に関心が行ってしまう。

新聞報道によると、シュワルツネッガー知事が決定したのではなく、市の委員会が禁止を決定したとなっています。カリフォーニア州の州都であるサンフランシスコ市ということで、州も市もカリフォーニア、知事が決めたと言っても良いのでは。

米国にある都市の中では最初の都市だそうです。シュワちゃん(映画俳優シュワルツネッガーの愛称らしい)頑張っている。地球環境、人間環境をこれ以上、悪くしないように頑張れ! と陰ながら応援している一人です。




あっ、そうそう、プラスチック買物袋の話。
オーストリアに住むようになってから、「これはグッドアイディアだ」と感心したのは、買物に出かけて行くおじさん、多分、年金生活者のおじさんだと思いますが、布製の袋をポケットの中に、または手にピラピラと下げながら、スーパーへと向かって行く姿でした。袋持参で買物へと出かけて行く。もちろん、スーパーで買物をすれば、プラスチック製の買物バッグが無料で貰えるのでしょうが、それを必要としない、自分で持ってきているから。

我が家にもそうした布製の袋が、入れ物、バッグがあることに気が付きました。私もそれを持って買い物に行かされることがありました。私はまだ年金生活者ではありませんが、あのおじさんと同じよな心境?になりながらスーパーへと向かって行きました。

布製の袋、買物袋、日本では見た覚えがありません。この布製の袋はいいアイディアだと思った次第です。どうして、我が家にあるのだろうか、とその袋を手にとってしげしげと眺めたら、ある靴店の名前、靴の宣伝、というか、靴を買った際に、靴の入ったボックスを運ぶのに呉れたものらしいと分かった。今は靴を運ぶためにではなく、食料品等を運ぶために使っている。

もちろん、たくさんの買物はできない。ちょっとした品数を買う、家に運んでくる、という目的には十分使える。1リットルの牛乳パックを3本買ってきてくれ、と言われてたとき、この布袋一つだけではちょっと無理といった大きさです。まあ、簡易な買物には便利です。少々重いものでも運べる。

日本では家庭用のショッピングカートを見た時には、家庭の主婦が”旅行用のカート”をゴロゴロと転がして、どこへと行くのだろう、家庭の主婦用の衣紋掛けのままで、まさが旅行へ出かけることはありえないだろうし、不思議がっていた自分を思い出すと可笑しい。


アメリカからの新聞報道をうけてかどうかは知りませんが、オーストリアの地元の新聞は、さっそく? このテーマを取り上げていました。オーストリアでも禁止すべきか、どうか。プラスチックの袋は食料品等を売るスーパーからだけではなく、コンピューター、本、その他のお店から出てきます、つまり無料で貰えます。

カリフォーニア州は直ぐ近くに太平洋があるし、海にプラスチックバッグを捨てる人もいるでしょう、海の動物がプラスチックバッグの犠牲になるということなどもあったように記憶しています。一方、オーストリアの周りには海はないし、プラスチックバッグの行く末はどうなっているのか、オーストリアの人たちは捨てても、捨てられたものは清掃車が最終的には持って行ってしまうのでしょう。

アメリカのサンフランシスコ市でプラスチック製の袋が禁止された後、紙の入れ物がまた復活するのでしょうか。昔、アメリカのテレビを見ていると、家庭の主婦がキャデラックに乗って、買物に行き、両腕は抱えるようにした紙製の、茶色の紙袋の中にたくさんの買物品が納まっているのをキッチンのテーブルによっこらしょと置いているシーンを良く見たものです。

紙だったら地球環境に親切というもの、つまり人間環境に友好的で有効な手段と言えるでしょうね。Danke.


自分はどうして花粉症とのお付き合いをするようになってしまったのだろう?

