「もしもし」と電話を掛けて来た人。
「もしもし?」とわたしも応じる。
「わたし!」
「”わたし”さんですか?」とわたしは応じる、とぼけて。
「何言っているのよ。わたしよ!」
「だから、”わたし”さん、ですか?」
「ねえ、好い加減にしなさいよ! わたしだってば!」
「”わたしだってば”さん ですか?」
”わたし”さん、”わたしだってば”さん とはわたしの奥さんのことだった。
でも、電話で聞く声はどこかいつもの声とは違って、まさに”わたし”さん という知らない人が
電話して来たかのように聞こえたのだった。
昼食を取りながら、口に何かを含みながら、
ちょうど今、時間が取れるからと、わたしの声でも聞きたいのか、
それともわたしはもう寝床から起き上がっているのかと確認したくて、
電話して来たのかもしれない。
電話をするにも食べながらモゴモゴと電話をするとは、
とわたしはちょっと、そう、ちょっとだけ、ネガティブに思いに傾き掛けたのだが、
まあ、相手にも事情があることだろうから、そうした電話の仕方も有り得るのだろう、
とちょっとだけ寛大な心で自分のことは諦めて、受け入れる。
☆ ☆
こちらの人はどうして名乗らないのだろうか。
名乗らない人ばっかりにぶつかってしまっているのかもしれないが。
電話を掛けた先の人が、先に名乗ることをまずは期待している、といった風だ。
わたしはそのように理解し始めた。そのように教えられたこともある。
そうすれば掛けて来た人は間違い電話をしたのかしなかったのか直ぐ分かるから、と。
まあ、それはそれでよい。
誰もがハンディー(携帯電話)を持っている御時世で、
特にオーストリアでは殆ど一人に一台という統計が出ていたのをどこかで読んだ覚えがある。
だからハンディーからハンディーへ、つまり特定個人から特定個人へと特定的な電話をすることが多くなっているのだろう。
直接本人につながると思っているらしい。