ある年、英国にいた。ある英国人の老夫婦の所にホームステイしていた。

5月の頃だったろうか。初夏のような陽気だった。家に戻ってくる途中、草が無造作に生えている、乾燥しきった広場を横切ろうとしていた。家まではもう直ぐだ。家の中に入ってゆく前に、そこに目に付いたベンチに一人腰を降ろした。今日も一日無事に終えようとしていた。呼吸を整えていた。

暫くはそのベンチに背凭れ踏ん反り返るかのごとく、顔を上空に向け、両足も無造作に放り出すかのようにしまま、暑いなあ、と思いながらも深呼吸を一つした。

と、鼻の中がモゾモゾするような感覚が過ぎった。と、同時に我が意思とは無関係に突然、くしゃみの爆発、一度。いや、二度、ああ、もう一度、これで三度。三度目の正直などと三の数を確認している暇はなかった。回りには誰も居なかった。くしょみの大音響が広場を満たした。

思い返せば、あれが花粉症に罹ってしまった、我人生における歴史的瞬間だったのだろう、多分。英国で花粉症というものに人生初めて出会ってしまったのだ。

口の中がカリカリする、初めての感覚であった。気に出し始めると少々イライラさせられる。ホームステイの家に帰ってきて、口の中が乾燥したようなカリカリすると告げると、老婦人は「生卵を飲むと良いよ」と教えてくれた。飲んでみたかどうか、忘れてしまった。飲まなかったからだったのか、それ以来、まだこうして花粉症との腐れ縁が切れないでいる。

花粉症とは、オーストラリアで3ヶ月間、現地の原住民と生活を共にした女医さんによると、これは所謂「文明病」の一つなのだそうだ。原住民のように自然に逆らわないように生きて行けば、そんな文明病に罹るようなことはない、とこの著者は、そこの読者よ、そう、あなた! 人工の光 の中で生きる文明人よ、コーヒーばっかり飲んでいるあなた! 悟りなさい! と仰りたいのだろうか。

 

カーテンを閉めたままの居間、窓の外は薄明るくなってきた。

世が、いや夜が明けようとしている。その間私は眠ることも出来ず、こに至って何となく体全体が疲れてきたようだし、今度は睡魔に襲われようとしている。歓迎だ。

これからが本当の就寝時間となるのか。花粉症の諸症状との闘いに体力を消耗し、一言、疲れた。疲れたから寝よう。寝れるだろうか? Danke.

オーストリアのダンシング・スターズ

昨日の金曜日から、またまたはじまりました。これで通算3回目、確か。

オーストリアテレビ局ORFの、DANCING STARS 
踊っている人たちは楽しいそう、楽しめました。

それなりに有名人(女優とか歌手とか元スポーツ選手とか)ではあるが、本気になってダンスもやったこともない、でも集中的に特訓を受けて踊れるようになる素人ダンサーとプロダンサーとがペアになって、色々なダンスを毎回、こなして行きます。特訓の成果の程を見せてくれます。

毎回、番組の最後では視聴者からの投票で一ペアづつが振り落とされ、最後までに残るのはどのペアか、Dancing Star に輝くのは誰か、これからの展開が楽しみです。画面に釘付けになってしまいます。


ダンス音楽に合わせて、ペアたちは嬉しそうにフロアーを自由自在に動き回っている、今回、第一週目は、チャチャチャ、スローワルツ。

自分でもダンスをやってみたい! という気持ちになりますね。
我が奥さんは、一緒にダンスの講習を受けようよ、と言ってくる。
そう、見ているだけでは満足できなくなってしまう。自分でも踊って動くことで幸せになれるのだ。今度の誕生日のプレゼントにして、と要求してくる。

そもそもオーストリアという国は、昔、「会議は踊る」とも言われたように、踊りることには人一倍、国一倍、長けているようで、オーストリアに住んでいるからには、ダンスの一つでもちゃんと踊れることが求められているのよ、と信じ込まされてしまいそうだ。踊れない人はオーストリアにいる資格なし、とか。特にワルツ、ヨーハン・シュトラウスのワルツが有名だが、聞くだけでなく、音楽に合わせて踊れることが求められてきているかのように感じる、というのは気の所為だろうか。

毎週、金曜日の夜を楽しみにしながら一週間、一週間を過ごす。そんな毎日の生活リズムが新しく始まったかのようだ。Danke.


自分はどうして花粉症とのお付き合いをするようになってしまったのだろう?

ある年、英国にいた。ある英国人の老夫婦の所にホームステイしていた。

5月の頃だったろうか。初夏のような陽気だった。家に戻ってくる途中、草が無造作に生えている、乾燥しきった広場を横切ろうとしていた。家まではもう直ぐだ。家の中に入ってゆく前に、そこに目に付いたベンチに一人腰を降ろした。今日も一日無事に終えようとしていた。呼吸を整えていた。

暫くはそのベンチに背凭れ踏ん反り返るかのごとく、顔を上空に向け、両足も無造作に放り出すかのようにしまま、暑いなあ、と思いながらも深呼吸を一つした。

と、鼻の中がモゾモゾするような感覚が過ぎった。と、同時に我が意思とは無関係に突然、くしゃみの爆発、一度。いや、二度、ああ、もう一度、これで三度。三度目の正直などと三の数を確認している暇はなかった。回りには誰も居なかった。くしょみの大音響が広場を満たした。

思い返せば、あれが花粉症に罹ってしまった、我人生における歴史的瞬間だったのだろう、多分。英国で花粉症というものに人生初めて出会ってしまったのだ。

口の中がカリカリする、初めての感覚であった。気に出し始めると少々イライラさせられる。ホームステイの家に帰ってきて、口の中が乾燥したようなカリカリすると告げると、老婦人は「生卵を飲むと良いよ」と教えてくれた。飲んでみたかどうか、忘れてしまった。飲まなかったからだったのか、それ以来、まだこうして花粉症との腐れ縁が切れないでいる。

花粉症とは、オーストラリアで3ヶ月間、現地の原住民と生活を共にした女医さんによると、これは所謂「文明病」の一つなのだそうだ。原住民のように自然に逆らわないように生きて行けば、そんな文明病に罹るようなことはない、とこの著者は、そこの読者よ、そう、あなた! 人工の光 の中で生きる文明人よ、コーヒーばっかり飲んでいるあなた! 悟りなさい! と仰りたいのだろうか。

 

カーテンを閉めたままの居間、窓の外は薄明るくなってきた。

世が、いや夜が明けようとしている。その間私は眠ることも出来ず、こに至って何となく体全体が疲れてきたようだし、今度は睡魔に襲われようとしている。歓迎だ。

これからが本当の就寝時間となるのか。花粉症の諸症状との闘いに体力を消耗し、一言、疲れた。疲れたから寝よう。寝れるだろうか? Danke.


自転車修理に出すか、新「車」を購入するか

春がやってくると、今までの動こうにも動けないでいた人も動くようになる。

自転車がわたしにとってはマイカーだ、とよく人には言っている。どこへ行くにも自転車に乗ってゆく。雨であろうと、風であろうと、雪であろうと、とにかく自転車で移動する。

この自転車、買ってもう何年になるのか。5、6年たっているだろうか。オーストリアでは有名はスポーツ店で購入したものだが、原産地はホンコンとなっている。結局、輸入物。安く仕入れて高く売るという国際間の貿易原理。中国とか、香港とか、オーストリアにはアジアから仕入れたモノがたくさん出回っている。安い、というイメージがありそうで、実は安くもない買物をしているとわたしは思っている。


わたしはチェーンを短くしてくれれば、空回りはなくなるだろう、と思って、短くしてくれ、と頼んだら、短くしても空回りは直らない、という。チェーンの間と間が延び切ってしまっているからだ、と。

新しいチェーンに取り替えなければならないだろう、と。

で、費用はどのくらいか、と聞いた所、チェーンだけを取り替えるわけには行かないと言ってくる。ギアチェンジ一式全部も一緒に取り替えなければならない、と。だから、じゃあ、全部取り替えるとしたら、費用はいくらになるのか?

160ユーロ前後だ、という。

ひぇー、と驚いた。


店員も言う。修理するよりも新しい自転車を買った方が良いですよ、と。新「車」、安いのでは200ユーロ前後で売っている。

わたしとしては何でも使えるものはトコトン使えるまで使うことにしている主義なのだが、修理する費用がバカにならない。新「車」を買った方がお徳ですよ、その方が安上がりですよ、という店員の提案にも納得出来ないわけではない。かくしてお店としては販売が進むという次第。

新「車」を買うほどの緊急性はないということで、今も古自転車を大切に使っている。2段ギアを使うとチェーンも空回りしないということを発見、いまは2段ギア使用の自転車ということで延命を
試みている。Danke.


自分はどうして花粉症とのお付き合いをするようになってしまったのだろう?

ある年、英国にいた。ある英国人の老夫婦の所にホームステイしていた。

5月の頃だったろうか。初夏のような陽気だった。家に戻ってくる途中、草が無造作に生えている、乾燥しきった広場を横切ろうとしていた。家まではもう直ぐだ。家の中に入ってゆく前に、そこに目に付いたベンチに一人腰を降ろした。今日も一日無事に終えようとしていた。呼吸を整えていた。

暫くはそのベンチに背凭れ踏ん反り返るかのごとく、顔を上空に向け、両足も無造作に放り出すかのようにしまま、暑いなあ、と思いながらも深呼吸を一つした。

と、鼻の中がモゾモゾするような感覚が過ぎった。と、同時に我が意思とは無関係に突然、くしゃみの爆発、一度。いや、二度、ああ、もう一度、これで三度。三度目の正直などと三の数を確認している暇はなかった。回りには誰も居なかった。くしょみの大音響が広場を満たした。

思い返せば、あれが花粉症に罹ってしまった、我人生における歴史的瞬間だったのだろう、多分。英国で花粉症というものに人生初めて出会ってしまったのだ。

口の中がカリカリする、初めての感覚であった。気に出し始めると少々イライラさせられる。ホームステイの家に帰ってきて、口の中が乾燥したようなカリカリすると告げると、老婦人は「生卵を飲むと良いよ」と教えてくれた。飲んでみたかどうか、忘れてしまった。飲まなかったからだったのか、それ以来、まだこうして花粉症との腐れ縁が切れないでいる。

花粉症とは、オーストラリアで3ヶ月間、現地の原住民と生活を共にした女医さんによると、これは所謂「文明病」の一つなのだそうだ。原住民のように自然に逆らわないように生きて行けば、そんな文明病に罹るようなことはない、とこの著者は、そこの読者よ、そう、あなた! 人工の光 の中で生きる文明人よ、コーヒーばっかり飲んでいるあなた! 悟りなさい! と仰りたいのだろうか。

 

カーテンを閉めたままの居間、窓の外は薄明るくなってきた。

世が、いや夜が明けようとしている。その間私は眠ることも出来ず、こに至って何となく体全体が疲れてきたようだし、今度は睡魔に襲われようとしている。歓迎だ。

これからが本当の就寝時間となるのか。花粉症の諸症状との闘いに体力を消耗し、一言、疲れた。疲れたから寝よう。寝れるだろうか? Danke.


チェーンの空回りを何度も繰り返すので、一度見てもらおうと買ったお店に相談に行った。

日本から小包

日本のアマゾンに、当地からオンラインの注文を出していたものがやっと届いた。そう、やっと。


オーストリア国には既に先月届いていたのだが、配達してくれるオーストリアのDHLさんが、家には誰もいない時間帯にやって来て、留守だと分かると、配達証明書の写しを残して、現物は持って帰ってしまった。

新たな配達日を私の方で申し込むか、それとも自分でDHLの支店へと出向いて、小包を受け取るか、どちらかだ。そんなことが記されている。

わざわざ、支店まで出かけて行く時間はないし、手間も取りたくない。で、支店に電話を入れて、午後の2時過ぎにはいるから、もう一度届けてくれ、と頼んだ。電話に出た女の子はどうも新米らしく、コンピュータ画面をみながら、キーボード操作もなんとなく、というのが耳元に聞こえる。了解したのか、本当にこちらが指定した時間帯に配達してくれるのか、配達してくれると確信して電話は切った。


その指定した日、こちらで午後2時過ぎに来てくれ、と頼んであったその日、ところが午前中、またも留守中にやってきて、同じ配達証明書の写しをまたも残して行った。午後に来てくれ、と頼んだのに午前中に来てもらっては当然ながら受け取ることは出来なかった次第だ。

全然、話が違うではないか、ということでまたも支店に電話を入れて、ちょっと苦情を言ったら、お客様の方で時間を指定することは出来ません、という。別の女性だ。それに今回は3度目になるから、御自分で取りに来てください、と言う。もう配達はしない。配達は2回までだ、と。

ちょっと、ちょっと、待ってくださいよ。お宅の方で午後2時過ぎの配達を了解したのではなかったのですか!?

配達は午前中だけだ、という。しかも、上で書いたように、2回までだ、ともいう。そんなことを繰り返す。

もう一回、3回目の正直ともいうが、配達してもらえないでしょうか? 2回目の配達で確実に入手出来ると思っていたのに、どういうわけだが入手できなかったのですよ。だから、この日、今日のことだが、今日は自宅に朝から居るから、午前中に配達できるでしょう? 実はわざわざ小包を受け取るために、一日休暇を取った次第だ、というか、結果的にはそのようになるようにしてしまった。わざわざ小包を受け取るために休暇を一日取るのですからね、もう一度配達してください! しぶしぶ納得したようだ。現場に伝えてみる、と。

午前中に、DHLさんがやってきた。配達人に今までの事情をちょっと簡単に説明したら、自分はDHLの者ではない、という。
DHLに頼まれて臨時代理で働いている、という。

DHLの配達人は金曜日は働いていないのか!? しかも働くのは午前中から昼過ぎまで、午後は配達に回らない、色々と事情が分かった。

現金を払え、ときた。これにはちょっと驚いた。代金は既にオンラインで支払済みだというのに、三回に渡った配達料、手数料でも請求されたのか、と思ってしまった。

20ユーロ強だ。日本からは小包が届いたとしても、ヨーロッパ、オーストリア国に届くと余分の費用を支払うようになっているらしい。輸入税ということか。予想外の追加出費。

ここにサインしろ、ときた。サインはただ。そして正式にようやく、やっと日本からの小包を受け取った。Danke.






地下室浸水事件

オーストリアは2002年に、百年ぶりの洪水と言われたものに見舞われた。

当時、夏の休暇でオーストリアの別の場所に留まっていたのだが、自宅に帰るために、やって来た道路を通って戻って行こうとしたら、交通止め。降水、高水、洪水で道路は冠水。ドナウ川沿いの、別の道路を迂回しながら、やっとのことで家にたどり着いたという思い出がある。

テレビの報道番組を見ていると、そこら中が洪水で家屋やら、道路、村全体が黄色く濁った水で埋まってしまった映像が映し出されていたことが思い出される。



実は、今日、夜、我が家にもその時から5年も遅れて、同じような”洪水”がやってきていた、とは知らなかった。

たまたま用事があって、地下室へと降りて行った。地下室のドアを開けた、と白い蛍光灯に照らし出された地下室内、プールが出来てしまっていた! 何だ何だ!

洗濯機のモータが相変らずうなっている。その仕事を続けていたが、その洗濯機のどこからか、水漏れ、漏れに漏れて、それが床に溜まりに溜まって行って、その時、たまたま地下室へと降りて行ったのが不幸中の幸いだったのか、そのまま何にも気付かずに、一夜を明かして、朝を迎え、何かの用事があるということで地下室へと階段を下りて行こうとしたら、地下室へと通じる階段のところも水で埋まっていた、などということも容易に想像できる。




約10センチメートルの水嵩で、地下室床一面、浸水していた。
大変だ、大変だ、大変だ! と家にいる者たちを呼んだが、私と奥さんと息子一人だけ。

浴室からはバスタオルを何枚か持ってきて、地下室の床に放ち、水を吸い取らせ、吸い取ったタオルを両腕で絞り、ポリバケツに貯め、一杯に溜まったところで、それを持って地上階のトイレへとゆっくりと階段を急ぎ、トイレへと流す。外の庭へと出て行って植物に水を撒けば植物も喜ぶかとも思ったが、毎度毎度外へと出て行くのも億劫ということで、トイレと地下室との間を何度も往復。

地下室では我らが三人して、タオルや塵取りで水を吸い上げてはバケツを一杯にする作業を我をも忘れて続けていた。一杯になったものは私が担当すると決めた訳でもなかったのだが、行ったり来たりを繰り返すことになり、そのうちの階段も濡れて滑りやすくなり、本当にびくびくしながら、転ばないように、滑らないように、重いバケツをときに片手に、時に両手に下げながら、トイレへと水を流しに行く。

水浸しの原因は、洗濯機のパイプが詰まってしまい、洗濯水が排水管を通ってゆかずに、接続が外れ、そのまま外へと排水を繰り返していたということが判明した。

結構な運動量であった。久しぶりに運動をした。Danke.